第7章 視線(1)
僕が電話とメールに忙殺されて、くたくたになった頃、総司と彩乃は仲良く帰ってきた。なんていうか…。
総司と彩乃のお互いを見る目が甘くて、仕草とか、雰囲気とかが、甘くて…。いたたまれない。新婚家庭に居候しているとこんな気分になるんだろうか。
ちなみに、なぜか僕にお土産と言って、何くれたと思う? 和風柄の紙袋を開けて出てきたのは、白いウサギのキーホルダーだった。
袋をあけて、ウサギの赤い丸い目と目があった瞬間に、思わず僕の目も丸くなったら、彩乃と総司の二人に笑われた。どうやら僕が驚くのを待っていたらしい。
まったく。
なんとなく彩乃に雰囲気が似たウサギは、僕が持ってる刀の鍔のウサギに似ているからという理由で買ったとのこと。
折角くれたので、車の鍵につけた。普段は壁のフックにキーケースと一緒にぶら下がっている。なんだかそこだけファンシーな雰囲気になってしまった。やれやれ。
京都旅行は楽しかったらしい。壬生寺がいかに変わったか、屯所がどうなっていたかということを二人して、写真と一緒に身振り手振りで教えてくれた。それから二条城と御所も見に行って、あの時代では入れなかったところに入って、いい経験をしてきたらしい
その話を聞きながら、僕があの時代にこっそり会った家茂くんを思い出していたのは内緒だ。
ゴールデンウィーク明けの平日。今日から彩乃は講義が始まる。
僕はリビングのソファでコーヒーを飲みながら、テレビを見ているふりをしていた。ダイニングテーブルの上でバッグに色々詰めているのは彩乃。その横ではくっつくようにして、総司が彩乃の手元を見ている。
「彩乃、今日は何時に講義が終わる?」
これ、総司の台詞。
戻ってきたら総司は彩乃を呼び捨てにし、しかも丁寧な言葉すら崩れていた。
それを聞いて、彩乃が嬉しそうに微笑む。
「あ、今日は午前中だけだから、お昼過ぎには終わるよ?」
彩乃も総司に対して使っていた敬語はやめて、まるで僕や友達に話すように変わっていた。なんか、ラブラブ? っていうの?
はぁ。テレビの音をちょっとだけ大きくして、画面のニュースに集中しているふりをすれば、後ろからリップ音が聞こえてくる。
聞こえるんだよね。僕らの耳だと。まあ、いいけどさ。
「では迎えに行く」
「ほんと? 嬉しい」
あ~。もう。この居場所のない雰囲気。どうしたらいいんだ? またリップ音が聞こえて、僕は後ろが振り返れない。参ったなぁ。
「お兄ちゃん、行ってくるね~」
「はいはい」
僕はやる気なく振り返って手を振ると、彩乃が上機嫌で出て行くところだった。はぁ。
「俊?」
「何」
「どうしました?」
僕には言葉が戻るんだ。こいつは。
「総司」
「はい?」
総司は自分の分のコーヒーカップを持って、僕の前に腰掛けた。
「彩乃には敬語じゃないのに、なんで僕には敬語なの」
「いや、これは癖のようなものなので…えっと…こっちが普通です」
「屯所でも敬語じゃない総司って見たことなかったんだけど、彩乃の前だけ? どうして?」
「いや、だから…彩乃さんがどうしてもというもので…」
総司の顔がうっすらと赤く染まる。
「じゃあ、僕にも普通に喋ってよ」
「ダメです」
慌てて否定する総司に僕は眉を顰めた。
「なんで?」
「彩乃さんは特別なんです」
真面目に言い放った総司に、僕は全身の力が抜けそうになった。
「いや、特別だから、敬語使わないの?」
「そうです」
「じゃあ、僕も特別にして、使わないでよ」
「俊と彩乃さんは違うのでダメです」
何が違うのか…まったく。結局、色々と言ってみたけれど、総司の意思は固くて、敬語を崩すのは彩乃と喋るときだけという謎な状態は維持されることとなってしまった。
いや、でもいつか、僕も総司に敬語を外させてやろうと、密かに決心することにする。




