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拠るべきところ

 青灰の湖に霧をまとい、いまだたたずむ島船。その高い天井の寝室で、ショールは石の机に資料を広げ、大学への報告書をまとめ続けていた。


 向かいに腰かけ写し絵を眺めていたアマルが、くすくすと笑った。

(ここにいていいの? ショウ)

「いいんだ。やるべきことはやった。その上であなたのそばにいる以上のことはない」


 アマルは笑い、そして声をおさめ、

(ショウ、お前も根無し草を続けるのはそろそろ無理があるよ。お前に様々な視線が向けられている。ルデリアにも様々な者たちが入り込んでお前を伺っていた。この霧の中にも入り込もうとしている者たちがいる。隙あらばお前を捕えようとね)

 彼女は明かりを落とす天窓を見上げた。

(飛竜となったフォルスに、蘇った青銅巨人。いずれもお前の手によることを、国々は知っている。アマーリロでの一件以来、それまで噂に過ぎなかったお前の力が、広く知られてしまっている)

 笑みを崩さず、たしなめるような口調で彼女は続ける。

(だからお前はそろそろ、自分の拠るべき所を定めたほうがいい。今のままではお前は珍獣のように追い回されるだけだけど、このヨレンの庇護と地位を得られるなら違ってくるだろう)

「この国に籍を置けと?」

 ショールは手を止め、妻に顔を向けた。

「私は旅を止めることはない」

(そんなお前を、この国は理解してくれている)

「……」

 アマルは目を細めた。

(お前は恐れているね。自分の存在がこの国に面倒をかけるのではないかと)

「……」

(だけどその時はその時だよ。お前が責任すらも取れないほどの面倒は起きないよ)

 ショールは腕を組み、微笑む妻を見返したまま沈黙した。

 そして、

「分かった。相談だけはしてみよう」

 アマルは安堵のように笑みを深めた。



 島船が消えたのは、それから7日後のことだった。

 ルーン神殿の門の前に、ショールはふらりと現れて、

「申し訳ないが、神官か聖戦士に取り次いでいただけないか?」

 そう、門衛に話しかけた。



「それで、この国に籍を置こうと?」

 戦士団総長のレオンティウスは、テーブルの上に手を組んで、ショールを厳しく睨みながら口を開いた。

 名誉従士ショール・クランがヨレンに帰化する意思を見せた。それを聞いた王はすぐさま関係する大臣と官僚を集め、短い討議ののちにレオンティウスを派遣した。

 レオンティウスはフォルスに乗せてもらい、文字通り王都から飛んできた。


「駄目でしょうか」

 歴戦の勇者でも尻込みしそうな圧力と正対しながら、ショールはさらりと返した。

 彼の後ろには、仏頂面のリディアや、室内の空気に困惑気味のテオを含め、聖戦士たちが立ち並び、囲っている。広くはなくともそれなりに華美な応接間が、取調室のごとき様相だった。


