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おくりもの

 テオが神殿上空で巨人をかわし続けていたころ、リディア、へレイン、テティスの3人の聖戦士は、ヤルハ神殿の岬の上から、湖畔を見渡した。


「ショール!」

 境内を流れる水路の出口近くにショールの姿が見えた。波の打ち寄せる玉砂利の上に力尽きていた。


 3人は鹿のように崖を降り、急ぎショールの元に向かった。

 へレイアが、ショールのフードを外して呼びかける。

「ショール、ショール!」

 意識はない。

 浅黒い顔に目立つ外傷は、左こめかみの裂傷と青黒く腫れた右ほお。鼻孔に血が溜まっているくらいか。

 

 へレインはショールの目を開かせ覗き込む。次いで、指輪を光らせ、その右手でショールの身体に触れる。

「全身の骨が折れている。内臓も……!」

 下半身は、無数の石辺や木片でズボンが裂かれ、血に濡れている。外套の覆いが至らなかったのだろうか。

「この人は、なんで自分のことは……」

 リディアは恨み事のように言いながら、ショールの太ももに刺さる大きな木片を認め、手を伸ばそうとしたが、

「駄目よ、動脈に刺さっていたらどうするの!」

 へレインから鋭く声をかけられ、手を止めた。

「ご、ごめんなさい……」

 彼女にしては珍しいほど、素直に謝った。

「ここでは手の施しようがない……! ふたりとも、神殿に連絡しつつ、即席でいいから担架を作って。すぐに運び出さないと」

(いいえ。彼は、私の元へ)

 ささやくような女性の声が心に響き、3人は島船に顔を向けた。

(大丈夫。彼は死なない)

 3人は顔を見合わせた。


 リディアは強い目で、

「へレイン卿……」

「そうね。彼女を信じましょう」

 それを受けて、リディアはショールの側にあった小舟を身体強化込みの剛力でひっくり返し、湖に押し出した。

「テティス、この舟は動かせる?」

 それはプロペラ船だった。テティスは船尾にある動力部を確認する。

「少し古いですがいけます。この船もさっきの魔法で修復されたんでしょうね」

「それなら自分の身体もきっちり直せばよかったのに……」

「繰り言を言うんじゃないの。さあ、彼の足を持って。ゆっくりとね」


 小舟はテティスの操船により島船に進む。

 島船をつつむ霧が道を開けた。一筋の霧が道を示す。

 絶壁にある洞窟に入り、中の船着き場へ。

 そこで、ひとりの女性が待っていた。


 長い黒髪と少し焼けた肌、人種も分からず歳も読めない顔。ひざ下まで覆う、チュニックに似た上着とズボン。赤茶けた上着の襟元には、黒地の上に黄糸で縫われた小さな星々。

「アマル……」

(お久しぶり)

 彼女は微笑みながらリディアらに歩み寄り、小舟に寝かされるショールを見る。

 ショールの姿を見たアマルは笑みを消し、目を鋭く細めて夫を見下ろした。

(ショウ……)

 彼女はふわりと音もなく小舟に降り立つと、ショールの前で身をかがめ、その指を伸ばす。

 ずれた世界にある彼女の、その指先は、夫の身体をすり抜けて体内に入っていく。

 その指先を腹から胸へと動かす彼女にへレインは、

「アマル、あなたに言われた通りにショールを連れてきたけど……」

 アマルはそのへレインの腰にある鞄に目をやった。

(その中にあるものを見せて)

「え……?」


 へレインは戸惑いつつも、言われた通りに鞄を開いて中を見せると、アマルはその中のひとつのものに目を向け、指先を伸ばした。

 彼女がまとう霧の一筋が伸びて、それに触れる。

(付呪のかかった包帯ね。傷口を塞ぐ、悪化を防ぐ、回復を早める、固定する……)

