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間章  介錯

--------- 彩乃視点---------


 土曜日の剣術道場は、わたしたちが引越しをしても続いていた。


 修平くんも、柳瀬くんも、他のみんなも総司さんに教えてもらいたいって言ってついてきたの。柳瀬くんが大学の友人を連れてきたのをきっかけに、また人が増えていて、今はお弟子さんが十人になっている。


「沖田先生。切腹の介錯の形っていうのがあるんですよね?」


 稽古の合間の休憩時間に、お弟子さんの一人が言った。


 今日の稽古にお兄ちゃんは来ていなくて、レイラちゃんもいない。土方さんはいるけれど、じっと壁際で黙ってわたしたちの稽古を見ていた。


 総司さんがすっと目を細める。


「ありますね」


「演武しないものなので見ることができないって聞きました」


「まあ、そうですね。切腹のときに使う形ですから」


「先生、見せてもらえませんか?」


 その会話に興味を魅かれたのか、皆の視線が総司さんに集まる。すっと総司さんの視線が土方さんの視線と交差した。その視線で何が交わされたのか、わたしには分からなかったけれど…次の瞬間、総司さんは頷いた。


「いいですよ」


 皆が遠巻きにする中で、総司さんが静かに正座をする。


「切腹する人の斜め後ろ、視界に入らない位置に座ります。介錯は切腹する方の集中力を乱してはいけません。よって静かに行います」


 それだけを総司さんは言うと、一瞬目を閉じた。わたしたちが見守る中、すぐに目を見開くと、斜め前の位置を見ながら刀を抜きつつ、静かに立ち上がる。


 衣擦れの音もしないぐらい静かに。すーっと刀が総司さんの右手で抜かれていき、構えの姿勢に入る。まったく音がしない世界。総司さんは誰もいない空間を見たまま、刀を振り上げた。


 総司さんの目を見て、わたしは言いようのない気持ちになる。冷たい…何も表情のない…感情を押し殺した瞳。ただまっすぐに、何もない空間を見ている。


 本当? 本当に何もないの? 総司さんは…何を見ているの? その空間に何があるの? 


 しゅっと微かな音を立てて刀が振り下ろされて、水平で止まった。


「首があったら、皮一枚だな。見事なもんだ」


 土方さんの声がして、みんなが振り返る。土方さんは壁に寄りかかって、両腕を組んでいた。その胴着姿があの時代と重なる。


 重なった瞬間にわたしは理解した。総司さんが誰を斬ったのか。何も無い空間なんかじゃない。総司さんが斬ったのは…。総司さんが斬ったのは…。


「皮一枚ってどういうことですか?」


 お弟子さんの一人が尋ねた。土方さんがすっと目を細める。まるで、あの時代の、新撰組副長としてそこにいるかのような表情。


「人間の頭っていうのは重いし丸い。下まで斬りおろしてスパンと斬ったら、首が転げるうえに、体が反対側に倒れやがる。だが首の皮一枚残せば、首が身体の前に垂れ下がって、身体が起きたままになんだよ」


 その言葉に皆が静かになった。誰もが言葉を発することが出来ない中、総司さんの声が沈黙を破る。


「土方さん、あまり弟子たちを脅さないでください。まるで見てきたような言いように、皆が怖がっていますよ」


 とたんに、土方さんがにっと笑う。


「ま、っていう話だがな」


 違う。本当の話だ。これは本当の。総司さんが介錯したときの。総司さんが…総司さんが介錯したのは…。


「先生。もう一回やってください! お願いします」


 誰かがそう言ったとたんに、わたしは叫んでいた。


「やめて。お願い。やめて」


「彩乃ちゃん?」


「お願い…もうやらないで」


 わたしは腰が抜けたように、へなへなと座り込みながら、泣いていた。


 だって。だって。総司さんが斬ったのは。総司さんが介錯したのは、山南さんだよ?  あんなに慕っていたのに。お兄さんのように思っているって言ってたのに。


 大晦日に二人で山南さんの部屋を掃除に行ったときに、山南さんに文句を言いながらも楽しそうに話をしていたのに。


 それなのに。その山南さんの最期は…息の根を止めたのは…総司さんなんだよ? 思い出さないはずがない。さっきの表情、あの瞳。


「お願い。お願いだから」


 あまりに泣くわたしに皆がおろおろする。土方さんはわたしの気持ちも分かっているかのように、何も言わずに見ていた。総司さんがそっとわたしの傍にしゃがみこんで、わたしの背中をぽんぽんと叩く。


「彩乃。落ち着いて。もう終わったから。終わったことだから」


「でも…でも…総司さん」


「大丈夫だから。落ち着いて」


 涙ながらに総司さんを見れば、総司さんは愛おしむようにわたしを見ている。


「総司さん…」


「彩乃が泣くことはない」


「だって…」


「ほら。みんな困っているから」


 周りを見れば、みんなはバツが悪そうな顔でわたしを見ていた。


 一人が寄ってくる。


「ごめんな。女の子には怖かったよな」


 そう言って謝ったとたんに、周りのみんなも笑いながら冗談にしようと口々に言う。


「そうだよ。剣が強くたって女の子なんだから、こういうのは怖いよ」


「俺だって怖いもん」


「俺も泣きそう」


「おいおい。お前まで言うなって」


 どっとみんなが笑う。みんながわたしを笑わそうと、明るい雰囲気にしようと、一生懸命になってくれていた。


「ごめんね。ちょっと怖くなっちゃった」


 そう言って涙をぬぐって笑えば、みんながほっとした顔をした。


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