第8章 火事(4)
火の粉はパチパチというよりはゴウゴウという音を立てて、舞い散っていて、その中に立ち尽くす李亮に手を伸ばす。視界はすこぶる悪い。李亮のシルエットが見える程度だ。しかも煙がどんどん上がってきて燻される。
「李亮、来い!」
李亮は静かに首を振った…多分。見えたもんじゃない。だが声は聞こえた。
「マスタ。無事。それでいい」
「良くないから。お願いだから。李亮。早く!」
天井がどんどん入り口の側から李亮の方へ向かって落ちていく。
「李亮!」
「二人。ダメ。マスタ、助かる」
とうとう李亮の真横の天井が落ちた。
ドーンという音があたりに響き、李亮の周りも、そしてもしかしたら李亮の洋服にも、そろそろ火がつくだろう。
僕は片手で太い梁を掴み、もう一回尻尾をしっかりと巻きつけた。その間にも天井は崩れ落ちそうで、僕の居る場所の天井もそろそろ危ない感じだ。
ぐらりと李亮の真上の天井が大きく揺れる。僕は思わず李亮に手を差し出した。そして精一杯の声を出す。
「主として命ずる! 飛べ! 来い!」
次の瞬間…教会堂の屋根が轟音を立てて崩れ落ちた。それはまるでスローモーションの様だ。
燃え盛る火の中で、梁はまだ無事だけれど、天井だけではなくその上の屋根板が燃えて落ちていく。そして入り口の側から順番に梁にも火が燃え移り始めていた。
僕がつかまって居る梁は、まだ火に包まれていないけれど、尻尾がずるずると重さに耐えかねて、緩んでいくのを片手で必死に止める。
李亮は…というと、間一髪。
梁を掴んでいるほうの手と逆の手には李亮の手首が握られている。無理やりな命令だったけれど、なんとか間に合った。彼は申し訳なさそうに僕の手を離そうとするけれど、僕が離すわけないじゃないか。
とは言え、僕の尻尾も片手も思ったよりは働いてくれなくて…ずるずると身体が落ちていく。
「マスタ。手、離す」
李亮が言うけれど、僕は手を離さなかった。ここで手を離して、後味の悪い思いをするぐらいだったら、一緒に飛び降りて火の中をくぐりぬけたほうがまだマシだ。
とは言え、結構限界かな。そして、もうダメかなぁと思った瞬間に、力強い手が僕の肩を引っ張り、身体を抱えた。
引き上げられて…耳元で低い声がぼそりとつぶやく。
「I think you've strained yourself too much.(あなたは無理をしすぎだと思う)」
ジャックの低い低い声だった。
ほっとして尻尾を緩めた次には、身体が落ちる感覚がする。慌てた瞬間には地面にいた。
李亮の手首を僕は掴んだまま、ジャックに身体を抱えられていて、そしてそのまま、ジャックが屋根から飛び降りたらしい。僕のすぐ傍に李亮が転がった。かなり荒い状態で突き落としたみたいになって、もしかしたら骨の一本や二本折れたかもしれないけれど、彼も無事だ。生きてさえいれば、どうにでもなる。
ほっとしたのもつかの間、僕らがいた梁と天井の部分も轟音がして、焼け落ちた。すぐ近くまで救急車と消防車が来ている音がする。まずいな。消防車はともかく救急車は厄介だ。
よろよろと煙が蔓延し、火の粉が飛び散る庭を通って、教会の前の道路に行けば、少し離れた火の粉のかからない場所に僕の車があった。後ろのシートにはコンピュータが山積みにされていて引き出しが突っ込まれている。
傍にはレイラが真っ青な顔をして立っていて、僕の姿を見たとたんに泣きながら抱きついてきた。総司に支えられるようにして立っていた彩乃も、泣きながら僕に駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん! ごめんなさい。ごめんなさい」
総司の足元には刀が三本置いてあって、傍にはデイヴィッドが不機嫌な顔をして立っていた。デイヴィッドを見れば、かなり怒った顔で僕を睨む。僕はレイラに抱きつかれたまま、彩乃の頭を撫でた。
「彩乃。大丈夫だから。僕は無事だったから」
そう言ったとたんに、レイラが僕に掴みかかる。
「なんでそんなに無茶をするの! どうして? ここ数年…」
レイラは言葉を続けようとして、ぴたりと留めた。僕が睨みつけたせいもある。でもきっと僕の心を読んだんだろう。
そう。彩乃には知られたくないんだ。僕が一生懸命、彩乃を守っていることを。彩乃は僕が人間に無関心で、誰に対してもどうでもいいと思っていたときのことを知らない。
彩乃の物心がついたときから、僕は彩乃に対していい兄で、いい親だった。両親がいない分を補ってあげたいし、僕を自慢に思ってくれている彩乃の気持ちを裏切りたくない。
「あなたは…馬鹿よ…」
レイラは僕から視線を逸らすように顔を伏せて、つぶやいた。




