未来へ
クレトスが滅んで二ヶ月が経った。
テオは聖戦士へレインに案内され、ルデリアのルーン神殿、守護殿三階にある一室の扉を開けた。
「お見舞いに来ましたよ、ショール」
そこには、全身に包帯を巻かれたショールが、ベッドに寝かされていた。
そして、
「ショール、何をしているのですか?」
ベッド脇のテーブルに、ショールの旅の記録や写し絵、イァン族の火打石などが広がっていた。
『私が頼んだんですよ』
美しい女性の声が響いた。それが「水晶の奥方」と気づいたテオは、へレインとともに慌てて胸に手を当てるが、
『ああ、そう畏まらないで。楽になさい』
くすくすと笑うような声に、思わず肩の力を抜いた。
「奥方が、私の旅の記録が見たいと言ってな」
『そう。かつての友の懐かしい気配も感じて』
ショールは、フ・クェーンから譲られた火打石を手に取る。
『ああ、フ・クェーン。ともに戦った懐かしき友。勇敢なアマーリロの船乗りたち、ツァンの勇者たち。海と炎とともに生きるあの人々は、代を重ねても変わることなく営みを続けているのですね』
それからややあって、
『おっと、つい思い出にふけってしまいましたね。お邪魔しました』
奥方の念話は消えていった。
ショールはテオに向き直り、
「さて、テオ、無事に聖戦士に任じられたようだな」
「え、ええ、何とか」
テオは姿勢を改め、白い胸甲に手を当てた。
黒い衣に付けられたブローチには、雷神ヤルハのシンボルである十字槍が描かれている。
「ヤルハ神殿の聖戦士か。君の信仰と、フォルスのことから言っても当然といえば当然だが……、揉めなかったか?」
テオは憮然となり、
「それはもう。ヤルハ教会の問題が公にされましたからね。当事者である教会の上層部のほとんどの人間は亡くなってはいますし、王都の神殿も半壊していますが……」
王都のヤルハ教会は、棄教した青灰の湖の神殿によって爆破され、妖怪坊主と言われた大神官も別の病院で殺害されている。
そして、半壊した王都の教会から、様々なものが出てきた。
「様々なもの?」
「まず見つかったのが、幼い子供の奉仕者や、信者の子供の写し絵で……。その、口にするのも憚られるような」
「ああ、分かった。無理に口にしなくていい」
不快そうに顔を歪めるテオに代わり、へレインが続ける。
「それを機に、国からの調査が入り、横領や収賄の証拠もしっかり見つかったそうよ。教会の上層部は同じ派閥が牛耳っていて、全員クロ。彼らもさすがにおおっぴらに悪事を重ねていたわけではなくて、中堅以下の神官の中には気づいていない者もいたようだけどね」
しかし中には、上層部の裏の顔に気づき、その証拠を密かに集めた者もいたようだ。
「だがそれでは、この国のヤルハ教会は、もはや社会的に死んだようなものだろう」
「そこで頑張ったのが、タロッソスのご老体よ」
ドラゴンライダーが誕生したと言うのに、肝心のヤルハ教会がこれではとても聖戦士として預けられない。各教会は、テオの信仰や雷霆の飛竜の神学的な意味は置いておき、一度テオに他の教会に所属してもらおうと考えた。
そして、ドラゴンライダーを受け入れるという大きな名誉を巡って、各教会が鍔迫り合いを始めた。
その間、タロッソスのヤルハ神官長は、ヤルハ神官の中でも良識派を集め、教会上層部の糾弾と、その生き残りの一掃を計った。
その際、今回の件でヤルハ教会が半壊したのはまさに神罰であるとまで言い放ったという。
「それはそれで、問題になりそうだが……」
テオも、そんなタロッソスの神官長への支持を示した。クレトスの事件における自分の功績に免じて、良識ある神官たちにチャンスを与えて欲しいと願った。
そして、クレトスとの戦いにおいて、タロッソスの神官たちが臆することなく戦いの場に残ったことも、多くの軍人、聖戦士たちが証言した。
結局ヨレン王国は、ヤルハ教会が持っていた権利の多くを剥奪し、国の管理下……、直接的には国祖神ソアラの教会の預かりとした。
しかし同時に、立ち上がったヤルハの神官たちに教会組織の立て直しを命じ、その祭祀を存続させた。
テオも、ヤルハの聖戦士として正式に認められることになった。
そして、ヤルハ教会の立て直しを担う責任者として、タロッソスの神官長を大神官に任じた。
ショールは少しの沈黙ののち、
「……確認だが、ヨレンで大神官といえば、その教会の最高位神職だったな?」
「はい、ヨレンにおけるヤルハ教会の頂点に就くことになりました。ヤルハ教会の新しい体制が整うまでと、本人は言っています」
歳も歳で、渋るかと思えば、目をギラギラと光らせて引き受けたという。
「あれで若い頃は厳格で知られた人ですからね。それに、妖怪坊主とか言われた元大神官との間にも、昔いろいろあったようです」
苦笑まじりに言った。そういえば、ショールもそんな話を聞いた。
それからテオは、にわかに目元に哀しみを浮かべ、
「青灰の湖の、あの神官たちの無念は、少しは晴れたのでしょうか」
青灰の湖は、ショールの鏡に焼かれたあの日から、淀んだ青灰色でなく、澄んだ美しい水をたたえるようになっていた。
