愛するもののために①
『ざまあみやがれーッ!!』
その声に、テオは意識を取り戻した。
自分を覆うフォルスの弱い鼓動を感じる。
全身に痛みを感じる。耳鳴りで音が遠く、鼻の中に強い刺激を感じを感じる。
(毒……)
霧の中に緑色の煙が浮く。それを見る目にも刺激を感じた。
テオはクラバットを外して口元に巻くと、フォルスの身体の下から這い出した。
「フォ、フォルス……」
フォルスは、その体に無数の瓦礫を浴びておびただしい血を流し、弱弱しく息を吐いていた。
「ああ、そんな……、ヤルハよ、ソアラよ、ルーンよ……!」
這いながらフォルスの目を覗き込む。
「フォルス、フォルス……!」
呼びかけたその目に恐怖はなく、優しい眼差しでテオを見つめていた。
霧が晴れてゆく。黒煙と、ただよう緑色のもやが残っていた。
(毒を吹き飛ばします、目と口を閉じて!)
キオンの念話が届いた。
ただちに突風が吹き、緑のもやは湖へと流れてく。
応じて閉じた瞼を開けたとき、テオは見た。倒壊した神殿の瓦礫の下に、
「リディア!!」
駆けだす前に、フォルスに目をやる。彼女の目は、行け、と言っていた。
「すまない……」
泣くように一言言って、振り切るようにリディアの元に駆け寄る。
うつぶせに倒れるリディアの背中は、瓦礫に埋まっていた。
銀帽子は外れ、長い銀髪はほどけ、血に染まっている。
「テオ……」
泥と血で汚れた顔を上げ、駆け寄るテオの姿を見ると、彼女は弱弱しく微笑んでつぶやいた。
「よかった、あんた無事で……」
「お前とフォルスのおかげだよ……」
滑り込むように彼女の前に座りながら言い、リディアに覆いかぶさる瓦礫をどかそうと手をかける。
その時だった。
『ざまあみやがれー!!』
耳鳴りの止んだテオに、クレトスの罵声が届く。
同時に、湖から、巨大なものが飛び出した。
『ざまあみやがれーッ!!」
高笑いとともに、天へと吠えていた。
「……!!」
テオの全身に、毛が逆立つほどの、かつてない怒りが走った。
わななきとともにテオは振り返り、それを見上げる。
「クレトォース!!」
曇天に哄笑をひびかせるそれへと、テオは叫んだ。
奴は、大きな翼を広げながら、ゆったりと黒雲の下を旋回していた。その姿は最後に見た時とあまり変わらない。大きな暴君竜の頭蓋から、背骨のような、尻尾のような連結した鉄の部品が伸びて、そこに鉄の羽と一対の脚がついている。その両脚と背骨の先端は、それぞれに大きな鉄のコンテナをぶら下げていた。
そしてその竜に覆いかぶさるように、大きな影が宙をゆったりと浮いている。
「青銅巨人……!」
テオはつぶやきながら、リディアをかばうように立ち上がった。
古代エルギアで用いられていた鶏冠の兜、たくましい人間の肉体をそのまま象った胴鎧、脛当て、腕当てなども当時のそれと同じものだった。甲のない上腕や太ももなどは円筒形になっている。
そしてその全てが錆びついて、青緑になっていた。
兜の下のその顔は、錆びた様がまるで緑に焼けただれているようで、丸い目は暗いうろとなり、幽鬼を思わせるものだった。
すでに破壊された右手が無い他、所々、かつてのアブロヌとの戦いによるものだろう、食いちぎられたように青銅が破れた場所が散見される。
そしてその関節や破れた外装の穴からは、黒い竜骨が覗いていた。
クレトスの目は、テオ達でなく、ルデリアのルーン神殿へと向けられる。
『見ろ! 非力なパラティス、パラシアども! 見ろーっ!』
得意げなクレトスの叫びとともに、巨人の身体が関節ごとにバラバラになる。
その青銅の中から、黒き竜骨が抜け出た。
そして抜け出た青銅の鎧、いわば巨人の外皮が湖に落ちる。
クレトスもその身をばらばらにしていた。その暴君竜の頭蓋に、巨人から抜け出た骨がくっついていく。
巨大な暴君竜、人間のごとき腕を持つ、ティラノサウルスの骨格そのもの……、ただし、右腕がないものが組みあがる。そこにクレトスの首から下だったものと、奴が運んだコンテナから飛び出た武器の数々、さらにはコンテナそのものも変形して合体していく。
コンテナのひとつはその背中にバッグのように背負われ、その両脇に二門の大砲と翼がくっつく。肋骨の中にも無数の武装が入り、失われた右腕には新たなかぎ爪のついた金属製の腕が付き、そこにも六つの銃口を束ねた回転式の機関銃が備え付けられていた。
