間章 ある日(夜)
日が落ちてしばらくすると宮月から声がかかる。夕飯だ。と言っても、しっかり食べるというよりは、つまむっていう程度だけどな。
宮月の料理はどっか変だ。味は美味いが、信じらんねぇものが出てくることがある。例えばバター茶。塩っ辛い茶に、濃厚なバターが入っていた。なんともけったいな味だ。他の連中も面白そうに飲んでいた。なんでもチベットとかいう国の飲み物らしい。
バターと言えば、鳥肉の焼いた奴を切ったら、中からバターの溶けたのが出てきたことがあったな。あれはロシアとか言う国の料理だと言っていた。
とにかく変な料理が多くて、外国の料理なのか、奴が失敗しているのか見分けがつかねぇときてやがる。ま、見た目はともかく、味は悪くねぇものが多いから失敗作だとしても食べられねぇことはねぇけどな。
夕飯は家にいる奴が集まって、一斉にわいわいと食べる。ちゃぶ台が足りねぇから、二つをくっつけるんだが、大勢て食べるっていうのは楽しいもんだ。
今日は妙な味の野菜が出てきやがった。
「マスター。コリアンダー、入れたでしょ」
デビが文句を言う。
「タイ料理はパクチーがないと」
宮月が澄ました顔で答えた。ぱくちぃ? なんだそりゃ。おれはデビが食べた野菜を千切り、混ぜた奴に手を出す。一口食べて、思わず顔をしかめた。
辛い。唐辛子が効いてやがる。その上、妙な味が口の中に広がる。ミョウガのような…もっと強烈にした味だ。フキノトウにも似ている…気がする。苦味はねぇけどな。かき混ぜていると、宮月が箸で自分の皿から緑の草をつまみ出した。セリか? それにしちゃ味が違うが。
「今日のサラダはソムタムだよ。タイのサラダ。青いパパイヤを使って作るんだ。上に散らしてあるこれはパクチー。香菜 コウサイ、コリアンダーなどと呼ばれる薬味だ」
ああん? 何を言ってやがるか、理解できねぇ。皆が恐る恐るつまみ始める。
「はぁ。面白い味ですね」
総司は微妙だ。こいつは甘党だからな。彩乃も隣で「辛い…」と言って、ちびちび食べている。
「おいしいのになぁ」
宮月のぼやきに頷いて平然と食べているのは亮だ。平気なのは亮と亮の母親、それにジャックとねぇちゃんだ。
「私はこれ、好きよ。タイ料理って野菜が多いし、さっぱりしてるし。おいしいわよね」
ねぇちゃんが嬉しそうに食べる。
「レイラは辛いのも好きだよね」
宮月が言えば、ねぇちゃんがにこにこと微笑んだ。
「辛いものは好きだけど…コリアンダーは苦手なのよね」
デビが上に散った緑の葉っぱを避けながら、野菜を食べ始める。
「ちなみにそっちのはカオ・パッだから」
「ああん?」
宮月の説明が良くわからねぇ。炒めた飯だから、チャーハンって奴じゃないのか?
「タイ語でカオはご飯。パットは炒める。ついでに言うと鶏を使っているからカイね。カオ・パット・カイ。カイって無気音で言うと鶏。有気音でカイって言うと卵になる」
「お兄ちゃん…鶏と卵の違いがわかんない…」
俺たちの困惑を彩乃が一言で返す。宮月は苦笑いをしやがった。
「ん~。日本語だとガの音が無気音。カの音が有気音。だから鶏のほうはガイって発音する人もいるよ。そのほうが通じ易いからね」
ダメだな。こりゃ。分かった奴はいるのか? 見回せば、デビ、ジャック、ねぇちゃんは平然としてやがる。分かっているのか? こいつら。
「ま、食べましょう。彼に言語について語らせると終わらないわ」
ねぇちゃんが皆に促して、俺たちの呪縛が解けた。
ま、こういうことが食事時には起こるが、それはそれで面白い。俺たちは他にもちゃぶ台の上にのった見慣れぬ料理に舌鼓を打ちつつ、食事の時間を楽しんだ。
余談ですが、タイ語の ไข่(卵) ไก่(鶏)はタイ人でも発音が適当だそうです。「どうやって分かるの?」と聞いたら「その場の雰囲気で理解する」と言ってました(笑) ついでに言えば、アメリカ人の知人は英語のLRの発音をあまり意識していないと言ってましたね。日本人も有気音の「カ」と無気音(息を吐かずに発音する)「ガ」の区別や、「ん」の後ろにある「ガ」(例:「見学」の「ガ」など)は鼻濁音ですが、そのあたりは意識せずに使っていますものね。