「駄目なわけないだろうが」

 低く、重く、脅しかけるようにレオンティウスは答え、

「我が国に帰化するという、その言葉に二言はないだろうな?」

 わずかながら身を乗り出し、嘘だったらただではおかないと言わんばかりの圧を込めて問うた。

 ショールは軽い口調で、

「二言もなにも、まだ決断していない。ヨレン国民として発生する義務などについても聞いた上で決めようと……」

「義務の心配など無用」

 ぴしゃりと言われた。


 ショールは少し間をおいて、

「納税とか、兵役とか……」

「おい友よ、お前、自分がどれだけの貢献をこの国にしてきたと思ってる? そこはまず、特権だの褒章だのの話が先に来るのが普通じゃないのか?」

「私が知る『普通の国』は、私に人権など与えず徹底的に利用する。そうでなければ抹殺しようとするだろう」

「我らはそのような忘恩の輩ではない!」

 机を叩くかの勢いでレオンティウスは声を上げたが、ショールは涼しい顔だった。


 レオンティウスは肩で息を抜いて表情を和らげ、

「まあ、陛下はお前の待遇も大臣らと話し合っておられた。納税や兵役といった義務は免除される。なんなら宣誓も不要とのおおせであった」

「いや、さすがにそれはまずいでしょう」

「まあ、それはともかくだ」

 レオンティウスは腕を組んだ。

「どうせ籍だけおいて、この国に居つくことはないんだろう、お前。義務など課してもほとんど意味がないだろうが」

「それは確かにその通りだ。帰化の話が済んだら、また旅に出るつもりです」

 レオンティウスは押し黙った後、さすがにため息こそつかなかったが、腕を組み、

「で、今度はどこに行く?」

 ショールは左手を握った。

「ここからはるか東」

 小指の指輪が一瞬きらめく。

「おそらく和国」


 レオンティウスはわずかに目を細めた。それをショールは見て、

「何かあるのですか?」

「うむ……。いや、問題というわけではないのだが」

 レオンティウスは顎を撫でた。

「あの国で最も重要な神殿で、今度、新しい大神官が就任する」

 ショールの目元がぴくりと動いた。レオンティウスは続ける。

「知っての通り、かの国は我が国と同じく、太陽の女神……、あの国では『天を照らす神』と呼んでいるようだが、その子孫が至尊の位に就いている」

 そして、その皇祖神を祀り、皇女が大神官を務める、神代より続く神殿がある。


美良(うまら)斎王(さいおう)か……」

 ショールは呟き、それはレオンティウスの耳に届いた。

「知っていたか」

「……新たな斎王が就くとなると、先代の斎王はどうなったでしょうか?」

 レオンティウスはショールの顔に注意深い目を向けた後、

「前任のサイオウは亡くなられたそうだ」

「……」


 ショールの脳裏に、少年の頃の記憶が走る。

(これ、しょう坊や)

 その時の自分は庭先に跪く下僕だった。貴人であるその女性は顔を見せることはなかったが、いつも御簾の向こうから柔らかい声をかけてくれた。

(滝の葉さま……)

 枯れたはずの心に、滲み出てくるものがあった。


 それでも表情を変えないショールに向けて、レオンティウスは続ける。

「それで、今の帝の妹君が跡を継ぐのだが、その祭事に我が国からも特使が派遣される。バシレイオスを筆頭とするソアラの神官たちだ。レフテリスとバイアンも、ソアラの聖戦士として随行する」

 バシレイオス。若き王族であり、神殿内でも格別の地位にある。


 ヨレンは和国と関係が深い。200年前のアブロヌ王との戦いをともにしたことを機に、同じ国祖神を持つ国として交流を始めた。

 和国は近年まで排他的で知られ、特に皇室まわりはその傾向が強いと言われていが、ヨレンはそんな和国の皇室と古くから繋がる数少ない王家のひとつとされる。



「それで、和国に向かう特使の船が半月後に出る予定になっている」

 レオンティウスは口を閉じたままのショールの顔を覗き込み、

「お前もそれに乗るか? 国籍取得の手続きなどはこちらで進めておく」

 ショールは黙考ののち、

「あの国に着いたら、自由に動きたい。それを許していただけるなら」


 ショールは半月後、ヨレンの船に乗って旅立った。





 それから季節は巡り、一年が過ぎ、世界歴197年7月。冬に種を蒔いた麦が黄金の穂を見せる季節が来た。

 麦畑に、影が走る。

 農夫たちが見上げると、青空に、疾風のごとく白い飛竜が駆けて、王都へと向かって行った。

 子供たちが手を振る間にも、飛竜は点となって見えなくなっていった。



 王都のソアラの神殿の中庭にテオは降り立つ。テオの衣は第六階位を示す緑色。一人前の聖戦士と見なされる色になっていた。

 そして兜を脱いだその顔も、聖戦士らしい精悍なものになっていた。かつて伸ばしていた髪も短く整えている。

「さすが、早いな」

 リディアが笑みを浮かべ、レフテリスらとともに待っていた。彼女の衣は第四階位を示す黄色に変わっていた。

 そしてその左手の薬指に、銀の指輪がはめられている。テオも同じ指輪をはめていた。婚約を示す指輪だった。


 その中庭で、フォルスとともに、ある人物に引き合わされた。

「テオドロス卿、こちらは帝国の貿易商、マウロ・ボレア氏だ」

 レフテリスが紹介すると、その人物は胸に手を当てた。 

「勇者テオドロス、お会いできて光栄です」

 日に焼けた肌に、歳経た者が持つ知性と色気を備えた人物だった。帝国人と言っても、勤厳で知られる帝都の人間でなく、どちらかというと陽気で知られる帝国南部の雰囲気の持ち主だった。

 しかし、その立ち居振舞いと目の配りから、油断ならない戦士の気配を、テオは感じた。

 その後ろに控える、息子のホーレスも見る。軽薄な顔つきに見えるものの、やはり優れた剣士の気配をテオは感じた。同様に、親子に従う侍従や侍女たちからも、ただ者でない何かを感じる。

