第9章 近藤さん(5)
再び女性へと向き直る。そこで気づいた。この女性、見たことがある。
「えっと…もしかして、近藤さんの…えっとバー・ライトブルーの常連さん?」
そう声をかければ、焦点が合わないような目つきをしていた女性の瞳が僕を認識したようだ。
「あなた…」
「どうも。土方さん…えっとトシさんの家主の宮月です」
妙な挨拶だけど、一番通りが良さそうだったんで、そう挨拶する。とたんに彼女はほっとしたように肩から力を抜いた。手を差し出せば、一瞬呆けたような僕を見る。わずかに頬が赤くなってから、おずおずと手を差し出してきたところを引っ張って女性を立たせた。泥だらけの上に傷だらけだ。
「怪我は?」
彼女はボタンの飛んだシャツの胸元を押さえたまま自分の身体を見下ろした。
「だ、大丈夫です」
あ~。服装としてはちょっと酷いかな。女性にさせる格好じゃない。さっと自分のジャケットのポケットを探って空っぽであることを確認した。薄手のジャケットだけど無いよりはマシだあろう。脱いで肩にかければ、華奢な彼女の膝上まで隠れる。
「あ、あの…」
「そのままじゃ帰れないでしょ。どうぞ」
「あ…」
彼女はしばらくもじもじした後で、小さな声でお礼を言ってきた。耳まで真っ赤だ。まあ、確かに襲われてたところを助けられるっていうのは、恥ずかしかったかな。うん。
周りを見回せば、死屍累々、もとい気絶した男たちが倒れている。
「警察…呼ぶ?」
疑問系にしたのは事情徴収が面倒くさいからだ。それに、この後はバーへ行こうと思っていたのに予定が大幅に変わってしまう。とはいえ、被害者は彼女だからね。僕がじっと見ていると、彼女はゆるゆると首を振った。
「そう。じゃあ、大通りまで送っていくよ。タクシーを拾って今日は帰ったほうがいい」
「か、彼と…待ち合わせしているから…。電話…してみます」
彼? …ああ。彼氏。恋人か。気絶しているとはいえ、こいつらの傍にいるのも気分的に良くないと思って、とりあえず路地を出る。彼氏は近くにいたのか、5分ほど一緒に待っていれば、やはりバーで見たことがある男性が向こうから走ってきた。
「亜紀!」
「隼人…」
彼の名前を口にしたとたんに、女性…亜紀さんは男性の胸にしがみつくようにして泣き始めた。やっぱり怖かったんだな。そうだよね。
「あ…えっと…どうも」
亜紀さんに抱きつかれたまま、僕に気づいた隼人さんが気まずい感じに挨拶をする。亜紀さんが小さな声で「助けてくれたの」と言ったとたんに彼は直立不動になった。
「この度はどうもっ! あの。なんとお礼を言っていいやら…」
「あ、いや。たまたま通りかかって…」
言葉を濁し「じゃあ」と言って去ろうとすれば、後ろから亜紀さんの声が追いかけてくる。
「ありがとうございました」
僕は片手をあげて、バー・ライトブルーへと向かった。結構遅くなってしまったから、そろそろ閉める時間だろう。ちょうどいいから土方さんを乗せて帰るかな。見慣れた浅葱色の看板が見えて、扉を開けようとしたときだった。
血の匂いがする。中からだ。しかも血を流しているのは一人じゃない。嫌な予感とまさかという気持ちが綯い交ぜになりつつも、警戒しながらそっとドアを開ける。すっと頭の芯がどこかで冷めていき、全神経が研ぎ澄まされた。隙間から聞こえる呼吸音は2つ。やけに浅い。他に物音がしないことを確認して大きくドアを開け放てば、そこに広がっていたのは滅茶苦茶になった店内と、流血の後。床にあったのは、血を流して倒れている近藤さんと土方さんの身体だった。




