第5章 やきもち(4)
「Aimer ce n'est point nous regarder l'un l'autre mais regarder ensemble dans la même direction.」
「え?」
すらすらとフランス語で引用してみせると、彩乃がパチパチと二度ほど瞬きをした。ま、フランス語だしね。いきなり言われても意味は分からないよな。
「愛するということは、お互いを見詰め合うことではなくて、同じ方向を見ることだ---という格言。『星の王子さま』を書いたことで有名なサンテグジュペリが『人間の土地』という中で書いてる」
彩乃が考え込んでから、小首をかしげた。
「どういう意味?」
「ま、僕的解釈になっちゃうけどさ。長い長い道があったとして、そこでお互いだけを見ていたら、歩けないでしょ?」
「うん」
「同じ方向を見て、歩きだしたら歩ける。そのときには、目の前にいろんな風景や、いろんな人が見える。でも同じ方向を見ていたらいいじゃない。相手だけがそこにふらふら寄っていったら困るかもしれないけどさ。人生は長い道を歩くようなものだよ。その道をいろんなところに二人で寄り道したり、立ち止まったりしながら、同じ場所を目指しながら歩けたらいいんじゃないの?」
ちなみにこの場合の方向「direction」には、注意やエネルギーの集中する向きというようなニュアンスや、そこへ向かって導くというようなニュアンスも入ってくる。単なる方角という意味ではないわけだ。
彩乃がじっと黙って僕の顔を見ている。
「仲のいい夫婦をあらわす言葉に『偕老同穴』って言う言葉がある。深海のカイロウドウケツっていう名前の海綿…うーん。なんて説明したらいいのかな。ビーナスの花カゴとも呼ばれたりする生物なんだけれど、その中は空洞になっていて、そこにドウケツエビっていうのが住み着くんだよね。小さいときに入り込んで、だんだんと周りがカゴで覆われて、雌雄二匹だけがその世界に閉じ込められる。転じて墓場まで一緒という仲の良さを言うんだけど…。実際に世界の中で二人きりだったら、どうだろうね」
「いいと思う…」
「そう? 他の刺激は一切無い。人生の豊かさという意味では…どうかな。辛いことからは逃れられるけれど、他の人から与えられる楽しいことからも遠ざかるよ?」
「…」
「彩乃。彩乃にもお友達はいる。家族だっている。楽しいことだってあるでしょ?」
「…。でも総司さん…」
彩乃は納得していない表情で、さっきから動かない。はぁ。一度頭にとりついた嫉妬の虫はなかなか振り払えないらしい。正攻法で説得してダメなら、逆で行くか。
「そうだよね。総司は他の女の子のところに行っちゃうかも知れないからね」
彩乃が信じられないことを聞いたように、僕をマジマジと見た。
「そうだな~。確かに水商売の女の子は綺麗だし。話の面白い子が多いし。もしかしたら、彩乃よりもそっちの子がいいって言うかもね」
彩乃の目が見開かれる。顔が青ざめていて…こんな顔させたいわけじゃないんだけどな。ま、仕方ない。荒療治だ。もう一押ししておくか。
「そうしたら、彩乃から離れちゃうかな」
そう言った瞬間に、彩乃が勢いよく立ち上がる。
「酷いっ! お兄ちゃん! 総司さんは、そんなことしないもんっ!」
「そう? 総司だって男だし」
「しないっ! わたしと一緒に居ましょうねって、一生一緒に居ましょうねって約束してくれたもん」
「そんな約束、破るかもよ?」
彩乃はぶんぶんと首を振った。瞳から涙が流れ始める。
「そんなことないっ! 総司さんは、約束を破るような人じゃないもんっ」
そう彩乃が叫んだとたんに、ノックもなしに扉が開いた。




