雷霆の翼
風を受けながら、テオはクラバットを外す。
(髪が邪魔だな)
まとめ上げていた黒髪はほどけていた。帽子もない。
クラバットでまとめようと思ったが、やめた。
髪には魔力が宿る。そう聞かされたのが伸ばしたきっかけだった。魔法が使えなかったがために、げん担ぎとは知りつつ、藁をもすがる思いで伸ばした。
(だけど……)
テオはクラバットを口にくわえ、腰のベルトからナイフを抜くと、その髪を切り、前髪が邪魔にならないように、クラバットを額に巻いた。
上空からルデリアを眺めると、その被害は神殿地区に集中していた。
(魔女め……!!)
大神殿はじめいずれの建物も崩落しかけた屋根から炎が上がり、立ち並んだ美しい石柱も崩れ、尖塔も倒壊し、木々は燃え、聖戦士を含む多くの人々が、火のくすぶる芝生の上に倒れ伏していた。
それでも軍も聖戦士団も、迫りくる巨人に対抗すべく、炎と瓦礫を踏み越えて態勢を立て直そうとしていた。
巨人は森を抜け、遂にルデリアに足を踏み入れようとした。だが、神殿と森を仕切る壁の手前でその足が止まった。結界だ。神官たち、軍の魔導士たちは、ぎりぎりのところで結界を再構築した。
巨人はぎりぎりと音をたてつつそれを踏み砕こうとするが、神官たちは必死でこらえている。
巨人は左腕を前方に突き出した。その前腕が、肘から離れて宙を飛ぶ。
「撃ち落とせ!」
レオンティウスが叫ぶが、矢のように飛ぶそれは火の玉を潜り抜け、神殿地区を飛び越える。
その行く先には、近衛たちの助けを受けながら荒れた道を逃れようとする王太子らの一行が。
迫り来る巨人の左腕に気付いた生徒たちは声も上げられずに立ちすくんだ。
「ご無礼を!」
近衛の隊長が王太子とセレネを抱いて地面に伏せた。同時にニコラスら聖戦士たちが横並びになって盾の力場を展開する。
凄まじい衝撃音とともに、王太子らを捉えようとするその手は力場に防がれた。聖戦士たちの足は土を噛んで踏みとどまったが、結界は虹色に激しく点滅した。
「ぐ……!」
「ニコラス!」
テルセウスは護衛の名を叫んだ。
「王子を早く!」
ニコラスは叫ぶ。近衛兵たちは王太子を助け起こそうとし、それを逃がすまいと巨人の手はその指を怪しく動かしながら結界をこじ開けようとする。
そこに、空から一本の矢が飛来した。
ただの矢ではない。テオがその弓に全身全霊を込めた一矢だった。それは巨人の手の甲を貫き、手のひらを地面に打ち付けた。
『ギャアアア……』
エウメロスのそれではない、怨霊の叫びが上がる。
「……!」
ニコラスはかっと目を見開き、背中から矛を取り出し、白い刃を伸ばす。彼は目の前でうごめく薬指を斬り飛ばしながら巨人の手の甲に駆けあがると、中指、人差し指と、白い火花を散らしながら根元から斬り離した。
親指にも斬り付けたところで、たまらんとばかりに巨人の左腕は左手を捨て、その場から飛び離れる。ニコラスが飛び降りながら見ると、巨人の掌から矢の先端が突き出ていた。
テルセウスたちは上空を見上げた。
「テオ!」
「お兄様!?」
王太子やカシア、学生たちは、グライダーに乗って空を飛ぶテオを見た。
テオは巨人の頭上を飛びながら、グライダーのベルトを使って固定した矢筒から、矢を取り出した。
巨人の昏い眼窩は、テオに向かい、その奥で赤い光が揺らいだ。
『またお前か……』
怨嗟というより、血の通った怒りの声が響く。
テオは矢を放った。それは巨人の兜の鼻当てを貫いて眉間に達したかに見えたが、命に届いた感触はない。まさに張りぼてを射抜いた空しい感触だった。
『何者だ、貴様……! なぜ私と同じ顔をしている……!』
テオは再び矢をつがえ、怒りとともに叫び返した。
「俺は英雄エウメロスの子孫、テオドロス・エウメラディスだ!」
巨人の動きが止まった。
その額を、再び矢が貫いた。
『嘘だ……』
緑に錆びついた怨念の仮面から、震える声が漏れる。
『私に子などいなかった! キオネーにも! 貴様は私がアマゾネスどもを組み伏せ、犯したとでもいうのか!? 私はただ一人、キオネーのみに操を立て続けたというのに!』
