間章 滋養 その1(1)
------ 彩乃視点 -------
「彩乃、そっちだ」
暗い山の中、鬱蒼と茂った木の間に、どどどっと走る音が聞こえてくる。
微かなお兄ちゃんの声に、両手を広げて自分の全力を出した。瞳が赤くなるのがわかる。そして正面から走ってきた獣を両手で受け止めた。
ばさばさと木の枝が揺れる音がして、お兄ちゃんが降りてくる。
「よし。そのまま離さないで!」
お兄ちゃんが縄を出してきて、獣の首と足を縛り上げる。獣は悲しげな声を上げた。
「ごめんね」
思わず悲しそうな目をした獣…猪から視線を逸らしてしまった。
身体が良くならない総司さんに何かしてあげたいとお兄ちゃんに相談したら、肉を食べさせるといいって教えてくれた。ジヨウキョウソウが大事なんだって。
「でも肉はなかなか手に入らないから、狩りをしないといけないかもしれないよ?」
お兄ちゃんの言葉に、すぐに頷いた。
だって、わたしができることだったら、なんでもしてあげたい。
その気持ちはお兄ちゃんに伝わったみたい。お兄ちゃんは深いため息をつくと、ひょいと肩をすくめた。
「仕方ないね。じゃあ、今夜にでもやる?」
「やる」
獲物を二人で探して見つけたら、お兄ちゃんが追い掛け回して、わたしが止める。それが簡単な作戦。
そして今、わたしの目の前に捕まった猪がいた。
「彩乃、向こうを向いていて」
「なんで?」
「見ると多分、お肉が食べれなくなるよ」
殺すんだ…。
お兄ちゃんの言葉に、現実感を持って肉食の意味を感じる。
「耳も…むずかしいかもしれないけれど、塞いでて」
わたしは素直にお兄ちゃんに背を向けると、耳を塞いでしゃがみこんだ。
でもその瞬間の音は聞こえた。
ゴキッ。
骨が折れたような音。
「ふぅ」
お兄ちゃんの息を吐く音が聞こえた。
思わず振り返ると、さっきまで生きていた猪は、死んでいて、その死体にお兄ちゃんが牙を立てていた。
「の、飲むの?」
お兄ちゃんが目だけが上に動いて、わたしを見る。
そして猪から牙が離れて、顔ごとこちらを向いた。バツが悪そうな顔で笑う。
「あ~、血抜きしないといけないんだけど、これが一番手っ取り早いんだよね~。おいしくないけど。彩乃も飲んでみる?」
おずおずと頷いて、恐る恐るお兄ちゃんの横にしゃがみこむ。
「匂い、凄いよ」
たしかにずっと獣の匂いがしていた。顔を近づけるとその匂いは強くなる。
お兄ちゃんが口をつけていたところから、わたしも口をつけた。
こくん。
まずい…。なんか臭みがある…。
思わず口を離してしまって、お兄ちゃんを見た。
「こんなの、飲んで大丈夫? お腹壊さない?」
お兄ちゃんが苦笑いする。
「大丈夫だよ。おいしくないけど。まあ、なんとなくお腹が一杯になる感じ」
お兄ちゃんだけに飲ませるのは申し訳なくて、もうちょっと飲もうとしたら肩をつかまれた。
「大丈夫、こういう味も慣れてるから」
お兄ちゃんはそういって笑うと、また牙を立てる。




