第6章 嫌がらせ(3)
しばらく続く沈黙。
そう言えば土方さんとこんな風に二人きりで飲んだのは初めてかも。他の人の会話も聞こえるこの場でまさか幕末の話をするわけにもいかず、かといって話題もなく。
なんとなく黙っているのも気になって、僕は口を開いた。
「このお酒ができたスカイ島ってさ」
「ああ?」
「英国…イギリスの北にある島なんだけど…かなりのんびりしたところなんだよね。羊がいて…一本道がずーっと続いていて、すれ違う車もたまにしか無いような場所が多くて。そして白夜がある」
僕は大自然の中、崩れた城壁の跡と羊がいる風景を思い出しながら語っていた。
「びゃくや?」
「うん。ほとんど一晩中明るいんだよ。今ぐらいの時期だと、本当に夜の十時ぐらいでも明るくて、夜中過ぎにちょこっと夕暮れみたいになって、またすぐに明るくなる。日本語だと白い夜って書くんだけどね。英語だとwhite night」
土方さんは黙って聞いていた。
「その代わり、冬は暗いんだ。polar night 極夜っていうんだけど、昼でも夕暮れみたいな感じ。時期にもよるけど、なんとなく明るくなるのが朝10時過ぎ。9時ごろなんて真夜中って感じの暗さでさ。昼ぐらいでも夕暮れぐらいな感じ。夕方には夜と同じぐらい暗いんだ」
土方さんのグラスの氷が涼やかな音を立てる。
「おめぇは、他にはどこに行ったことがあるんだ?」
「そうだねぇ。いろいろ行ったよ。ヨーロッパは歩き回ったし、ソ連…今はロシアか…も行ったし、南米も、インドも、中国も行った。オーストラリアも、ニュージーランドも行ったよ」
「行ってないところは?」
僕は肩をすくめた。
「そりゃ、山ほどあるよ。この地球上に小さな国は山ほどあるしね。そう言えば中東のほうは行ってないね」
「それ以外は行ったのか。すげぇな」
「土方さんも行けばいいさ。この時代、行こうと思えば、ほとんどどこへでも行ける」
少し水滴が付いてきたグラスを手元のお手拭でぬぐってから、僕はもう一口、酒を口に含んだ。
「ラオスっていう国がアジアにあるんだけど、そこへ行ったときなんて、子供たちがキラキラした目をして英語で話しかけてくるんだよ。外国人は英語を喋るって思ってるんだよね。凄く視線がまっすぐで。日本に比べたら貧しい国なんだけれど、子供たちを見て、なんていうか…すごく感動したよ。その子たちは英語を一生懸命勉強したんだろうね」
僕は土方さんに、いくつかの国を紹介しようとして、そして口をつぐんだ。何か…変な匂いがする。
次の瞬間にカランコロンとドアベルが鳴って、雰囲気の悪い二人組みの男たちが入ってきた。
「土方さん」
僕が呼べば、それで通じたらしい。多分、彼らが右手に持った袋。その中身は汚物だ。僕らの鼻だとそんなものは簡単に分かる。
僕が立ち上がろうとすると、土方さんがポンと僕の肩を叩いて立ち上がった。
「俺の仕事だ」
なるほどね。僕は肩をすくめて、高みの見物としゃれ込むことにした。
土方さんは他の客を怯えさせないようにすーっと二人組に近づいていくと、そのまま男の右手を掴んだ、そして耳元に「暴れたら殺すぞ」と他の人間には聞こえないように囁いて、ずるずると二人を引きずってドアの向こうに消える。
近藤さんが困ったような顔をして僕を見るから、僕はにっこりと笑って見せた。
「彼なら大丈夫でしょ。必要なら加勢に行くし」
実際、ドアの向こうに意識をやれば、まあ、ドカンドカンと二発ぐらい殴る音がして、そして静かになった。なるほどね。治安維持だな。
カランコロンとドアベルがもう一度鳴って、一瞬土方さんが顔を出したんだけど、また閉まる。そして僕の耳には店のジャズミュージックの向こう、ドアの外での複数の人数の足音と、土方さんのちっという舌打ちが聞こえた。