ヤルハ神殿は無人となり、湖を望む岬には、慰霊碑が建てられている。悪魔崇拝に堕ちた棄教者たちも含めた、ヤルハの神官たちの慰霊碑だ。この神殿で何が起きたか。その経緯を示し、ヤルハ教会の過ちとそれを止められなかった国の非を認めたものでもある。
ショールは少しの沈黙ののち、
「君はクレトスに惑わされた者たちに同情的だったな」
「ひとつ間違えば、自分もそうなっていました。俺は運がよかっただけです」
リディアとその家族が受け入れてくれた。その後ショールと出会った。
「すべてはタラの織物のまま……」
ショールは虚空を見つめて誰にともなくつぶやくと、テオに視線を戻し、
「彼らにはそれぞれ避けられない悲運があった。その後マギフスの道を選んだことも、全てが彼ら自身の選択と責任だと断じることはできないだろう。しかしテオ、彼らのような運命は、この世にはいくらでもあるものだよ。きりがないほどにな」
平坦な顔と声に、どこか哀しげな響きがあった。
「奥方の話では、彼らも最後は巨人から解放されて冥府へと旅立った。まだ救いはあるだろう」
それでもなお憂いの滲むテオの目をショールは真っ直ぐに見つめ、
「君が心に影を落とすのは、自分ばかり運に恵まれたという後ろめたさを感じるからでもあるだろう。だがそれこそ無用のものだ。君は怠ることなく進み続けたからこそ、行く先に運が開けた。ただ嘆き、待つばかりの者に神々は道を示さない」
平坦な口調ながらも、その言葉にはどこか厳しさがあった。
「君は、差し伸べられたリディアの手を取り、使用人という立場にあっても常に責務を果たした。私との旅でも勇気を示し続けた。だからこそ、今に至る道が開けた」
「そうね、あの巨人相手にグライダーで挑もうなんて無茶ができる者なんて、そうそういないわ」
からかうようなへレインの言葉に、テオは顔を紅潮させて、
「いや、あれは、その……」
へレインはくすくすと笑った。
ショールは表情を変えず、
「テオ、君の持つ慈悲は美徳だが、時にはそれがもたらす危険もある。気をつけろ。手を差し伸べた相手が君に刃を突き出すこともあるかもしれない。君の助けを勝手に期待し、勝手に失望し、そして憎しみに走る者もいるかもしれない。今の君には余人にない力がある」
テオは姿勢を正してその言葉を聞いた。
「その点では聖戦士団が君を守るだろうが……」
ショールは言いながらへレインに目を向けると、
「タロッソスの聖戦士長が彼の直接の師となるわ。それにソアラの戦士団も彼を指導する。陛下としても、いずれは王室直属の白き聖戦士にもなってもらうつもりみたいね」
「そうか……」
ショールは少し視線を下げて考え込むそぶりを見せた後、
「あとは、早いうちに身を固めたほうがいいな」
「はい?」
突然の言葉に、テオは間抜けに答えてしまった。
「あの、いきなり何を……」
「今日、リディアが庭の方で拗ねているのも、その辺の事情じゃないか? 君のところに綺麗どころが次から次に押し寄せて、彼女がヘソを曲げたとか、そんなところじゃないかな?」
テオはしばし呆気に取られた後、最初に会った時のようなトゲのある顔を見せて、
「心を読んだのですか?」
「心を読むまでもないよ。国の危機を伝説の英雄とともに救ったドラゴンライダー。将来を約束された若き聖戦士。家柄もよいし、稀に見る美男子でもある。放っておかれるはずがない。聞いたこともないイスロの学友だの、縁談を勧める知らない親戚だの、出てきたんじゃないか?」
その通りで何も言えなくなったテオの横で、へレインが腕を組んだ。
ショールはさらに続け、
「さっきの話じゃないが、君の人の良さにつけ込む人間もいるだろう。君の目の前でこれ見よがしに泣いてみせる女性とか……、いやまて、すでに心当たりがあるのか?」
憮然としたテオの頬は少し赤らんでいて、横のへレインはこめかみに指を当てた。
ショールは少し間を置いて、
「リディアにしとけ」
「はい?」
また間抜けに答えたテオに、ショールは淡々と、しかし押し込むように語る。
「元が許嫁で幼馴染だろう? お互い憎からず思っているだろうし、どちらの親も反対しない……、むしろ、待ってましたとばかりに動くだろう」
「あの、ショール……」
「それでもあれこれ騒ぐ人間が出てくるだろうが、彼女も彼女の一族も、大抵のことなら一蹴するだろう。ルーンの聖戦士団としても歓迎するんじゃないか?」
しかしへレインは、こめかみに指を押し込んだまま答えない。伏せた顔からくっくと声が漏れている。笑いをこらえているようだ。
「彼女の姉弟子としては思うところがあるようだが、とにかくリディアにしとけ。むしろテオ、リディア以外に誰かいるのか? それはそれで少々の覚悟がいるぞ」
テオは頬を赤らめたまま、ひそかに唾を飲み込んだ。
それでもテオは、
「ですがその、リディアの気持ちも……」
「そうか」
ショールは腕を組み、
「テオ、ちょっと目を閉じろ」
「はい?」
「いいから」
テオが戸惑いながらも目を閉じると、
(私だってあいつにこんな態度とりたくないわよ。でもさ、モヤモヤするのはしょうがないじゃない。あいつだってデレデレしちゃてさ)
心に声が聞こえてきた。おそらく念話だ。
(リディア!?)