巨人の身体がバラバラになって宙に浮かんだ。頭、胴体、腕も足も関節ごとに。ニコラスやテルセウスらの前に転がっていた左手の指すら、がたがたと震えながら宙に浮かび上がった。
そして、一斉にテオに向けて飛んで行った。
「……!」
迫り来る巨人の腕や足をかわし、流れるようにテオは飛んだ。
「あいつ、天才か!?」
バイアンは思わず声を上げた。聖禽隊を追うように、レフテリスや、妻のへレインらを除くルーンの聖戦士らと森を駆け、ルデリアに急行していた時だった。バイアンが舌を巻くほど、テオは巧みに巨人の攻撃を避け、空を舞った。
「だが無謀すぎる! 長くはもたんぞ!」
レフテリスはテオに向け叱るように言いながら、眉を歪めた。
巨人の太ももをかわしてテオは叫ぶ。
「噓なものか! 俺はあんたとキオネーの子孫だ!」
『なんという妄言か! おお、お前は人をだまし陥れる、妖魔のしもべに違いない!』
「クレトスこそ、その妖魔だ!」
『おおクレトス! 我が憎きかたき……! お前は奴のしもべであるか!』
「今はあんたこそが奴のしもべだろうが!」
『奴への報復は裏切りの清算の後だ、まずは貴様を黄泉路へ送ろうぞ!』
「捕まえてみろ!」
言い争いながら、テオは巨人の攻撃を避け続ける。
リディアや、近衛に引きずられるように避難していく妹と弟が、無事に逃れられることを祈りながら。
『ショウ、起きて。目を覚まして』
妻の声が聞こえる。
『君が必要なんだ。お願い、目を覚まして』
この少女の声は……、ああ、ファティアか。
『目を覚ますのよ、ショウ』
再び聞こえた妻の声で、ショールは目を開けた。
水の中だった。足首の入れ墨が守ってくれたのだろう。顔の周囲に空気の層ができている。
そしてその空気の層に、白い子犬が顔を出して、金色の眼を向けてきていた。
「ファティア……」
力なくつぶやく。意識が蘇るほど、全身に強い痛みが走る。多分、このままでは命に関わる怪我を負っている。
ショールはかすれた声でファティアに語り掛ける。
「すまない。長くはもちそうにない。私は何をすればいい」
すると、心に少女の声が流れる。
(僕ヲ、燃ヤシテ)
「……」
ショールは悲しげに目を細めた。
心にイメージが流れる。破壊されたルデリアの町。傷つき倒れる人々、自らの命を愛する者たちのために捧げようとする、ひとりの若者。
ショールは手を震わせながらも、腰の鏡に手をかけた。ファティアにその鏡面を向ける。
そして鏡は、白く輝いた。
「あれは……!」
アレコスは足を止め、森の向こう、青灰の湖から白い光が山のように膨れ上がるのを見た。
「生きてたか。まあ、そうだろうと思ったけどな」
アレコスの横で大銃を担ぐギデオンも不敵に笑った。
そこにレフテリス、バイアンらが追いつく。
「ショール……!」
リディアも湖畔からそれを見た。そして、こぼれ出した涙を左右に振った。
王太子たちもそれを見た。白い、クラゲのような光が、火の粉か花びらのようなものを舞わせながら、入道雲のように空へと膨らんでいく。
『なんだ、これは……』
エウメロスの空中で動きを止め、テオも速度を落として滑空しながら、その膨れ上がる光の山を見る。
その光は、広がるのを止めた。そして、容器を満たすように、その輝きを見る見る強めて炎のようになり、その表層で波打つ毛皮を形作った。
光の中を、星雲の眼が上へ上へと昇っていく。黒い瞳孔と青い虹彩を、赤い煙が縁どっていた。
その目が動きを止めると、今度はその目の下に、左右一対の、同じく星雲の眼が開いた。
そして輝きは体毛のような光の筋を幾本も延ばすとともに、その頂上の形を犬の頭のように変えていく。
「ペリューン……」
テオがつぶやいた。
そこに現れたのは、三つの星雲の眼と白い炎の体を持つ、魔法神の乗騎にして玉座たる神獣だった。
そこに、声が響く。遠雷のような、地鳴りのような、しかし声として聞こえるものだ。
「a……K……」
テオには聞いたことのある「声」だった。タロッソスで、ショールが放った、人のものならざる声。
今度はその強大な魔力ゆえに、その意味がはっきり聞き取れた。
《破れた肉体、崩れた壁をどうするか》
神獣の口が開かれる。その口の中にも、夜空が広がっている。
