第2章 驚きの基準(2)
「ところでよ。おめぇ、ちょっとばかし、金を貸せ」
「はい?」
「金子だよ。おぜぜ」
そう言えば、土方さんには自由になるお金を渡してないんだよね。言っとくけど、意地悪をしたわけじゃなくて、そんな必要が無かったからさ。
「いいけど…何に使うの?」
「そりゃ、決まってるだろうよ」
いや、よくわかんないんだけど。
「何か必要なものがあるんだったら、買いに行く?」
そう言うと、「ちげぇよ」と土方さんから返ってくる。そして、すっと小指を立てた。
「ここにもあるのかよ。こういうところは」
「何それ」
「ほれ。島原とかよ。吉原とかよ」
うわー。そっちか。
「うーん。あるけど、いろいろちょっとね」
「なんだよ。歯切れがわりぃな」
「仕組みが違うんだよ。あのころとは。いろいろ。それにさ」
僕が頬杖をはずして土方さんを見上げた。
「その前に、この現代のことを勉強してもらわないと、ちょっと困るんだよね。出かけても電車に乗れないし、バスにも乗れないし、移動できないでしょ」
そう言うと土方さんはくぃっと後ろを親指で指した。
「電車って言うのはあれか」
ちょうどやっていたのは、新幹線のCM。あれも電車は電車だけど…。
「とにかくさぁ、僕が一生懸命いろいろ教えようとしてるのに、なんでちゃんとやらないんだよ」
「うるせぇな。こういうのは実地でやるのがいいんだよ。金貸してみろ、自分であちこち行ってみせらぁ」
凄い自信。まいったなぁ。だからと言って、「はい」って野放しにするわけにいかないし。かと言って、僕が一緒に行くっていうのはごめんこうむりたいし。
思わず土方さんの顔を見ながら考え込んだときだった。
「はーい。マスタ~♪」
デイヴィッドだ。一緒にジャックもいる。二人とも相変わらずの迷彩服。なんだかなぁ。
「暇なのよ。マスター。どうしてこんなに平和なの?」
「あのね。デイヴィッド。基本的に日本は暇なの。平和なの。いきなり銃で襲撃されたりしないの。ついでに言えば、イギリスの屋敷だって平和だと思うんだけど」
デイヴィッドが肩を落とす。
「そうなのよね~。イギリスも暇だったのよ。ね?」
ジャックに同意を求めれば、ジャックも頷いた。
やれやれ。
「ちなみにメアリは?」
ジャックが肩をすくめ、デイヴィッドがその視線を受け取って口を開いた。
「ウィンドウショッピング。なんか凄く楽しいらしいわ」
ああ。そう。良かったね~。
そう。あれからデイヴィッドとジャックとメアリは、ホテルよりは…ということで、とりあえず適当な賃貸マンションを見つけて借りて、ほぼ毎日うちに通ってきている。だからって、何ができるわけじゃなく。こうやって暇をもてあましているわけだ。
だからイギリスに帰れって言ってるのに。
「おう。デビ。おめぇ、いいところ知らねぇか」
土方さんはデイヴィッドの名前が呼びにくいらしくて、デビって呼んでる。
っていうか、異人だなんだって昔は言っていたのに順応力ありすぎ。もう彼らが日本人でないことも、人間でないことすらも気にしてないように見える。本当に気にしてないのかな。
「何よ。何のことよ」
土方さんの言葉の意味が取れなくて、デイヴィッドが土方さんに聞き返した。
「女のいる店」
土方さんがにやりと嗤うと、デイヴィッドも「まっ」と言いながらにやりと嗤う。
「知ってるわよ~。今晩でも行く?」
「おっ。そうこなくちゃな」
そして土方さんがくるりと僕のほうへ向き直って、手を出した。
「おい。だから、貸せ」
ああ。もう。どうしようかなぁ。
僕が思わずその手を睨みつけると、デイヴィッドがくぃっとそれを掴んだ。
「いいわよ。お金ならあるから。あたしのお・ご・り♪」
デイヴィッドの手の中から、慌てて自分の手を抜きながらも、土方さんは嬉しそうに言う。
「おう。じゃあ、今晩連れてけよ」
「まかして~」
デイヴィッドが僕のほうを伺うように見るから、僕は行かないよ…という意味を込めて手を振ってみせれば、通じたようだ。
「じゃ、後で迎えに来るわね」
そう言ってデイヴィッドは土方さんにウィンクしてから、ジャックと一緒に去っていった。一応、うちの周りを人に見られないように警護している…らしい。
猫の子一匹来ないと言って文句言ってたけど、これだけ一族の空気が濃厚なところに動物が来るもんか。まったく。




