間章 旅行 1日目(9)
なぜ? どうして? 二人っきりなのに…。どうして、そんなことを思い出させるの?
いや…。わたしは…嫌なの。総司さんにわたしが血を飲むところなんて…見せたくない…。
総司さんの暖かい手が、俯いたわたしの頬をなでた。
「彩乃。怖がらないで。私たちは血を飲む。それは避けられないことで…。しかし…生きるために飲む。それならばそのような自分自身を認めるしか無いのではないかと思った」
顔が上げられない…。だって…血を飲むんだよ? 人間じゃないって…宣言しているみたいで…。思わず首を振ってしまった。
いや。いやなの。
「どうしてなの? どうして今なの? 二人きりなのに…」
「彩乃」
総司さんの手がわたしの頬を優しくなでて、顔を上げさせた。総司さんの優しい瞳と目が合う。わたしの視界は、涙で少しぼやけていた。
「どんなあなたであっても、私はあなたのことが愛おしいということを、わかってもらいたいから」
「なんで…」
「飲まないと身体が弱ってしまう」
「だけど…」
「彩乃」
総司さんの唇が優しく重なる。
「大丈夫だから。私が彩乃を嫌いになることはないから。一緒に生きるために、一緒に食事をしよう」
総司さんがボトルを開けた。甘い血の匂いがする。水筒に口をつけて、飲み干していく彼の喉を見た。
「彩乃は…私が血を飲んだら、私を嫌いになる?」
思わず首を振った。そんな。なるわけがないっ!
でも声には出せなくて…。黙って見ていたら、総司さんがキスをしてきた。舌で唇を開けられて、そして口の中にぬるりとした液体が広がっていく。
血の味。総司さんの前で人間ではないことを意識するのは嫌なのに…でも美味しくて。わたしを絶望的な気持ちにする。
「飲んで」
わたしの唇からこぼれて顎に向かって落ちていく紅い水滴を、総司さんの唇が追いかけて舐めとった。
「一緒に生きよう。彩乃」
こくんと喉を鳴らして飲み干す。美味しいの…。でも…。わたし…人間じゃない…。総司さんの前で、それを強く感じるのが悲しい。
「わたし…」
「彩乃。私と一緒に生きて。だから…ちゃんと食事をして。薬だと思ってもいい。これは私たちにとって薬も同然なのだから」
総司さんの黒い瞳。総司さんがまたボトルから口の中に液体を含む。そしてキスをしてきた。どうしていいかわからなくて…。そのまま唇を受け入れる。口の中に広がる血の味。
「彩乃。人間でも、人間でなくても、いい。私はあなたがいい。あなただから好きになって、あなだだからここにいても後悔がない。あなたは私が人間でないことが不満?」
そんなこと…。あるわけがない。わたしは強く首を振った。わたしたちがいたから、わたしたちのせいで…総司さんはここにいるのに…。こんな遠いところまで連れて来てしまったのに…。
「そ…そんなこと…」
絞り出すように声を出せば、ぎゅぅっと抱きしめられた。
「彩乃。だったら受け入れて。自分を受け入れて」
わたしがわたしを受け入れる? 首をかしげて総司さんを見れば、総司さんがコツンとおでこをぶつけてきた。
「あなたの全部が好き。あなたの紅い目が好き。あなたの五感が強いところも好き。力が強いところは…びっくりしたけれども…好き」
総司さんの言葉に笑みが混じる。ちょっと恥ずかしくなって頬が熱くなる。その頬にそっとキスをされた。
「恥ずかしがりやで、ちょっとぼーっとしているところも好き」
「総司さん…」
「優しいところも好き。あなたの声も好き。手触りのいい髪も好き。すべすべした肌も、かわいらしい唇も大好き」
総司さんがわたしの顔を覗き込む。
「彩乃。あなたが何であっても。何者であっても好きだから」
幕末の…あの総司さんとの別れを思い出した。
「あの時も…あの山で…総司さんの声が聞こえたの…幕末の…あの時代の…」
総司さんが目を丸くする。
「凄い。呟いただけだったのに…」
「覚えてるの?」
「覚えている。去っていくあなたを見て、本当に、あなたが誰でもいい。何者でもいいから傍にいてほしいと強く思ったから」
「総司さん」
再び、ぎゅっと抱きしめられた。
「彩乃。人間にこだわらないで。あなたは、あなたでいて」
総司さんの熱い吐息が耳元にかかる。
「そして…私と一緒に生きて」
もう一度、ぎゅぅっと抱きしめられて、そして総司さんがわたしにボトルを差し出した。
「飲む?」
こくんと頷いて、恐る恐るボトルに手を伸ばした。思い切って口をつけて、一口飲む。
食事…薬…そう。わたしたちの一族の生きる糧。口の中に広がる味。美味しい…。わたし…人間じゃない…。でも…。目の前の…総司さんと一緒なら…生きていける…。
わたしがもう一口飲むと、総司さんの手がわたしからボトルを受け取った。そしてもう一度自分が飲んで、それからボトルの中身を全部口に入れたかと思うと、ボトルを傍のテーブルにおいて、わたしを抱きしめてきた。
唇が合わさって、口の中にゆっくりと液体が流し込まれる。こくん、こくんと、ゆっくり喉を震わせれば、暖かいものが満ちていく。
全部飲み終わっても、総司さんの唇は離れず、舌がわたしの口の中を動き回っている。
「んんん…」
苦しくなって、抗議するように手を肩に置こうとして…そして唇が離れる。
「あなたが愛おしい」
総司さんが優しい目で、わたしを見ていた。
「彩乃」
返事をしようと思ったのに、それはできなくて。熱い唇がわたしの言葉を絡め取っていく。
「んぅん…」
もう返事ができない。
「愛してる。彩乃」
総司さんの声が聞こえて、口づけが深くなった。