 霧の帯が、包帯から何かを引っぱった。

 オパールのような複雑な色をまとう、透明な帯のようなものだった。

「アマル、あなた……。この包帯にかかっている魔法をはがした?」

 アマルは答えず薄く笑った。


 そして彼女は左手に引き寄せた帯をオーロラのように浮かせると、ショールの腰のベルトにある鏡に目をやり、そこに右手を伸ばした。

 ショールの鏡が、白く光り始める。

 リディアはその光に目を奪われつつ、

「アマル、それって……」

(神犬がもたらした鏡の火、湖に残る呪いの残骸を焼き払った火は、時を巻き戻し、雷霆の竜を生み出すだけで尽きるものではなかった。まだ残っている)

「あなたもその鏡を使えるの……?」

(必要とされる時ならば)

 光る鏡から、小さな太陽のような輝きが分かれて宙に浮き上がり、アマルの右の掌の上で静止する。

 アマルは左手をショールの身体の上に掲げる。その掌の上で舞っていた光の帯がショールの身体にうねりながら落ちて、彼の身体に浸み込んでいく。

 次に彼女は右手の光をショールの身体の上に掲げた。

 その光が、半透明の白い花びらを散らしながら縮小していく。

 それに伴い、ショールに舞い落ちる光の帯が、輝き強める。ショールの身体の表面にも、同じ光が走る。


「あなたは何を……?」

 へレインの問いに、

(魔力の膜で彼を包む。皮だけでなく、折れた骨や裂けた肉、体の中で破れた血管のひとつひとつに至るまで)

 それからアマルは右手の光が尽きる前に、

(そのままこれを、彼の鎧にしよう。何かが彼を傷つけようとする時、見えない鎧となって彼を守るように。たとえ傷ついた時にも、ただちにその傷を塞ぎ、癒すように)


 ショールの傍らに転がる杖が動き、彼のベルトの琥珀飾りから蜂たちが飛んだ。

 ショールの杖は、主の太ももに刺さる大きな木片に絡みつき、へレインが「あっ」と声を上げるうちにそれを引き抜いた。

 へレインはショールのズボンに開いた穴に手をかけて、その傷口を確認する。真っ赤に開く傷口から血は流れ出ない。ショールの身を包んでいたオパールのような光を帯びた透明な膜が、それを覆っていた。


「見えない包帯に……」

 つぶやくへレインの目の前に蜂たちが飛んできて、ショールの傷口に薄緑の粉を振りまく。他の蜂たちも主の足に刺さる石辺や木片を取り出しつつ粉を撒いていた。

「傷を癒し、鎧にもなるエーテルの膜……。これは、中尉アレコスが言っていた、エーテルアーマーそのものなのでは……?」

 テティスが口に手を当てた。


(エーテルアーマー、か)

 アマルはショールの左手を取った。両手でそれをくるむ。

(私たちの愛の証、この指輪に、力を宿そう)

 アマルがそっとショールの手を置いた時、その小指の指輪が小さく輝いた。


 アマルは顔を上げ、リディアらに微笑む。

(彼のことは私に任せてほしい。あなたたちは神殿へ戻って)

「……大丈夫なの?」

 微笑むアマルから霧の帯が伸びる。それはショールと彼の杖とを包み、浮かせた。

 そのまま彼の身体は、妻が広げる両手の上に、抱き上げられているかのように浮いた。



 リディアらの小舟を見送ってから、アマルは笑顔を消してショールを部屋へと運ぶ。

 階段を登り、大きな廊下を進み、流れる霧で扉を開いて自分の部屋に。

 寝台に夫を寝かせたとき、その目は憂い気に細められた。

(いつか、お前を死に追いやるかもしれない)

 そう言って、ショールの左手に自分の右手を重ねようとする。

 ずれた世界にいる彼女の手は、夫の肌に触れることも、その体温を感じることもなく、虚しくすり抜けて重なる。


(以前の私ならば、お前にこの身と島船を追わせようとはしなかった。私のことなど見捨てて、その力で新しい道を歩いて欲しいと願ったはず……)

