間章 謎の料理
お兄ちゃんが台所で何かをしている…。朝からずーっと鍋をかき混ぜているの。部屋に広がるのは柔らかな牛乳の香り。
「何を作っているの?」
お兄ちゃんの背中から覗き込めば、鍋いっぱいの牛乳。ホットミルク?
「これ? 蘇」
「そ?」
お兄ちゃんは、くるくるとかき混ぜていた杓文字を持ち上げて、わたしに見せる。でも普通に牛乳が滴っているだけだけど?
「ホットミルクじゃないの?」
「いいや。牛乳を煮詰めて造る昔のチーズ。ネットを見ていたら出ていたから作ってみたくなったんだよね」
「これでチーズになるの?」
「なるらしいよ? 煮詰めると」
弱火でよく煮詰めるんだって。じっと見ていたけれど、変わらない。お兄ちゃんは器用にも片手で本を読みながら、片手は杓文字でかき混ぜている。
うーん。見飽きちゃった。
「わたし、総司さんと出かけてくるね?」
「はいはい」
あ、聞いてない。こういう適当な返事をするときには聞いてないときなの。お兄ちゃんの悪い癖。
「出かけちゃうからね? 総司さんと」
「はいはい」
二度言ったからね? わたしはちゃんと言ったよ?
総司さんとショッピングセンターまで行って、ウィンドウショッピング。総司さんを電気屋さんに連れて行くと、いっぱい驚いてくれるから楽しいの。
そして数時間後に家に帰ってくると、家の中は甘い匂いが充満していた。
「これは何の匂いですしょうか」
玄関に入ったとたんに、総司さんが首を傾げる。わたしにはすぐに分かった。だって、甘いけど牛乳の匂いだもの。
「これ、お兄ちゃんが作っていた、そ、だと思う」
「そ?」
「そ」
二人してリビングとくっついている台所にいくと、お兄ちゃんが昼間見た格好のまま、まだ杓文字を回していた。もう何時間も経っているよ?
本から目を上げて、お兄ちゃんがわたしを見る。
「あれ? 出かけていたの?」
「出かけるっていいました」
「聞いてない」
ほら~。言ったのに。聞いてないから。
「言いました。二度も言ったもん」
「そう?」
「うん。言った」
わたしはお兄ちゃんがかき混ぜている鍋に近づいた。やっぱり甘い匂いがする。
「固まってきたね」
べったりとした感じ。お菓子を作るときのクッキーの生地みたい。
「そろそろいいかなぁ。ある程度固まったら、型に入れて冷めるまで放置して、その後は冷蔵庫らしいんだよね」
お兄ちゃんがいそいそと嬉しそうにタッパーを用意する。こういう変なことをしているときのお兄ちゃんって嬉しそうだよね。
ケーキの生地みたいな物体が、タッパーの中に移動していく。
「お砂糖入れたの?」
「入れてない。煮詰めていたらこんな風な匂いになった」
なんか匂いだけでも美味しそう。でも、鍋いっぱいだったはずが、ほんのちょっとの量に減っていた。
「ちょびっとだね」
「そうだね。労力の割りには、実入りが少ないなぁ」
お兄ちゃんはタッパーを見ながら言う。うん。こんなに長い時間かきまぜていたなら、本当に大変だったと思うよ?
冷めたところで冷蔵庫に入れて、さらに数日は発酵のために待つと良いって言うので、食べることができたのは、5日後だった。
口に入れると、ほろりと溶けて、優しい甘さが広がっていく。なんだろう。自然な甘さのチーズケーキみたい。
「おいしいね」
わたしが感想を言うとお兄ちゃんは少し誇らしそうだった。総司さんも小さく切り分けた欠片を食べてから、「いけますね」と言ってすぐに二つ目を食べていたから気に入ったんだと思う。
でもわたしが、「また作ってね?」というと、お兄ちゃんは渋い顔をした。
「時間がかかりすぎて面倒だよ。昔の人ってよくこういうものを作ったよね。物好きだなぁ」
そうだね。でもそれを再現するお兄ちゃんも、相当物好きだと思うよ?
1年ぐらい前に「蘇」を作ったことがあります。少量だけ作ったつもりだったのに、出来上がったのは12時間後でした。いや~大変でした。味は美味しかったですが。レシピとしては、焦がさないように弱火で牛乳をひたすら煮詰めるだけです。その後は書いたとおり、ある程度固まるようになったら型にいれて冷ましてから、冷蔵庫で冷やして、数日置いてから食べると良いです。かなり濃厚な味です。美味しいですけど、大量に食べるのはきついかも。




