1.5章 起動・幻実
チームの皆で使うチャットルームは特別製だ。普通の経路では到達できない場所に作られていて、入るためにはパスワードを必要となっている。
パスは三百六十七桁。通常なら入れるはずはない。正面から入ろうとすると専用のツールでも使わないといけないと思う。
「まっ、穴から入ればいいんだけどっと」
それなりの腕を持つハッカーなら入れるような穴をすぐ見つけ出してそこから入るのがこのチャット室の流儀。
他人がもしも入ってこないように、とここを軍や警察、民間の警備会社に見つけられた際に少しでも逃げる時間を稼ぐために必要な処置。なんて名目だけどリーダーの趣味が大いに含まれていると思う。
あの人は現実でも幻実でも真面目そうな顔して子供みたいな事するからなぁ。
「……んーと、まだ誰も……」
見知ったアバターが居ないと黒い室内を見渡した所で、四角い物体を発見した。
元から在る風景オブジェクトじゃないのは見ただけでわかる。ただのプログラムでもないのだということも、長年の勘で理解できる。
だからその四角いのはアバターなのだろうけど。
勝手に入ってきたにしてはあまりにも堂々とし過ぎている気がする。なら予測できるのは一人。
「……初めまして?」
どうせだから部屋の内装を和室に変えながら挨拶をする。
えーと。掛け軸と、急須にお茶、と。畳に衾。音楽は、和風の曲でもかけて、と。
「……どうも。初めまして」
少年特有の中性的な声が聞こえた。
合成音声にしてはどうにも特徴がありすぎる。声調も少年らしい。これが演技なのだとしたら舞台俳優とか声優になった方が才能を有意義に使えると思う。
「えーと。このチームでアタッカーをやっている“千日手”だ。皆からは像って呼ばれてるけど、俺としては千って呼んで欲しいな」
最初はサウザンド・ワンとか付けようとしていたんだけど冷静に考えるとちょっとかなり恥ずかしい事に気づいた。もうちょっとセンスの良い名前を思い浮かべる事が出来たら、とは思うけど。
「どうも。……ハルモニアです」
調和、か。……センスが卓越している気がする。しょ、小学生にしては。悔し紛れなんかじゃない。うん。
「そのアバター自分で作ったのか?」
見た目ただの四角にしか見えないんだけど。
こう、あえて褒めようとすると黒い豆腐とか?
「はい。その、棺桶の形にしようとして、作る方は手をつけたことがなくて。今まで技術の、ハッキングの方だけを高めようとしてたんで、得意じゃないんですよ」
小学生でそこらの知識を得ようした事がすでに普通じゃあないだろう。
何歳なのかわからないから上手く言えないが。
ここに入れる、そしてリーダーに目を付けられる程の腕前だとするとグラフィック方面が苦手でも問題ないと思う。自分で何でもやれる方がいいに決まっているんだけど。
それに言い様だけで分かった。うん。これは、小学生だ。
自分の未熟な部分を認めたくないっていうのがその顕れだと思う。
「それじゃあ俺が何か作ろうか? 俺もそんなに上手い方じゃないけどな」
教えるにしてもコツぐらいしかない上に、これはセンスだからなぁ。数をこなすしか手段がない。
「できるなら、その。お願いします」
そういう所は素直でいいと思う。ここでひねくれた事を言うものならちょっと鉄拳的な教育とかしないといけないところだしね。
個人的な趣味とかじゃなくて、チームワークを良くするために。という題目で。
「棺桶の形でいいか? 戦闘用のアバターがあるならそれも作るけど」
「あ、いえ。徐々に練習して自分でやります。こういうのは経験だってやっぱり思いますし」
向上心があるのはいい事だと思う。小学生のうちから人に頼り過ぎると、後々で悪い結果を招きそうだしね。
心配なのは、人に頼らなさすぎる事だけど。さっきの様子を見る限りは平気だろう。
「んじゃ、皆が来るまで作業してるな。グラフィックは大まかな部分は作るけどプログラム部分との兼ね合せは自分で頼む」
「はい。それくらいはできます」
たまにグラフィックだけ大きくて、もしくは小さくて実際の挙動と合ってないのがあるからそこはきちんと言っておかないと。それでもいいけれどね、ただ見ていて気持ち悪いだけで。
