間章 秘伝の薬
------ 土方視点 -------
「ほんとに助かるよ。彩乃ちゃん。ありがとね」
「ほんとだよ。兄さんにもお礼を言っといておくれよ」
通いで来ている女中たちの声が響いた。俺は思わず廊下の端で足が止まった。
なんだ? 扉の向こうか?
「良く効くんだよ。この薬。一体、どうやって作っているのか、うちに出入りしてる薬屋にも聞かれちまったよ」
「秘伝の薬だそうです」
彩乃の声が答える。
「あまり作れないし、作り方は教えられないって言ってました」
その言葉に女たちからため息が漏れる。
「そうかい。冬は手も足もアカギレになって痛い思いをしてる女が多いからね。できれば分けてやりたいっておもったんだけど」
「すみません。ここの皆さんの分で精一杯ですって…お兄ちゃんが…」
彩乃のすまなそうな声が続いた。
「わかったよ。大切に使わせてもらうよ」
「ほんとだよ。助かってるからね。くれぐれも兄さんによろしく言っとくれよ」
「はい」
思わず俺は扉の向こうを盗み見た。その瞬間に彩乃と目が合う。まるでこっちの動きが分かっているかのようじゃねぇか。まったく。
「あ~。よぉ」
俺が挨拶すると、女中連中がさっと、頭を下げて散っていく。
その手に小さな貝殻をあわせたものが握られていたのを俺は見逃さなかった。
彩乃が俺を見て小首をかしげた。
「今のなんだ?」
「薬…です。アカギレの」
俺の問いに答えるこいつの声は、頼りない。俺はなんかしたか? いじめたみてぇじゃねぇか。
「薬? どうやって手に入れた」
「お兄ちゃんが作ったんです」
「どうやって」
「あの…秘伝なので…」
また秘伝かよ。あいつ、秘伝が多すぎる。
「すみません。お兄ちゃんに聞いてください」
失礼します…と呟くと、俺の横をすり抜けて逃げていきやがった。脱兎のごとく…とはまさにこのことだ。
俺はそのまんま宮月たちの部屋に向かうと、あの兄妹が何やらやっているところだった。
「みんな良く効くって喜んでたよ。すぐに切れたのが治るって」
彩乃の言葉に宮月が眉をひそめる。なんだよ。そこは喜ぶところだろう。
「それだと効きすぎかもしれないなぁ。分量の調整が難しい…」
ごりごりと乳鉢で何やら混ぜている。
「あ…」
また俺がいることに気付いたように、彩乃と目が合う。
なんでだよ。距離あるだろうよ。そこで気付くかよ。普通。
「土方さん…」
ぽつりと呟いた彩乃の声に、兄貴の方も顔をあげた。俺を見てにこやかに微笑んでくる。
「どうしたんですか?」
どうしたもこうしたもねぇよ。
「その、薬が…」
宮月の視線が乳鉢に落ちる。
「ああ、これですか。ちょっとした軟膏ですよ。実験的に作ったら、なんか上手くできちゃって。ははは~」
いや、その笑い、怪しいだろ。
「何を混ぜてやがる」
「蜜蝋とか? 色々?」
「なんだ、その疑問形」
「いや、秘伝なんで。ナイショです」
またかよ。
「おめぇ、どこからその『秘伝』を学んでくるんだよ」
そう言った瞬間に、宮月の視線が泳いだ。
「えっと~。あちこち?」
だからなんで疑問形なんだよ。
「返事になってねぇだろ」
「秘伝はナイショだから、秘伝なんですよ」
開き直りやがった。
「だから邪魔しないでくださいね」
そう言って俺を無視して薬を混ぜ始める。
「俺にも一つくれ」
「嫌です」
即答かよ。
「いいじゃねぇかよ」
「土方さんの手、アカギレてないでしょ。必要ない人には差し上げません」
そうきっぱりと言いやがる。
「おめぇ…」
俺がさらに何かを言おうとしたとたんに宮月が顔をあげた。呆れたような表情で俺を見る。
「この薬は、この屯所で水仕事をしてくれている女性に対するお礼なんですよ。土方さんにもお礼の気持ちはありますよね。彼女たちが来てくれるまでは、交代で当番やってたんですから」
俺はぐっと詰まった。確かにこいつらが来たばっかりのころ、少ない人数のときには食事一つ作るにしても苦労していた。
「わかったよ」
「分かればいいんです。分かれば。邪魔しないでください」
そういうと宮月は乳鉢の中身を混ぜることに没頭し始めた。俺は仕方なくその場を離れることにした。どうにもこの件に関しては、こいつに口で勝てる気がしねぇ。
まったく。




