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間章  客 その1(2)

「すみませんが…もしかして知り合いでしたか?」


 そうおずおずと切り出せば、客ははっとしたように目を瞬き、そして首を振った。


「いや、人違いしたようだ。俺はあんまり知り合いがいねぇんで、違うだろ」


 ちょっと癖のある言い回しに興味を覚える。


「お客さん、このあたりの人ですか?」


「武蔵のほうだ」


「武蔵? えっと…東京のどのあたりです?」


 ちらりと隼人を見たけれど、隼人は首をかしげた。普通の客だと分かって緊張を解いた亜紀ちゃんが、地名を挙げ始める。


「武蔵小杉とか、武蔵小山とか、武蔵境とか…えっと…なんか東京の西のほう?」


「ま、そんなところだ」


 客が黙って頷いて、メニューを開いて顔をしかめた。


「まったく。日本語で書きやがれ」


「え?」


 ぼそりとつぶやいた言葉に聞き返せば、「なんでもねぇ」と、メニューを親の敵でも見るように睨み付けている。


「何か…お好みがあれば、お勧めで作ります」


 迷っているのだろうかと声をかければ、男がにっと嗤った。


「そいつぁいい。ああ。適当に作ってくれ」


 そう言った後で、はっと気づいたように、パタパタと両手で身体を触り始めると、ポケットから一枚の紙幣を出した。


「今、こいつしか持ち合わせがねぇんだ。これで飲める分だけで頼む」


 そう言われて受け取れば、5000円札が乗っていた。


「お客さん、帰りは?」


 もし、これをうちで飲んでしまえば、帰り道が無くなるのではないかと心配したが、それは杞憂だったようだ。


「大丈夫だ。呼べば迎えに来てくれる手筈になってるぜ」


 そう言って胸ポケットをポンと叩いた。ふくらみから見れば、携帯が入っているのだろう。


「わかりました。ではお出ししますが、何かご希望は」


 ちょっとだけ客が考えて、口を開いた。


「あ~。よくわかんねぇから、何でもいい。上手くて酔える奴がいいな」


 強い酒が希望か? 


 考え込みながら、ふと気づく。お通しを出してなかった。


 隼人と亜紀ちゃんの分のお通しを出しながら、横目で着たばかりの客を見れば、客はこちらの一挙手一挙動を見逃さないとでも言うように見ていた。思わず目が合って、慌てて目をそらす。


 お通しを準備して出せば、マジマジと見つめている。


「あ~。マカロニポテトサラダですが…嫌いでしたか?」


「まか?」


「マカロニポテトサラダですよ。ポテトサラダにマカロニが入っています」


 割り箸を差し出せば、おずおずという風情でマカロニをつつく。


 そしてちらりと隼人と亜紀ちゃんのほうへ視線をやり、二人が食べているのを見て、おっかなびっくりという様子で口に運んだ。


 マカロニを知らなかったんだろうか? 探るような神妙な顔をして口の中で何回か噛むと、微妙な顔をして飲み込んだ。


「あ~。ウマイ…と思う」


 無理やり口に出したような言い方に笑ってしまった。


「食べられなければ、ナッツにしましょうか?」


 大の男の情けない表情を見て、思わず言えば、客は首を振った。


「何言ってやがる。もったいねぇだろ。食うぜ。このぐらい」


 そう言うと小鉢を掴んで、口の中に塊ごと放り込んだ。なんとも豪快だ。思わず気に入って、お口直しに…とストレートのバーボンと一緒にナッツを出せば、こっちは気に入ったようだ。上機嫌でつまみ始めた。



 お代わりの要求をする以外は静かに飲む客に、亜紀ちゃんと隼人も気を許し始めたらしく、二人で他愛の無い会話を始めた。それを聞きながら、初めて来た客にお酒を出していれば、あっという間に上限を超えた。店に来てくれた感謝も込めて、一杯分だけは無料にしたが、それ以上はダメだろう。


「ここまでが御代の分です」


 そう伝えれば、彼は頷いて席を立った。そして胸ポケットから携帯を出すと、それを開いて困ったようにこっちを見る。


「あ~。ちょいと聞きてぇんだがよ。この『けーたい』っていうのは、どうやって使うんだ?」


 は? 亜紀ちゃんと隼人も思わず客を見る。


「いや、教えてもらったんだが、忘れちまった。なんかをどうするかすると、簡単に話しができるはずなんだが…」


 思わず驚いて固まっていると、亜紀ちゃんがすばやく立った。そして客の手から携帯を受け取る。


「えっと…誰にかけるんです?」


「おお。すまねぇな。宮月って奴だ」


 亜紀ちゃんの細い指が、お客の携帯の上を滑る。


「えっと…ま、み…みやつき…あ、これだ。宮月俊哉さんですか?」


「そいつだ。そいつ」


 そうして、ボタンを押して通話できる状態にして渡せば、お客はその場で電話をかけ始めた。


「おう。俺だ。迎えに来い」


 相手は誰なんだろう。ずいぶん横柄だ。やっぱりどっかの組のえらい人で、舎弟とか、そういう人が向かえにくるんだろうか?


 電話の向こうの声は聞こえないが、どうやら渋っているようだった。


「知らねぇよ。金? あるわけねぇだろうが」


 また向こうから何か言われたようだ。ずいっと携帯がこちらに突き出された。


「すまねぇが、ここの住所とやらを教えてやってくれ」


 そう言われて電話を代われば、涼しげな男の声がした。


「もしもし?」


 慌てて返事をする。


「あ~。もしもし。こちらバー、ライト・ブルーです」


 電話の向こうから微かに「まったく…」という独り言が聞こえた。そして先ほどの声が続ける。


「すみません。お手数をおかけしちゃって。今から迎えに行きますから、そこの住所を教えてもらえますか? ついでに迎えに行くまで、その人、引き止めておいてください。なんだったら、もう一杯飲ませておいてください。払いますから」


 そう言われて、断るはずがない。二つ返事で引き受けて、そして待っている間、もう一杯飲んでいてくれと言われたと伝えると、客がにやりと嗤った。


「じゃあ、もう一杯。強い奴を頼む。うまい奴がいいな。量も多めで」


 そそくさと席に戻る客に、思わず笑みを漏らしてから、もう一杯作るべく、グラスに手をかけた。

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