第6章 千客万来(7)
コーヒーを飲みながら、またパソコンに向かって情報を整理していたところで、ぽつりぽつりと雨の音がする。京都では降らなければいいけど…。
僕はキーボードを打つ手を止めて、コーヒーカップを持ってリビングに下りて窓から外を見た。
雨でも明るい夜だ。京の夜とは似ても似つかない。
「みんなが僕を愛してる…か…」
小夜さんの言葉を思い出す。それに思い出が重なった。
『あなたが世界を嫌いでも…世界はあなたが好きよ。
みんなあなたを愛してる。私も…あなたを愛してるわ。
私が死んで、身体が無くなっても、魂は無くならない。
あなたをずっと愛してる。
ずっと…ずっと…あなたの幸せを祈ってるわ』
僕が唯一本気で愛した女性の声が、頭の中で蘇る。
もう遠くなってしまった思い出。覚えていようと思ったのに…細かいところはどんどん忘れていく。
いや、もともとあまり覚えてないんだ。彼女と付き合ったとき、僕はいい加減で、人間なんてどうでもいいって思っていて…。
そんな僕の価値観を変えたのが彼女で。大事にしたかったのに、大事に出来なかった。
僕の正体が何であっても、彼女は変わらなかった。こんな僕をいつも大切に思ってくれて…それなのに…僕は彼女に応えられなかった。彼女にちゃんと気持ちが伝えられないまま、彼女は逝ってしまった。
コーヒーを飲んで、そしてぼんやりと彼女のことを思い出していたら、隣の空間がゆがんだ。
思わずびっくりしてコーヒーをこぼしそうになって、慌てたところで、僕の横にうっすらと人影が現れていく。
「父さん」
僕が声を出せば、人影は徐々にはっきりしてきて、父さんになった。
「おや。お前だけか」
僕は苦笑いした。
「悪かったね。彩乃は旅行中だよ」
「そうか」
「父さんはいつの父さん?」
「お前はいつのお前だ?」
またこの会話だ…。言い返そうとして、僕は諦めた。
「訊き方が悪かったよ。ここへ来る前はいつの、どこへいたの」
「明治元年の京都だな」
「ああ…じゃあまだ幕末で、僕らは帰った後だね」
「そうだな」
そして二人して黙り込む。僕としては別に父さんに用は無い。父さんが黙り込めば、自然と沈黙があたりを包む。
しばらく二人して立ったまま、視線を合わせないようにして沈黙し…。
僕が負けた。




