第10章 遠い友情(1)
神様がみんな出雲に行ってしまうので、神様が居なくなる月、神無月。十月だ。亥の月とも呼ばれて、初めの亥の日に炬燵を出すと火事を出さないといわれているらしい。初めの亥の日っていつだろう?
あちこちの菓子屋で亥の子餅の宣伝を見かけるんだけど…。なんかカレンダーのシステムが今一つ良くわからないんだよね。
ちなみに時間(時計)のシステムも難しい。これ、最近になって、ようやく分かったんだよ。がんばって説明してみるとこんな感じだ。
日の出と日の入りが六つ時。明け六つと暮れ六つと呼ばれる。日の出が変わると一時といわれる時間が変わってしまう。
単位となる時間が伸びたり縮んだりするわけだ。
真夜中の零時がスタートの子の刻。そして丑、虎…と十二支の順に続いて、昼の十二時が午の刻。この要領ですべての十二支を当てはめる。
陰陽道の考え方の陽の数の一番大きな数(=陽が極まった数)九を子の刻と午の刻に打つことにしたので、この時間に九つ鐘が打たれる。
(ちなみに最大陽数の九というのは「九字を切る」理由もここから来てるんだって。そして陰が極まった数が八。なので、八角形のものを廟堂にしたりするらしい)
続いて丑(&昼は羊)の刻が、9の倍数の18。でも打つ数が多すぎるので、一桁の八だけとって八つ時として、八回打つ。三時のおやつっていうのは、ここから来てる。
その次が9を3倍して27になって、一桁の数字をとって、七つ時。さらに次が4倍で36の一桁で六つ時(これが、「暮れ六つ」と「明け六つ」)。その次が5倍の45で、五つ時。その次が6倍の54で、四つ時。その次は、子の刻か午の刻に戻っているので、九つ時。
うーん。多分、この説明で合ってるはず。今一つ自信がないのは、仕方ないよね。みんな普通に生活してるから、あまり正面きって聞くわけにもいかないしさ。
実は現代で和時計を見たときに謎だったんだよね~。なんで表示が四~九の数字だけなんだ? って。九の倍数の数の一桁だけを表示するから、変なわけだ。ここにきて、ようやく謎が解けたよ。
実際にその中で生活してみると、めちゃくちゃ感覚的。分刻みで生きていた現代から考えると、五分十分のずれなんて、当たり前。まあ、時計を持って動いてる人なんて、まれだしね。
今日の午後は非番だった。彩乃は壬生寺に遊びに行ってしまったし、その辺でもぶらぶらするか…と夕暮れ時、着流しの手ぶらで屯所の外に出たら、善右衛門さんが立っていた。
「俊哉さ~ん」
情けない声を出して、善右衛門さんが駆け寄ってくる。思わずそのまま回れ右をしようとしたところで、がしっと腕をつかまれた。
「なんで避けるんですか! お誘いが来なくて、もう…」
半泣きになりながら僕の腕をつかんでくる。あ~、ここ半月ぐらい、善右衛門さんを誘ってないな~。例の小夜さんの件以来、会うのが面倒なんだよ。
「もう何もいいません。小夜のことは言いませんから、前みたいに誘ってくださいよ」
あまりの情けない声に僕は吹き出しそうになった。わかってはいるわけだ。
「ん~。じゃあ今夜でも?」
そう言った瞬間に、今までの半泣きはどこへやら。
「はいっ! 絶対ですよ」
満面の笑顔を見せると、善右衛門さんは喜んで僕に念を押して帰っていった。
いやいや。