三つの星雲の眼と炎の体が輝きを強め、その周囲に光の花びらが舞う。
そして神獣から「声」が響き渡る。
「q……b……」
その恐るべき魔力とともに、放たれた言葉の意味が頭に入ってくる。
《物の記憶を呼び戻せばよい》
神獣が輝き、その身を崩し、そして凄まじい魔力の奔流が放たれた。
ルデリアで燃え上がる火が消えて、そこに転がっていた瓦礫が、時を巻き戻したように宙に浮き、戻っていく。
「またこれかよ!」
アレコスやレフテリスらが森を抜けてルデリアの神殿地区に至ったところで、その奇跡は起こり、ギデオンは思わず叫んでしまった。
彼らの目の前で、瓦礫の山が見る見る、元あった建物の形を取り戻していく。レフテリスらの体や鎧についた傷もまた、元通りに戻っていく。
「あ、あいつ、タロッソスでこれを使ったのか……?」
レフテリスが乾いた笑いを漏らすと、
「大勢の目の前でな」
アレコスが諦観したように言った。
その彼についた傷や軍装の汚れも、みるみる元の如く戻ってゆく。
瓦礫の下敷きになっていた人々も姿を見せて、その傷も、衣服や鎧ごと、元のように塞がっていった。
「ありがとう、私はもう大丈夫!」
リディアも、砕かれた腰から下が完全に癒え、跳ね起きた。
彼女たちの周囲でも、瓦礫の山と化したヤルハ神殿が、時を巻き戻して元の通りに戻っていく。
「え、ええ……」
唖然と周囲を見渡すテティスとへレイン、その場に残ったレフテリス麾下の兵たちを尻目に、元通りになった自分の甲を身に付けながら、リディアは空を見上げ、テオに念を送る。
(テオ、もう大丈夫だから、戻ってきて!)
その声に、テオは心の底から安堵した。
魔法そのものは、二度目ゆえに大きな驚きはなかった。
(だけどあれは……)
確かに、あの神獣はペリューンだった。
魔法神の乗騎にして玉座。
魔法の摂理に対し絶大なる権限を持つ神獣。
そして、摂理を歪ませた者を許すことなく焼き祓う、「存在を許さぬもの」。
(ペリューンの炎の遣い手……)
そのペリューンは、魔法の発動とともに、湖の上から消え去っていた。
テオの思考に、リディアが警鐘を鳴らしてきた。
(何してるの、テオ、逃げて!)
はっとした。巨人の足が迫っていた。
慌ててグライダーを操作し、それをかわす。
「くっ……!」
『油断したか、小僧!』
テオは緊張の糸が切れていた。針に糸を通すような集中力はもはやなく、ただ夢中でエウメロスの襲撃から逃れる。
「テオ!」
アレコスが長槍のような銃を構えたが、遠く、高すぎる。彼は舌打ちして銃身を下げた。
「テオ!」
リディアが悲鳴のような声を上げた。
へレインもテオを見上げて眉を歪めるが、ふと、その視界の端に何かが見えて、右へと振り向く。
「……」
そこに、金色の繭があった。
「これは……」
釣られてテティスもそれを見た。兵たちもみな目をやる。確かそこには、テオの相棒の、走竜フォルスが横たわっていたはずだ。
繭の中で、何かが鼓動のように脈打っている。
そして、繭から花が開くごとく、黄金の翼が伸びてゆく。
『ペリューン、ペリューンだと!?』
エウメロスの、悲痛とも聞こえる叫びが曇天に響く。
『あの時神々は、我らにこのような奇跡を与えてはくださらなかった!』
飛んできた巨人の上腕がグライダーの翼をかすめ、テオは体制を崩した。
「テオ兄さん!」
学生らの一団から見守っていた弟のイリアスが叫び、妹のカシアは崩れそうになるのをシンシアに助けられた。
『なのになぜ、お前たちには!』
迫る巨人の頭を上昇してかわそうとしたが、その兜の鶏冠がグライダーの翼を切り裂いた。
その衝撃で、テオの体を固定していたベルトも骨組みから外れ、テオは空に投げ出された。
「……!!」
テオは死を悟った。それでも叫びを上げまいと口を手で押さえた。
(そんな顔をしないでくれ)
絶望に目を見開いたリディアの顔が見えた。ここで恐怖に叫んでは、あいつの一生の心の傷になるだろう。
この手を外す時は、笑ってからだ。そうすれば、あいつも少しは気が楽になるだろうから。
——その時、黄金の繭から生えた翼が羽ばたき、何かが飛び立ったことに、テオは気づいていない。
