11.5
水魔法は、嫌いじゃない。
正確には――純水魔法が嫌いだった。
「また失敗か」
訓練場の床に、水が情けなく広がる。
形を保てない。圧も足りない。剣術大会を目前に控えた今でも、俺の水魔法は“教本通り”には動かなかった。
師範はいつも言う。
「水は純粋でなければならん。不純物が混じれば、魔力の流れが乱れる」
分かっている。
理屈も、常識も。
――でも。
「流れてるだろ」
小さく呟いたその瞬間、剣の稽古で切った指から血が垂れた。
赤が水に溶け、薄く広がる。
師範なら、ここで魔法を止めろと言うだろう。
血が混じった水は、水ではない。操れない。
だが俺は、無意識に魔力を流していた。
――動いた。
血混じりの水が、ゆっくりと、だが確かに俺の意志に応じて持ち上がった。
「……は?」
自分でやっておいて、声が漏れる。
形は歪だ。純水みたいに綺麗じゃない。
それでも――
「流れは、同じだ」
その時、頭の中で何かが噛み合った。
今まで俺は、“水を操ろう”としていた。
でも違う。
流れを操っている。
水かどうかなんて関係ない。
粘度があろうが、不純物が混じろうが、動くものには必ず流れがある。
それを掴めるかどうか――ただそれだけだ。
師範に見られていたら、確実に否定されただろう。
だがこの感覚は、俺の中で確信に変わっていった。
⸻
数日後。
人目を避けて、俺は倉庫に籠もっていた。
「……油」
ランプ用の油を、水桶に垂らす。
当然、油は浮く。水と混ざらない。
普通の水魔法使いなら、ここで詰みだ。
「混ざらない、か」
でも――流れは断絶していない。
水が揺れれば、油も揺れる。
上下に層はあっても、全体としては一つの流体だ。
魔力を流す。
一気に、じゃない。細く、慎重に。
頭が焼けるように痛む。
混合物の制御は、純水の何倍も魔力を食う。
「……っ」
視界が一瞬揺れたが、それでも集中を切らさない。
水が動く。
遅れて、油が引きずられる。
次の瞬間、油だけが“遅れて”形を変えた。
「――できた」
水に操られ、油が動く。
だが次第に、油の流れだけが浮き彫りになる。
俺は、水を媒介にして油を操っている。
いや、正確には――
「水も油も、同じ“流れ”だ」
だから分離できる。
だから操れる。
これが俺の魔法。
教本にも、体系にも載らない、歪なやり方。
⸻
じゃあ、もう一つ。
油は、外から持ち込むだけのものか?
答えは、否だった。
人の体は水分でできている。
そして、水分と一緒に、脂質も存在する。
「完全な油じゃない。でも……」
混合物だ。
俺の定義では、十分すぎるほど“水”だった。
体内の流れに意識を向ける。
血流、体液、脂質。
無理に引き出さない。
表面に滲ませるだけ。
じっとりとした感触が、肌を覆った。
「……気持ち悪いな」
だが、確信はあった。
これなら――
「火魔法、使えないだろ」
油は燃える。
だが、自分の体が油まみれなら、火魔法は使えない。
使えば、自滅だ。
正面から勝つ気はない。
英雄コースみたいな、綺麗な戦いもしない。
俺は、勝つためにやる。
ズルく。
汚く。
確実に。




