銀月の氏族①
リディアの故郷、ルディオン市は、交通の要所にあたるらしく、近辺では最も大きな町だそうだ。車が4、5台は並べそうな目抜き通りに商店が並び、宿屋らしきものも見える。
四方の街道が集まるほか、列車の貨物駅もあり、郊外に流れるテルセ川には定期船の船着き場もあるという。
テルセ川。大河ダウから枝分かれしたこの川は、ヨレン王国の中心を西から東に横断し、資源としても水路としても重要な河川だ。
ヨレンを含む大河ダウ南岸の平原地帯を、古来より「テルセニア」という。
テルセ川とテルセニア。その名は、この地に降り立ちアマゾネスの始祖となったという女神ルーンの娘、英雄アルテシアの名に由来する。
アルテシアの子孫はのちに5つのアマゾネス氏族に分裂する。そのうちひとつ、「銀月の娘」の氏族が拠点としてきたのが、この町になる。
「そしてこれが、このルディオン市の名の由来になった、勇者ルディーンの像です」
町に入ってすぐの広場に、古代の鎧兜に身を包み、槍と盾を手に厳しい顔で遠くを睨む、女戦士の石像があった。なるほどリディアの先祖らしく、どこか彼女に似ている。
「ヨレンがこの地で再興された時の『銀月の娘』の勇者で、ヨレン王国の最初の協力者とも言われています」
町に入ってしばらくは、建物の多くが赤い屋根で統一されていたが、進むにつれて、見るからに古い様式の建築も見られるようになった。
「このあたりの建物、千年は経っているか?」
「はい、二千年は経っております」
答えたリディアの顔は、いたずらっぽく、そして少し誇らしい笑みを浮かべていた。
いずれも豪快なくらい直線的で四角張った、堅牢そうな石の建物だった。今のものに比べ石材は大きく、重々しく分厚い壁は建築技術の拙さゆえだろうが、それゆえにはるか古き時代を偲ばせる。
前面や周囲に石柱を立てて切妻屋根や軒先を支えるものもあったが、これも古風な特徴だった。
テオが補足する。
「屋根の瓦や窓、それに内装などは、もちろん昔のものではないですが、基礎となる壁や柱などは当時のままと言われております。ここにある頑強な建物は、役所や軍事施設のような、公的な建物だったそうです」
長い時を経て、その外壁は黒ずみ、切妻や梁に施された彫刻も、潰れかけてぼやけて見えた。無数の傷が刻まれ、所々に焼け跡なども見えるが、それらもまた建物の辿ってきた歴史を匂わせていた。
一方その武骨さを和らげるよう、壁に花を垂らしたり、青や赤の幕で玄関を飾ったりもしている。
リディアは、
「これらの建物は住居には向きませんが、国や市から借りる形で利用できます。商業施設や文化施設として人気があり、規約さえ守れば、ある程度の改装も認められています」
ここヨレン西部にある町には、古い時代の建造物が多く残されているそうだ。
ヨレンが騒乱に巻き込まれるときは、東の海岸沿いというのが常で、西部にまで戦火が及ぶことは稀だったという。
町の奥にある市庁舎はそこまで古くないように見えた。横に広がる石造り三階建ての建物で、アーチ型の窓が連なる。あまり尖りのないさっぱりした見た目で、比較的近い時代の西方様式の建物のようだった。
市庁舎前の広場の中央には、噴水に囲まれて並び立つ、200年前の王と王妃の銅像があった。
この国を代表する英雄、義勇王テルセウスと、その妻オフェリア。かつて魔王と呼ばれた騎馬民族の王、アブロヌと戦った王と、聖戦士として彼に付き従った王妃だ。
車はその像の横を通り、ショールは王妃オフェリアに目をやる。
「『水晶の奥方』か……」
(よく似ているでしょ?)
