10
模擬戦の再戦が決まったとき、周囲はざわついていた。
相手は英雄コース。
前回、僕を一瞬で叩き伏せた相手だ。
「また雑兵が挑むのか」
「今度は何秒もつかな」
そんな声が、はっきり聞こえる距離。
……正直、嫌な気分ではなかった。
むしろ、頭は妙に冷えていた。
(正面からやったら、また負ける)
それはもう、実証済みだ。
剣の腕も、魔力量も、格が違う。
だから――今回は、正面からやらない。
「始め!」
合図と同時に、相手は剣を構え、堂々と前に出てくる。
姿勢が綺麗だ。
無駄がない。
騎士道精神の塊みたいな立ち方。
(水魔法を警戒してないな)
いや、正確には――
水魔法を“脅威だと思っていない”。
「その程度の水で、どうするつもりだ?」
相手は余裕の笑みを浮かべたまま、間合いを詰めてくる。
体に水が当たっても問題ない。
そう思っている顔だった。
僕は、魔力を練る。
でも、撃たない。
代わりに、地面に意識を向けた。
前の模擬戦でできた、水たまり。
泥と砂が混じった、濁った水。
(そこだ)
指先を軽く動かすだけで、泥水が浮き上がる。
威力は、ほとんどない。
防御魔法を張る価値もない。
だから――
狙いは、目。
「――っ!?」
泥水が、そのまま相手の顔面に叩きつけられた。
次の瞬間、相手の動きが止まる。
「なっ、目が……!」
視界を奪われ、反射的に剣を下げ、目を擦る。
その一瞬。
僕は、迷わず踏み込んだ。
剣を振り抜く必要すらない。
切っ先を、喉元に突きつけるだけで十分だった。
「……勝者、8組、レイン」
静寂。
数拍遅れて、ざわめきが広がる。
「え?」
「今の……何が起きた?」
「水、当たっただけじゃ……?」
相手は、泥で汚れた顔のまま、呆然と僕を見る。
「……そんな、やり方……」
僕は、少しだけ肩をすくめた。
「水が当たっただけだろ」
嘘じゃない。
ただ、“当て方”を選んだだけだ。
ルールは破っていない。
でも、誇れる勝ち方でもない。
――それでいい。
勝てた。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
嬉しさよりも、確信に近い感情。
(ああ……これだ)
僕は、こうやって勝つ人間なんだ。
英雄みたいに、正面から輝くことはできない。
でも、相手の想定外を突いて、踏み潰すことはできる。
視線を上げると、観客席の端に、セシリアがいた。
……見てたのか。
彼女は、驚いたような、戸惑ったような顔をしていた。
称賛でも、軽蔑でもない。
ただ、困ったような表情。
模擬戦が終わり、片付けをしていると、背後から声がした。
「……レイン」
振り返ると、セシリアが立っていた。
「さっきの戦い……勝ったね」
「うん」
短く答える。
少しの沈黙のあと、彼女は言った。
「でも……ああいう戦い方、する人だと思わなかった」
責める口調じゃない。
ただ、事実を確かめるような声。
僕は、少し考えてから答えた。
「正面からやっても、勝てないから」
それだけだ。
セシリアは、何か言いかけて、結局言葉を飲み込んだ。
そして、小さく笑う。
「……生き残るため、なんだよね」
「そう」
嘘は言わない。
英雄になるためじゃない。
誰かに認められるためでもない。
――負けないためだ。
セシリアは、それ以上何も言わなかった。
ただ、少しだけ、寂しそうな目をしていた。
その視線から逃げるように、僕は目を逸らす。
胸の奥で、はっきりと分かった。
もう、後戻りはできない。
正々堂々の道から外れた。
でも――
「……次も、こうやって勝つ」
小さく呟いた言葉に、迷いはなかった。
この日、僕は覚えた。
自分に合った“勝ち方”を。