さらに、
(ふーん。それならいっそ押し倒しちゃえば? リディアの方が力も強いし、テオも嫌がらないよ、きっと)
女の声。この声は……、フォルスか! あいつ、自分には滅多に念話も送らないくせに、リディアとは普通に会話……、念話で話していたのか。
(あんた私のことなんだと思ってんのよ。とにかくさ、あいつが聖戦士になった途端、あちこちの女が粉かけてきてさ。金弓の娘の、他の氏族までいるんだよ! 喧嘩売ってきてんのかしら)
(聖戦士も?)
(さすがにそれはないかな。いたらタダじゃすまさないし。あ、でも、機会があれば捕まえとけって実家から言われてる話は聞いたかな。テティスとか)
(うわー。彼女、ビクビクしながら言ってこなかった?)
(うん、親元からこんなこと言われてるけど、そのつもりはないから許してって感じで言ってきた)
そう言えば、テティスの自分に対する態度が、何か怯えているように見えた気がする。年下だが、先輩で上位の聖戦士として敬意をもって接したつもりだったから、何かおかしいとは感じていた。
(でさ、肝心なこと言ってないよね、リディア)
(何よ)
(リディアがテオをどう思っているのかよ)
テオの心臓が強く鳴った。
しばしの沈黙ののち、
(好き、なんだと思う)
ぼそりと、リディアの念話が流れてきた。
(子供の頃からずっとね。だから、許嫁じゃなくなってからも、ずっと手紙のやり取りをしてきたし、あいつが家を飛び出したって聞いた時もすぐに探しに出たし……)
(それ、テオに伝えてないよね)
(……うん)
(伝えれば、リディアの勝ちだと思うよ)
(……うん)
(だからこの場で言っちゃえば?)
(……うん?)
テオも、フォルスの言葉に首を傾げた。
(だって、私たちの会話、テオに聞かれてるよ)
(……え?)
(多分、ショールの仕業じゃないかな)
リディアのわななく気配を、テオは感じた。
「ショール!!」
窓の外から聞こえたリディアの怒りの叫びに、テオは飛び上がって目を開けた。
すぐに、部屋の外に迫る足音が響いてくる。
眉をつり上げたリディアが乱暴に入室した。
しかし、白いカーテンが揺れる部屋の中、ベッドはもぬけの空。見渡してみても、ショールの姿は消えていた。
「いつの間に……」
まだ顔の赤らみが取れないテオが、唖然とそれを見る。
「やられたわね」
へレインはこめかみに指を当てた。いや待て。この人も目を閉じていたのか。すると、さっきの会話をこの人も聞いていたのか?
ベッド脇のテーブルには、「妻のところに行ってくる。大学に出す書類ができたら戻る」と、書き置きがあった。
それをつかむリディアの手がわなわなと震え、
(従士が逃げた!)
その念話は、青灰の湖で島船を見守る聖戦士たちの心にまで届いた。
それからリディアが振り向き、テオと目が合う。
「……」
ふたりとも、無言になった。みるみる頬が赤くなる。
へレインは腕を組み、念話を放つ。
(ちょっとショール。あなた、自分がどれだけの怪我を負ったのか忘れたの?)
すると、すぐに念話が返ってくる。
(ああ、忘れた。忘れるくらいには良くなっている。動いても痛みも違和感もないし、骨もおおよそ繋がってるだろう)
(動いていいかを決めるのは、医師の役目よ)
(そう言ってベッドに縛りつけられるのもいい加減勘弁して欲しいところだった。窓の外から拝んでくるルーンの神官がいるのもな)
(それだけのことをやったんです。我慢なさい。それに、島船だってまだ青灰の湖にあるし、たまにはゆっくり養生しなさい)
(だから妻のところで養生するのさ)
その念話のやり取りの間も、テオとリディアは無言で見つめ合っていた。
リディアの方は睨みつけるかのような目つきで、テオは少し身を引いて……、蛇ににらまれた蛙のようだが、固まっていた。
「バイアンも、ここまでウブじゃなかったわね」
へレインはため息をつくと、
「ふたりで遠乗りにでも行ってきたら? 私から言っておくから」
すると外でフォルスが吠え、羽ばたく音がした。カーテンが揺れて、窓の外にフォルスが姿を見せて、乗りなよとまた吠えた。
どこからか、『水晶の奥方』の、ころころとした笑いが聞こえてきた気がした。