 そして、彼らに混じる、黒い肌と縮れ毛の、おそらく南大陸セムカの少年。


 テオも胸に拳を当てて礼を返した。

 その上で、

「テオドロスです。お初にお目にかかります。ところで……」

 テオは腰の鞄から、一冊の本を取り出した。

「あなたのご用は、この本のことですか?」

 そこには、「ペリュニリスの放浪記」と書かれていた。


 マウロは一瞬の沈黙の後、声を上げて笑った。

「いやはや、ご存じでしたか。参りましたな」

「アマーリロであの人と一緒にいたでしょう? あなたがこの本の出版に関わっているひとりであることを、ヨレンはすでに知っています」


 ペリュニリスの放浪記。島船を追う魔法使い、ペリュニリスを主人公にした冒険小説だ。

「私も読んですぐにわかりましたよ。これがあの人のことを書いた本だってね」

 テオは笑みを薄くし、

「あの人は、きっと迷惑に思いますよ」

「まあ、そうでしょうな」

 マウロは頭をかいた。


「それで、この国に取材に?」

 テオが問うと、

「まあそれで来てみたんですが、入国と同時に連行されましてね」

 からりと笑いながら言った。

「どうも、貴国からはすっかり目をつけられていたようで」


「こうしたものを出すにせよ、彼への迷惑を少しでも減らす方法を一緒に考えてもらえないかと思ってね」

 レフテリスが言った。微笑みを浮かべているが、左目を覆う銀の仮面の下は笑っていないようにもテオには見えた。

「それはもちろん考えてありますよ。我々もアマーリロで少なからず彼に助けられましたしね」

 マウロは目元の笑みを消し、

「貴国は彼の存在を目立たせないよう配慮してきましたが、さすがにもう無理でしょう」

「……」

「あなたも、和国での彼の旅に同道したと聞いていますよ。例の、斎王の群行の時にね」

「ふ、ふふふ……」

 レフテリスは低く笑い出した。そして笑いながら、額に手を当てた。頭を抱えたくなっているようだ。

 レフテリスが笑みを収めると、マウロはにこりと笑い、

「そんなわけで、彼……、ショール・クラン氏について、よいお話ができればと考えております」


 それからマウロは、テオと、フォルスに目をやり、

「しかしそれにしても、おとなしく着いてきてよかった。まさかドラゴンライダーと雷霆の飛竜にお目にかかれるとは! 雷神ヤルハに仕えるカイン騎士団の会員として、これ以上なき名誉ですよ!」

 マウロは少年のように目を輝かせた。


 レフテリスは小さく咳をし、

「それは貴殿が、保護者として彼を連れてきたからだ。そうでなければドラゴンライダーには会わせなかった」

 そしてレフテリスは、マウロ家に混じってたたずんでいる、黒い肌の少年に目を移し、

「いい加減、彼を紹介してくれんかね」

「おっと、これは失礼」


 マウロはテオの知らない言葉で少年を呼び、

「こちら、アマーリロのツァン諸族のひとつ、マー族の勇者、イェハチ殿です」

 背の高い少年だった。顔つきから想像できる少年の年齢から見ると、いずれテオより高い背を持つかもしれない。布にくるんだ長い槍を背に持っている。その顔つきは、幼いものの、修羅場を知る戦士の落ち着きが見えた。


 テオはその名を知っている。胸に拳を当てて敬意を示す。

「ようこそ、イェハチ殿。テオドロスと申します」

 すると少年は、少し戸惑った様子を見せた。言葉が分からないらしい。

「ああ、失礼する」

 リディアが進み出てきた。その手には、小さなイヤーカフのようなものが。


 マウロの侍女に頼んで、それをイェハチに着けてもらうと、リディアはイェハチに向かい、

「これで、言葉が通じますか?」

『え、何だこれ!』

 イェハチの顔に少年らしい驚きの表情が出て、彼のチエロニア語にかぶって、エルゲ語が発せられた。ボレア家の面々も瞠目する。


 レフテリスは笑い、

「翻訳機の試作品だ。エルゲ語とチエロニア語を記憶させ、通じるようにしてある」

『へえ、すごいもの作るんだね』

 翻訳されたエルゲ語は、いかにも少年らしい口調だった。


「いやはや、さすがヨレン……」

 マウロの息子ホーレスが感心したが、これは帝国人でも驚くような魔法の道具らしい。



 テオは改めてイェハチに向かい、

「はじめましてイェハチ殿。ヨレンの第六階位聖戦士、テオドロス・エウメラディスと申します」

『うん、はじめまして。マーの戦士、イェハチだ』


 そしてイェハチは、フォルスにも目をやり、

『あんたもこの生き物も……、竜でいいんだっけ? 確かにあの人の気配を感じるよ。僕の槍は山脈の王の火の力で、あんたたちは稲妻の力だけど、似た何かがある』

 そしてテオを真っ直ぐ見て、

『あの人の話を聞きたい』

「君も、あの人の話を聞かせてくれればね」

 テオはそう言って笑った。

「それと、我が国の『水晶の奥方』も君と会いたがっておられた。フ・クェーンと共に戦った方だ」

『うん、ボレアさんから聞いたよ。僕も会いたい』

「その時はフォルスにお乗せしましょう。ひとっ飛びで着く」



 レフテリスはその会話を聞きながらマウロに横目をやり、

「これで君の思惑通り、彼の取材がはかどるわけかね?」

 マウロは口の端を釣り上げ、

「まあそう言わないでいただきたい。こちらもいろいろなお話をお伝えできると思うので。ペリュニリスこと、ショール・クラン氏についてね」


(やれやれ)

 リディアはそこから目を離し、夏の青空を見上げる。

 あの人は今ごろどこを歩いているのかと思いながら。



 第二巻「ヨレンの青銅巨人」完

 第三巻「美良(うまら)の斎王」に続く


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