「私がそんな道を選ぶと思うか?」

 ショールの口が開き、弱く声が漏れる。その目も薄く開き、妻を見つめる。

アマルは儚げな、哀し気な微笑みを浮かべた。

(ああ、お前の頑固さは知っているよ、ショウ)

「あなたは以前、私のその頑固さを『意志の強さ』だと言ってくれたはずだ」


 アマルは口元の笑みを消し、憂いに眉を歪ませた。

(この島船に囚われてから、私の中に別の私がいる。お前を追わせ、使命ある地に導き、危険に飛び込ませようとする)

「すべては私の選択だ」

(お前が何を選ぶのかすべて理解した上で、私はお前を導いているの)

「そうだろうな。ずっと一緒だった。あなたなら、私のことは何もかも全て分かっているだろうさ」

 ショールは震えながら左手を動かす。身を覆う不可視の膜に光が走ると、その震えは止まった。

 ショールは小指の銀の指輪を、アマルの左手の小指にある、同じ指輪に重ねた。

「そう、ずっと一緒だった。そして永遠に供にあり続けることを、あの日、誓った」


 アマルはこらえるように目を閉じた。

(その誓いがお前を殺すことを、私は恐れている)

「今のままでは死してあなたと同じ所には行けなくなるだろう。私は死を恐れない。ただ、あなたとともにいられないことを恐れる。だから追い続ける」


 アマルは目を開け、笑みを漏らした。

(何度も同じことを話し合ったね)

「そうだな」

 ショールは疲れたように目を閉じた。

「少し休む。必要になったら起こしてくれ」

(ええ。おやすみなさい、ショウ)




 リディアらが神殿に戻った時、すでにテオはクレトスを追って飛び立っていた。

 爆撃を受けた神殿は元の姿に戻っていたが、帰らぬ者もあった。


 神殿の広場に、命を失った者たちが横たわっていた。

 泣き崩れている者、呆然と立ちすくむ者たちの前に並べられた遺体は、いずれも死者とは思えないほど綺麗な姿だった。


「戻ったか」

 そこにはレオンティウスもいた。彼は肩越しにリディアたちに声をかけた。

 へレインが報告する。

「従士ショールは島船に運びました。彼の奥方が、その傷を癒しました」

「そうか」

 短く答えて、レオンティウスは死者たちに顔を戻す。


 そしてため息のように言った。

「肉体は戻っても、一度召された命は決して戻らぬそうだ」

「そんな……」

 テティスが胸に手を当て、歩を進めて見渡す。いずれも見知った顔が目を閉じていた。その目が開かれることは二度とない。

 聖戦士の訓練をはじめて間もない少女の姿もあった。ともに起き伏し励んでいた同輩の少年少女たちが泣き崩れていた。


 へレインはレオンティウスに向かい、

「リディア卿の従者テオと、その竜は?」

「クレトスを追ってタロッソスに向かった」

「そうですか……」


 へレインの後ろでリディアが眉根を寄せた。

「あいつ、戻ったら一発かましてやる」

「そう言ってやるな」

 後ろから声がかかった。レフテリスらだった。


「彼らの魂もまた、クレトスに食われてしまったのでしょうか?」

 テティスが、死した仲間たち、知己たちを見ながらつぶやいた。

 誰もそれに答えられなかった。


「叔父上」

 広場の入り口から声がかかった。

 振り向くと、王太子テルセウスとその婚約者セレネが、聖戦士らを伴っていた。

「殿下、まだ王都に向かわれておられなかったのですか」

 目を見開いたレオンティウスは、次いで近衛隊長や王太子付きの聖戦士ニコラスらに厳しい視線をやったが、

「奥方様が私とセレネをお呼びと伺いましたので」

「奥方様が?」

 テルセウスの横には、ルデリアの聖戦士長もいた。


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