ふと気づいたけどこれじゃあ過保護な親みたいだ。小学生とはいっても彼はハッカーなのだから余計なお世話になりかねない。
さて、作業に集中しよう。
「ういーす。って和室ってことは像か。っと、新人がいんじゃねーか。うっすー。俺様は“クラブのキング”ってんだ。よろしくな」
「像とキング早いね。新しい人は始めまして。私はスプリングラビット。よろしくね」
「うーっす。皆早いなー。んでー俺は法一ー。気軽にいっちゃんとか何でもいいぜー」
気がついてログを見ると皆がいつの間にか来ていて、ハルモニアに挨拶をしていた。
時間を見ると一時間近く経っている。案外没頭していたみたいだった。うーん。これは悪い癖、だなぁ。
見渡すと擬似音声を使っての挨拶はとりあえず終わっているようで、ハルモニアと他の皆はそれなりに話していた。
そういえばこのチームで肉声を使っているのはリーダーと法一と兎だけか。ハルモニアは会った時に肉声だってわかるのだろうけれど。
特に理由もないのだろうけど、自分を全く隠していないようで羨ましいなぁ。自分で自分を隠しているからどうしようもないのだけれど。
「……ん? 皆早いな」
最後に、とでもいうようにリーダーが欠伸をしながら部屋にやってきた。……まだ七時だっていうのに早い。
何かあったのだろうか。
「リーダー、今日は早いのな」
どうでもいいといえば、どうでもいい。けれど少し気になったから仕方ない。
言えないならうまく隠してくれるだろうしね。
「ああ。仕事が早めに終わってな。……一応自己紹介はしておこうか。ストレイドックだ。これからよろしく頼む、ハルモニア」
「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
互いに頭を下げて、自己紹介は終わったみたいだ。
「ハルモニア。はい、グラフィックデータ。作り終えたから明日にでも組み込むといいよ」
データを冷蔵庫に入れて、一分待つ。そして出てきた氷の固まりをハルモニアに渡す。冷蔵庫の中に入れて圧縮するっていう表現を使っているけど、これが中々楽しい。他の皆には不評なのが納得いかない。
「ありがとうございます。それじゃあ五分で終わらせます」
もらったデータを普通に解凍して、ハルモニアが黙った。……うーん。五分は難しいと思うのだけど。
「んじゃ、作業してる間に決めようぜ。どこ行くよリーダー。シャングリラにそろそろマジで挑むか?」
キングがリーダーに問いかける。口調はどこか挑発的だ。
この間からシャングリラの話はよく出るけどリーダーは準備が整っていないとだけ答えるからキングは不満が溜まっているのかもしれない。
まっ、キングは伊達に破壊王って自称しているわけじゃないから気持ちは解るのだけどね。噂が噂だから、下手に深く突っ込むのは危険だと思う。
「いや。まだだな。ハルモニアとの連携をよくするためにも、今日は、そうだな。人口無能を搭載した防衛システムある場所に挑んでみようと思う。今の状態で挑んでもチームワークがばらばらになるだけだろうしな」
苦い顔でキングが押し黙るけど、こっちはリーダーに賛成だ。
他の皆はどうだろう。
「私もまだだと思う。噂半分だとしても危険な事には変わりないし」
「俺は皆に任せるぜー」
兎はリーダーの意見に賛成で、法一はいつも通りに中立。
ならこれで三対一対一。
「……作業終了です。えーと、シャングリラってなんですか?」
さっき作ってあげた棺桶のグラフィックになったハルモニアが疑問の声を上げる。
「うぉ。早いな。いや、まぁリーダーに見込まれるんだからこれぐらいは出来て当然か」
「余りそいつを見くびらないほうがいいぞ」
確かに。リーダーに誘われる程なのだし。……こっちは出来ないからなぁ。そこまで高速で組み込むことは。
「あー。うん。とりあえず、ハルモニアは知らないんだ」
これは色々なチームの間でだけ流れている噂話的なものだし。一人でやっていてこの話を聞く機会は滅多にないと思う。あえて聞くなら掲示板だけれど、あそこにハルモニアが一人で行くのは少し早い。
「リーダー、説明任せる」
「像、お前はもう少し説明を覚えた方が良いぞ」
説教は聞く気がありません。
「はぁ。ハルモニア。幻実世界に囚われるって噂は聞いた事がないか?」
