第8章 雨の長夜にすることは…(8)
芹沢さんが殺された八木邸は、最初に僕たちがいたところだ。
ひょいっと門から覗くと、昨晩の血の匂いがまだ残っていて、むせ返るようだった。
その中で僕の耳に微かにうめき声が聞こえてきた。
子供?
勝手知ったるなんとやら。入り込んでいくと、八木さんちの縁側に出た。男の子が一人、縁側で足を抱えて寝転んでうめいている。
今はあまり会うことがなくなってしまったけど、八木さんちの息子さんで…何くんだったかな。
「どうした?」
声をかけると、ビクリとしたように震える。
「ちょっと見せて」
僕は男の子に近づくと、少年は身体を起こして座った。その彼の前に屈みこんで、足をつかむ。左の膝から太腿にかけて巻いたさらしから血が滲んでいた。
「痛いの?」
さっきまでうめいたのに、そっぽを向いて黙り込む。でもその様子は何かにおびえているようだった。
僕はため息をついた。
「ちょっと失礼」
そういって有無を言わさずに、しっかりと足をつかんでさらしをとって、傷口をさらした。ぱっくりと切れている。この大きさから見て、刀傷だろう。
かなり深くて…このままだと、こっちの足には不自由が残るんじゃないかって感じだ。
「ねえ、君の名前を教えて」
僕は傷口はそのままに、彼と目線を合わせて尋ねる。
「八木…為三郎…」
ぼそりと、彼が答えた。
うん。よし。
「八木為三郎」
僕は名前を呼んで、瞳に力をこめた。
彼の身体が揺れる。
強力に暗示をかけるのならば、相手の名前はあったほうがいい。本人が本名だと思っている名前を呼ぶのが有効。名前は一種の呪だって、どっかの陰陽師が言っていたけど、本当にそうだと思う。
「これから、僕がすることは忘れること。この場に僕はいない」
「はい」
いい返事だ。それと僕はもう一つ思いだしたことがあって、彼に告げた。
「君が、もしも新撰組のことを語るときには、僕と彩乃のことは忘れること」
「はい」
よしよし。将来、記録に残されると厄介だからね~。
それから僕は彼の傷に口を近づけた。ざっくりと切れているが幸いなことに骨の手前のようだった。
喉の奥の液体を絞りだして、舌で彼の傷に擦り付ける。奥からじっくりと舐めていくと、見る見るうちに傷がふさがっていった。
まあ、まだ表面の傷は残っているけど、あとは自然治癒するだろうというところで、止めて、さらしを巻きなおす。
まだぼーっとしている為三郎少年をおいて、僕は八木邸を出た。
これも…必要な犠牲なんだろうか。複雑な気分だった。