リディアがからかうような念話をよこしてきた。オフェリアの象は羽兜をかぶり、矛と盾を手にしながら、どこか慈愛ある笑みをたたえている。
(ご当人は嫌がりそうなものだが)
彼女は今でも生きてこの世にある。ルデリアのルーン神殿の水晶の中で、2世紀にわたりその身を封じられたまま。
ヨレンの人々は彼女を「水晶の奥方」と呼び敬っている。
今回ショールを召し出した当人だ。
「名誉従士ショール・クランをお連れした。市長にお伝えしてくれ」
リディアが門衛に指示し、テオが先行して中に入った。
その後リディアにより玄関ホールに案内されると、彼女の父母が迎えてくれた。
「ようこそクラン殿。お目もじ叶い、光栄に存じます」
市長たる父より先に、母の方が挨拶をしてきた。
リディアによく似た長身の女性だが、筋骨のたくましさは娘より一回り上、というのが服の上からでも分かる。額に多少のしわがあるが、凛然とした麗しさがあるのも娘と同じだ。
「クラン殿、お噂はかねがね伺っております」
夫のほうは、人のよさそうな笑顔を浮かべた大柄の紳士だった。茶色の巻き毛で、総髭は丸々とした顔を覆い、どこか熊を思わせる人物だった。
リディアの父はモーニングを着装しており、その奥方はというと、赤く厚みのあるコートと黒いズボン……。軍服だった。それも、金の肩章を見る限り相当な高位のようだ。
「従士ショール。母は我ら氏族の棟梁であり、陸軍大佐を拝命しております」
リディアが言葉を添えた。なお、ヨレンにおける大佐は、平時の最高位になるそうだ。
挨拶が一通り済んだところで、リディアの父が、
「早速ですがクラン殿、聖戦士団総長レオンティウス殿下があなたからの連絡をお待ちしております。通信室にご同行願います」
その後、ショールはリディアの父母らに伴われ上階に案内された。
テオはリディアとともにそれを見送ると、リディアに用意された部屋まで、彼女の荷物を運んだ。
「なあリディア、あの従士さまなんだが……」
テオが荷物を置きながら、防具を外すリディアに声をかけた。
「どういう人なんだ?」
「どういう人ってどういう意味よ」
「名誉従士って言えば、外国人に贈られる名誉称号だろう? だけどどこの国の人なのか、見た目じゃ分からないし……。そもそも名誉称号を送られるのなんて、貴族とか軍人とか、そうでなくとも芸術家とか学者とか……」
「あの人、学者ではあるね」
「つまりお偉いさんだろ? 格好はちょっと見すぼらしくも見えるが……。それが、たったひとりで、港町からじゃなく西から陸路で来るのなんておかしくないか?」
ヨレンの玄関口と言えば、東の沿岸部だ。それも海外から渡航者が入る港町はひとつしかない。
ヨレンの西から入る旅行者は隣国トルキアの人間くらいだ。そのさらに西の国となると、カルバートというローレア屈指の大山脈がトルキアを縦断している。わざわざこれを超えて陸路を使う者はいない。
リディアは胸甲などの装備をテオに預けると、衣を着け直しながら答えた。
「学者ではあるよ。教授や研究者じゃなくて調査員だけど……。でも、たぶん今でもあの人は国籍を持っていないわ。あの人が自分で言うように、根無し草ね」
袋に入れた手甲を保管箱にしまいながら、テオは怪訝な顔でリディアを見上げた。彼女は続ける。
「あの人が従士の称号を与えられたのは、この国に対してそれだけ大きな貢献をしてくれたからだよ。あの人の指輪の印章には、国王陛下による身分の証明もあるはずよ」
それからリディアは横を向いて小さくつぶやいた。
「だからいい加減、この国に籍を置いてほしいんだけど……」
預かった装備を納め終わり、箱を閉めたテオは、リディアに身を向けた。
「一体、あの人はどんなことを……」
「それは言えないね。あの人に関することには秘匿事項も多いの。だからあんたも余計なことを考えず、彼をルデリアまで送ればいい」
「む……」
言われて、テオは少し不満げな表情を見せた。
リディアはそんなテオを見て、少し表情を和らげた。
「でも、これだけは言っておくわ。彼は紛れもない善人よ」
「ああ、悪い人じゃないとは思うが……。最初は少し薄気味悪い人だと思ったけど」
その言葉にリディアは小さく笑みを漏らした後、物憂げな表情を見せ、
「正気を失うほどひどい目に合ったのよ、あの人。最初に会った時は、人間というより獣みたいだった」
「……」
「それから正気を取り戻しても、どこかが壊れたままになっちゃってね。感情とか、感覚とか。彼自身、自分の何かが欠けてしまっていることを自覚してる。それでも、自分は人としてこうあるべき、という確かな芯があって、それを曲げない人でもあるよ」
それからリディアは沈黙するテオに向かい、にわかにいたずらぽい笑みを向け、
「ああそうだ。あの人、『勘』って言ってるけど、高度な精神感応の持ち主よ」
「えっ?」
「元々の素養はあったみたいだけど、一度精神をやられてからはさらに先の領域に踏み込んだみたいでね。ヨレンで用いられている念話の術もあっという間に覚えたの」
テオには思い当たることがあったようで、
「まさか、フォルスのこととか、読心術……」
「読心術もその一端ね。ああ、そんな顔する必要はないわよ。読めるのはあくまで表層の感情とかで、心の中に深く立ち入ったりはしたくないみたいだから」
「分からないじゃないか、そんなの……」
「テオ、『したくない』という感情は、魔法を最も阻害するものなんだよ。口に出すだけでも影響したりするの」
「……」
その言葉に、テオは一瞬刺されたような表情をした。それから憮然とした顔を隠すように、リディアの装備を納めた箱に体を向けた。
「そうか……。ああそれで、お前の装備だが、保管庫でいいか……?」
そう言って箱を持ち上げ、リディアに向き直ると、彼女は音もなく、ずいと真顔を寄せていた。
「……」
「な、なんだよ……」
テオは思わず身を引きそうになり、そんな彼をリディアはしばし無言で睨んだが、小さなため息とともに顔を下げると、口の端にいたずらぽい笑みを浮かべ、
「ひとつ忘れていたわ。あの人に同行するうえで大事なことを言っておくからね、テオ」
「お、おう……」
「あの人が『嫌な予感がする』とか言い出したら、決して聞き逃さないように」
「は?」
「ほかにも、『虫の知らせ』とか、『胸騒ぎ』とか、とにかくそういうことを言い出したら真剣に聞くように。必ず何かあるから」
必ず、というのを強調して彼女は言った。その目は笑っていない。
「わ、分かった……」