下は森だった。木に引っ掛かれば助かるか? いや、無理だな。きっと痛いだろう。ちょっと笑えそうにない。
その時、
クオォォー・・・・・・ン
甲高い声が耳に入った。
「……フォルス?」
つぶやくテオを、金色の影がさらった。
「……!?」
気が付いたら、テオは何かの上に乗って、風を感じていた。
金色の羽毛に顔をうずめていた。それはその生き物の頭頂から背中を覆うたてがみだった。
全身を覆う鱗は、雪のような純白だった。
テオはその生き物の首の付け根にまたがっていた。後ろ左右を見回すと、金色の羽に覆われた大きな翼が風を切っている。
そして、頭から生える一対の金色の角。先端が丸く、稲妻のように枝分かれする、「尖りなき鹿の角」。
生き物は、甲高い声で鳴いた。テオがいつも聞いている声だった。
「フォルス……?」
問いかけると、それは肯定するように、高らかな鳴き声を響かせた。
「フォルス!」
テオには分かる。それは走竜のフォルスだった。
体躯はふた回り以上大きくなり、青い鱗は輝くような白に変わり、赤かった羽毛は黄金に変わっていた。
頭には、いさかいの心を否定する神々の教えを守るがごとく、尖りを無くした、そして稲妻のごとく枝分かれする黄金の角。
そして大きな黄金の翼。かぎ爪のついた小さな前足は、空を自由に飛ぶ翼へと変わっていた。
走竜のフォルスは、天空を自在に駆ける飛竜へと生まれ変わっていた。
フォルスは森の上を滑空し、ヤルハ神殿に至り、リディア達に無事を知らせるように旋回し、身を翻す。
「フォルス……」
リディアは唖然とそれを見上げた。
『なんだ、お前は!』
エウメロスの手足が迫る。
テオは、自分の身体に結界のようなものが張り巡らされるのを感じた。
そしてフォルスの角と、翼を覆う黄金の羽に、電流のようなものが走る。
エウメロスが迫るその瞬間、フォルスが輝きに包まれた。
雷光となり、稲妻のような軌道を描き、一瞬にしてエウメロスの手足の間をすり抜ける。
すり抜けられた巨人の手足から、稲妻に撃たれたように火花が散り、怨霊の悲鳴がほとばしった。そして弾かれて飛ばされた手足は、宙に踏みとどまる。
それから疾風のように急降下したフォルスは、森の中で何かを口に咥え、ただちに急上昇する。そして速度を落とすと、テオに向けてそれを投げた。
「……」
受け取ったそれは、テオの弓、そして、3本の矢が残された矢筒だった。
フォルスはルデリアの上空までいたると、大きく旋回し、力強く羽ばたいて上昇していく。
「ドラゴンライダー……」
テオの弟のイリアスがつぶやいた。
「ドラゴンライダー……!」
「雷神ヤルハの勇者!」
その言葉は学院の生徒たちの間に伝染するように広がり、皆が口走ってゆく。
「ドラゴンライダー……! テオ兄さんが、ヤルハの勇者に!」
見上げるイリアスの顔に、笑顔が広がってゆく。カシアは跪いて手を組み、ヤルハへの聖句を唱えた。
フォルスはさらに上昇し、黒雲を間近にした上空で動きを止め、翼をはためかせて滞空する。その視線の向かう先には、手足を集めて人間の形を作って浮かび上がる巨人の姿があった。
テオの心に、少女の声が響く。
(君たちに、託すよ)
テオは、昨日見た夢を思い出した。
(ファティア……!)
心に、熱いものがこみ上げる。
そしてエウメロスをきっと睨む。
『この気配……、おお、ファティアなのだな……!』
その声色は、深い恨みをたたえたものになっていた。
『なぜだ、おお、我が忠実な友よ。なぜ私を裏切り、かような者に手を貸すのだ……!』
テオの心に、悲しみが流れてくる。これはきっと、ファティアの悲しみだ。
「ファティアはあんたを裏切っちゃいない。マギフスの手に堕ちたあんたこそ、ファティアを裏切ったんだ、英雄エウメロス」
テオは矢を一本取り出し、弓につがえた。矢弦に電流が走る。
引き絞るほどに、フォルスを通じて今までにない力が流れ込んでくるのを感じる。これはファティアの力、雷神に遣わされた、稲妻の、裁きの力だ。
テオは叫んだ。
「フォルス、ファティア、力を貸してくれ! 俺を導いてくれ!」
フォルスが甲高い声で応えた。




