第23章 偽りの契約(1)
困った…。気配を消したまま、僕は屯所の屋根から下りられなくなっていた。
夕日が綺麗だな~って思って、人目が無いのをいいことに屋根に登って、ほけら~と見ていたら、下からなにやら話し声がしてきて、そして僕は思わず気配を消してしまい、そのまま今に至る。
あまり意識せず登ったんだけど、真下は総司の部屋だったらしい。
「彩乃さん…」
総司の掠れた声がする。
「はい」
彩乃の消えそうな声が聞こえた。
もう状況が分かったでしょ? これ、どうしたらいいんだよ。
こんなことだったら、さっさと降りておくんだった…。後悔先に立たずとは良く言ったもんだ。仕方なく、恨めしげに沈む太陽を見ながら、僕は気配を消したまま屋根にいる。
「人を斬ったのが辛いですか」
「はい…」
本当にぽつりと彩乃が返事をした。
「すみません。副長助勤という立場では…あなたを慰められません。彩乃さんが新撰組の隊士である限り、『敵は斬れ』としかいえません」
総司が苦しそうに、静かに告げる。
「わかってます。わたしも覚悟していました。お兄ちゃんと約束したんです。みんなを守ろうねって。だから大丈夫です」
けなげに彩乃が答える。
池田屋から二週間程度。彩乃は今もまだ、暗い顔をしていることが多かった。
「でも、彩乃さん…」
また総司の声が聞こえる。
「はい」
「男として…あなたを慰めてもいいですか?」
「え…それって…」
「無粋ですけれど、なかなか伝わらないので…すみません。はっきり言います。私はあなたが好きです」
うわっ、言ったよ。総司。はっきりと言ったよ。僕は屋根の上で気配を出しそうになって、慌てて絶った。危ない危ない。気付かれる。
「好きっていうのは、畑を耕す鋤のことではないです。薄でもないですし、えっと…他に間違えそうな言葉は…口をすすぎたいとかでもないですし。隙ができるでもないです。空きっ腹でもないですし。透き間でもないです。えっと…。とにかく、あなたを愛おしく思っています」
彩乃の驚いた顔が目に浮かぶようだ。辛うじて聞き取れる程度の、「はい」という小さな返事が聞こえた。
「一応言っておくと、あなたというのは、彩乃さん、あなたのことです」
「はい」
「彩乃さん。私は…私っていうのは、ここにいる私のことで…。私はあなた自身を心から一人の女人として大切に思っています」
「はい…」
彩乃の涙交じりの声が答える。
凄いな。総司。念を押し捲りだよ。まあ、仕方ないよね。今までが今までだから。




