第12章 それぞれの秘密・後編(2)
僕よりも背が低い彼女の顔は、俯き加減で金髪に隠れて見えない。白く吐かれた息だけがふわふわと漂う。ゆっくりと家へ向かって歩く中で、レイラの唇からぽつりぽつりと言葉が零れた。
「ねぇ。神様はいるのよ?」
「そう?」
「ええ。いるの。奇跡を起こしてくださるの」
なんだかなぁ。レイラがそういうことを信じているとは思わなかった。
「人間の神様だよ?」
「それでも…奇跡はあるの。祈りは通じるの。平等に愛を与えてくださるのよ」
神は愛である。僕よりもよっぽど聖職者らしい言葉がレイラから語られることに、新鮮さを感じた。こんな話をしたことが無いからね。誰かのために祈ることは悪くないと思う。宗教がなんであれ、気持ちの問題だろう。それでも…奇跡…か。あるかな? 奇跡。
「近藤さんのこと…とか?」
一瞬、間が空く。どうやら彼女が想定していた答えと違うようだ。
「そう…ね。それも奇跡かも…ね」
「他にもある? 総司と彩乃のこととか?」
「ええ。それもきっと奇跡ね」
僕は肩をすくめた。
「君にかかったら奇跡だらけだ」
レイラがふっと笑って僕を見上げてくる。その瞳の色はどこか切ない。なんだろう?
「そうよ。奇跡だもの。この世界で生きていて、誰かに出会う。…特別な人に出会う…それ自体が奇跡だと思わない?」
「まあね」
「ねぇ」
レイラが立ち止まった。指先が微かに震えている。
「寒いの?」
僕が尋ねれば、首を振った。そしてすっと僕の左手から彼女の手のぬくもりが消える。
「これで…最後にする。私が…あなたの傍にいるのは…迷惑?」
「レイラ?」
「私は…あなたと一緒に生きたいの。それはダメなの?」
「レイラ。何度も話をしてるけど」
「お願い。あなたの本心を教えて。もし迷惑なら…ダメなら…二度と会わない」
「レイラ」
僕と向き合う位置に立って、まっすぐに彼女の瞳が見つめてくる。僕は一瞬、彼女を受け入れてしまいそうになった。
でも…。
「迷惑だ…」
声を絞り出したとたんに、レイラの目が見開かれて、そして閉じられる。しばらくの沈黙の後、その目が再び開かれた。
「わかった…わ。今まで…ありがとう」
「レイラ。でも君はいとこで…」
レイラはゆるゆると首を振って僕の言葉を遮ると、微笑んだ。
「私は奇跡を信じていたの。でも…今一歩…及ばなかったみたい…。
ううん。奇跡だった。奇跡だったけど…私が望んだ形じゃなかった…」
「レイラ。何を言ってるの」
レイラが僕を見る。そして悲しげに微笑みながらその魅惑的な唇を開いた。
「あなたが世界を嫌いでも…世界はあなたが好きよ。
みんなあなたを愛してる。私も…あなたを愛してるわ。
私が死んで、身体が無くなっても、魂は無くならない。
あなたをずっと愛してる。
ずっと…ずっと…あなたの幸せを祈ってるわ」
その言葉は…。僕が昔、恋人に言われた言葉だ。最期に彼女が僕に言った言葉。
「Good-by. Sean.(さようなら。ショーン)」
次の瞬間。レイラの身体が地面に飲み込まれるように、ストンと落ちて消えた。
「レイラ!」
彼女を掴もうとした手は、むなしく暗闇に伸ばされただけだった。




