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第6章  嫌がらせ(7)

 翌日、ダイニングの机の上でレイラと二人、彼女が作った電話のプログラムの調子を試していたら、そこへ彩乃がひょっこりと現れた。


「あれ? 彩乃? 総司は?」


「総司さんは面接に行っちゃった」


 ああ。あれか。就職活動か。


「大学は?」


「今日は夕方の授業だけなの。夕飯はいらないからね」


「はいはい」


 総司とデートだな。ま、いいけど。


「ねぇ。ねぇ。レイラちゃんはお兄ちゃんのこと、なんて呼んでるの?」


「なぜ?」


 彩乃の言葉にレイラの動きが止まった。彩乃が小首をかしげる。


「わたしが総司さんを、総司さんって呼んでたら、恋人なんだから呼び捨てにしないの?

ってお友達に言われたの。そうなのかなって」


 そして彩乃はちょこんと僕たちの前の椅子に座り込んだ。


「だからね。レイラちゃんはお兄ちゃんのことをなんて呼んでるかなって思って」


 そう言われて僕は気づいた。そう言えば、レイラはいつも僕のことを「あなた」とか「彼」とかしか呼んでいない…? 


「レイラ…なんか僕は…名前で呼ばれてない気がする」


 レイラがそっぽを向いた。一生懸命記憶を探るけれど、レイラになんて呼ばれているか覚えがない。


「真面目に…あれ? 代名詞でしか呼ばれたことが…ない?」


「え? そうなの?」


 僕の言葉に、彩乃が目をぱちぱちと瞬く。


 僕は記憶をさぐった。レイラが僕をなんと呼んでいるか…。英語でもyou だった気がする。


「レイラ。君は僕のことをなんて呼んでる?」


 僕を呼ぶなら、俊哉か、リーデルか、それらの愛称か、どれかだと思うんだけれど。レイラは黙ったままだ。


「名前で呼んでない」


 レイラは視線をそらしたまま答える。


「レイラ?」


「私は…あなたを呼びたい名前があるから…」


 小さな声でつぶやいて…レイラは泣きそうになっていた。彩乃が慌てて立ち上がってレイラの両手を自分の両手で掴む。


「ごめんね。ごめんね。レイラちゃん。泣かせるつもりは無かったの」


 レイラはゆるゆると首を振った。


「ううん。彩乃のせいじゃないの。私が…」


 何か言いかけた言葉は、彼女の唇の中に飲み込まれる。そして彼女がもう一度、その唇を開いた。


「私には、彼を呼びたい名前があるの。だから今は名前で呼べないの」


 僕を呼びたい名前? どれのことだ?


「あ~。もしかして儀式用の名前?」


 レイラが首を振った。


「そんなの…呼びたいわけないわ」


 うん。まあ、そうだよね。


 お察しの通り、僕にはもう一つ名前がある。ほとんど儀式用。先祖代々、家を継ぐ男子につけられる名前。名前っていうか、当主の証みたいなもんだ。


「レイラ?」


 レイラはこぼれた涙をぬぐって、僕に微笑んでみせた。


「いつか…あなたが本当に私のことを、私自身のことを、好きになってくれたら、その名前で呼ぶわ」


 いろいろ考えるけれど、僕に他の名前なんか無いと思うんだけど…。


「まさか、ポチとかミケとか…」


 そうつぶやいたとたんにレイラが吹き出した。彩乃もびっくりして目を見開いて、レイラのことを見る。


「レイラちゃん、そうなの? お兄ちゃんをペットにしたいの?」


「こらこら」


 僕が慌てて彩乃を制止すれば、レイラが苦笑いしながら手を振って否定した。


「違うわ。そんなこと、考えてないから安心して」


 だよね。うん。でも本当に、思いつく名前が他にないんだよな…。ま、いいか。


 僕は気を取り直して彩乃のほうを向いた。


「あ~。えっと…総司の呼び名のことだけどさ。あの時代、たしか女性は男性を呼び捨てにしないはずだよ」


「そうなの?」


「うん。母親とか姉とか、年上の女性から呼び捨てられることがあっても、恋人や奥さんからは敬称つきだった…と思う。ま、総司に聞いてみたら? なんて呼ばれたい? って。別に周りは気にせずに彩乃が呼びやすいように呼べばいいと思うし」


 そう言ってやれば、彩乃が嬉しそうに頷いた。


 二人きりのときには分からないけれど、とりあえず皆の前では、やはり彩乃の総司に対する呼び名は「総司さん」のままだった。それで二人が幸せそうに呼んで、返事しているからいいんじゃないな。うん。


 しかし…僕の別の呼び名? そんなのあったっけ?


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