「一応、学校でも噂話とかであります」
へぇ。最近の小学校じゃそこらの噂が流れるんだ。怪談みたいな話だしなぁ。
実際は怪談なんて生易しいものじゃないけど。
「それなら話は早い。幻実世界じゃ五感が潜り込めるわけだ。現実の方に接触がなければ、俺たちは幻実世界を現実のように感じられる。ならもしも幻実世界に五感だけが囚われた場合はどうなると思う?」
ちなみに皆はリーダーの真面目な説明も聞かずに好きな事ばかりしている。これだからチームワークとか培う事ができないって言われているの、わかっているかなぁ。
「えーと、現実世界に戻れなくなる?」
「正解だ。何でもどこかの研究機関が現実世界から抜け出すための実験としてそれを行っているやら」
例を出そうとしたリーダーの後に兎と法一が突然口を開いた。
「魔術団体が神様に近づくために、精神体として人間を進化させようだとか」
「究極のAIを作ろうとしてるやら色々な噂話が流れてるんだぜー」
「あっ、てめぇら俺様が最後締めようとしたのにとりやがったな!」
こんな所で無駄なチームワークを発揮しなくても……。まぁチームワークに乗り遅れたキングがちょっと五月蝿いけど。
「はいはい。キング落ち着けって。とまぁ、リーダーと兎と法一の言った場所が、シャングリラって事だ。噂話だから話半分で聞くといいんだけどな。俺もそんなに信じてないし」
もちろんその無駄なチームワークには乗るけどね。
「入ったら抜け出せなくなる場所がシャングリラ、って事ですか?」
おや理解が早い。それに的を射た表現だ。
「そう。シャングリラに入った者は、一人も還ってきていない。これも噂だがどこかのチームが潜って一人からの通信が途絶えたらしい。リアルでも知り合いの奴がそいつの家に行ったら、入った奴が原因不明の昏睡状態で倒れていた、という話も聞いたことがあるぐらいだ」
ちなみにこれは、限りなく本当に近い噂だ。そのチームは、原因を探るために全員がシャングリラに入って戻っていないから本人たちの口からはもう聞くことのできない情報だけど。その話を聞いた情報屋が調査したので間違いはない。
「怖いですね」
感心したような、けれど現実感のない声でハルモニアは頷く。
信じていないのかもしれないし、信じているのかもしれない。ただ、口調に混ざる感情から見ると挑戦したいという気持ちが見えている。
うーん。ハルモニアとキングが似ているのか、それともキングが子供っぽいだけなのか。
微妙な所だなぁ。
「ああ、怖ぇぜぇ。でも挑戦したいと思うよな? 棺桶」
「……棺桶って誰ですか」
「おめぇだ」
「……。まぁ、同意します」
姿をまんま言っているだけだ。でもハルモニアより呼びやすいから今度からそう呼ぼう。
そういえば像や犬や兎もキングが言い出したんだよなぁ。人にあだ名付ける人って身近に一人は居るんだよねぇ。
「とはいっても、シャングリラに挑むのはもう少し先にしようと思う。ハルモニア……棺桶もチーム戦になれてないしな。何箇所かで腕試しをしてからでも十分間に合うだろう?」
攻略されたとしたらまた別のところに行けばいいし。
けれど、行く気がないわけじゃ、ない。
「難易度の高いところは俺も行きたいから段階を踏んでいこうぜ。君子危うきに近寄らず。俺らは君子じゃないから近づくけど、備えあれば憂いなしって言うしな」
興味のある所に行かないなんて、そんな事はしない。早いか遅いかの違いってだけだし。
「あぁ? だってよー。最近つまらねぇし難易度の高いところいこうぜ?」
「むぅ」
二人とも不満そうだなぁ。でも、こればかりは譲らないし、リーダーも譲らないだろう。
この二人が単独で行く可能性はあるけど、その時はその時だ。
棺桶はどうだか知らないけれどキングは理解していると思う。
「……畜生! てめぇら覚えてやがれ!」
誰も答えなかったからかキングが逃げ出した。
風が噴くエフェクトまでおまけでつけるというサービス込みだ。おまけに桶も転がっている。
……理解、しているのかなぁ。
「落ちるのはいいが三十分後には戻ってこいよ」
部屋から出る前に言ったから確実にログか何かには残っているだろう。たまに子供っぽいって言うか。女々しいっていうか。
そういう所あるからなぁ。あいつ。