第20章 信じるもの(3)
部屋に帰ると彩乃が僕の作った問題集を唸りながら解いていた。
「おかえりなさい」
眉にしわを寄せたまま彩乃が顔をあげる。
「どうした?」
「お兄ちゃんのこれ、難しいっていうか、問題がヘン」
「そう?」
「だって、『友達や家族の今までやっていないことを説明し、どうしたらそのことをやっていたか理由を書きなさい』って、何書いたらいいの?」
僕は肩をすくめてから、彩乃の前に座りこんだ。
「なんでも。まずは今までやっていなくて、今もしていないものを説明するからpresent perfectである必要がある」
「ぷれ…なに?」
「え? 知らない? えっと…こういう文。My sister has never climbed Mt. Fuji.」
彩乃が眉をひそめる。
「早くてマウントフジ…以外聞き取れなかった。それにお兄ちゃんの発音、ヘン。学校で習ったのと違うよ」
「失礼な。僕のは正統派の英語なの。英語って言ったら、イギリスだよ。彩乃が習ったのは米語だから、アメリカ英語だよ。もう。仕方ないなぁ」
僕はゆっくりとアメリカ英語を意識して言い直した。今度は聞き取れたらしい。
「えっと…、妹は富士山に登ったことがない…っていう意味。ここでのポイントはhas neverを使うってことと、動詞のclimbがclimbedになること」
彩乃がポンと手を叩いた。
「現在完了形」
「現在…何?」
「現在完了形っていうんだよ。それ」
日本語の文法用語なんて知らないよ。
彩乃はもう一回僕が作った問題集を見た。
「お兄ちゃん。だったら問題に、現在完了形で表しなさいって書いてくれたらいいのに」
僕は腕を組んでため息をつく。
「あのね。実際の会話の中で相手が『現在完了形を使いなさい』なんて言ってくれるわけないでしょ」
彩乃が小首をかしげた。分かってないな。
「語学をなんのために勉強するって、相手とコミュニケーションをとるためなんだから」
「うん…そうだけど…」
「普通の会話だったら、現在形だけ使えれば十分に通じるよ」
「そうなの?」
「アジアの言語なんて未来形も過去形もないものが多いんだ。『明日』とかつければ未来形。『昨日』って言えば過去形。それを英語でやれば通じることは通じる。文法的には違うけど、通じりゃいいんだったらOKでしょ。Yesterday, I go to the shop. で十分、昨日、店に行ったんだなって通じる。本当だったらwentがいいけどね」
彩乃がまじまじと僕の顔を見た。