『ああ……、懐かしきこの体』
感慨深げに言った後、
『それでもこの体は仮初、同胞たちより捧げられた模造のものに過ぎぬ。王たる我が体よ……』
その頭は南に向いた。タロッソス、竜骨の王が封じられている地に。
そしてクレトスは湖に頭を向け、吠えた。
『起きろ、エウメロス!』
湖の中から青銅巨人の外装が水柱を立てて飛び出した。
「な、何……」
テオの目の前で、錆びた青銅が中天に浮き上がる。
(オ、オ、オ……)
凄まじい瘴気、怨嗟の念が青銅から溢れ出した。
骨の抜けた青銅巨人の部品は、再び空中で人の形に集まって、テオ達の目の前で地響きとともに降り立った。
その時巨人の足元から飛び散った瓦礫が、テオたちの元にも迫る。
「テオ……!」
リディアが逃げるよう叫ぼうとしたが、テオはその傍らに投げ出されていたリディアの盾を目にし、咄嗟にそれを拾い、構えた。
力場は展開された。直後に振ってきた瓦礫をテオの作った力場が防いだ。
「テオ、あんた……」
「……!」
テオ自身、驚いたように手の盾を見やったが、すぐに巨人へと視線を戻す。
人頭の怪鳥たちが歓迎するかのように鳴いて飛ぶ中、無数の怨霊のうめき声とともに、片膝をついていた巨人は、ゆっくりと立ち上がる。
骨のない巨人は、頭、銅、腕、足などがくっついていない。関節がない。それぞれの部位が浮いて、人間の形を保っている。あるいは、目に見えない巨人が鎧を纏っているようにも見えた。
「テオ、テオ……!」
巨人を睨むように見上げていたテオに、リディアは語り掛ける。
「す、すまないリディア、今すぐ助けるから……!」
「そうじゃない、私はいいのテオ、あんたは逃げなさい」
リディアは苦し気に声を振り絞り、そして咳込みながらも、気丈に笑みを浮かべた。
「何言ってるんだ、こんなもの、すぐに……!」
「いいの、王太子殿下やカシア達のところに行って。あいつは軍や聖戦士たちが何とかするから……」
「俺も戦う! 俺はお前の従者なんだぞ!」
巨人はタロッソスへとゆっくりと最初の一歩を踏み出す。中の骨がないにも関わらず、地響きが起きる。
クレトスは吠えた。
『エウメロス! その醜い抜け殻はお前にくれてやる! あそこにはお前が憎むすべてがある! お前の思うままに暴れるがいい!』
そう言い残し、クレトスは身を翻して南の空へ飛んで行った。
『王よ……、キオネーよ……』
その怨念の声に、今まさに町からの脱出を計ろうとしていた王太子テルセウスとセレネにも届いた。ふたりははっと顔を上げた。
ルデリアからも遠く見える巨人の錆びついた顔は、まるで毒に焼けただれているかのようだった。丸い両目と丸い口は、底の見えない暗いうろ。まさに怨霊の顔だった。
巨人は歩を進めながら頭を動かし、憎い相手を探す。テルセウスもセレネも、背筋に寒いものを覚え、声をあげそうになるのをなんとかこらえた。
巨人は脱力したようにだらんと腕を下げたまま、鳥の逃げたつ森をゆっくりと進む。
「兄弟姉妹よ、陣を張れ、備えよ! 神官たちも結界の用意をせよ!」
ルデリアの神殿地区で、聖戦士団総長レオンティウスの指示が飛んだ。
その指示の直後に、風切り音が走り、巨人の胸元、足元で爆発が起きた。ルデリアに詰めていた陸軍の砲兵隊とバトルメイジの部隊による攻撃が始まった。
『ウ、オ、オ……』
泣き叫ぶような声とともに、巨人の右腕と左腕が宙に飛んだ。悲鳴のような声とともに、不規則に乱れ飛んだそれは、郊外の砲兵隊の陣地に向かった。
拳のない右腕と拳のある左腕が結界に衝突し、大きく揺らした。何人かの結界部隊の魔術師が衝撃で転倒し、結界が破れそうになるところを、バトルメイジたちが稲妻を放って応戦し、巨人の両腕は悲鳴を上げながら本体の元に戻る。
巨人はゆっくりと、神殿地区に歩を進める。
それを横目に、テオは大きな石の瓦礫を動かそうとしていた。
「いいから逃げて、お願いだから、テオ……!」
その下で、リディアはテオに懇願していた。
「ダメだ! お前を置いて逃げたりはしない!」
「私の腰から下、多分潰れてる……。あんたに見られたくない」
「我慢しろ!」
そのふたりの声が聞こえたのか、巨人を囃し立てるように鳴いていた怪鳥たちが、その顔をテオ達に向け、奇声を上げた。
気づいたリディアが悲鳴のように叫ぶ。
「ふたりとも死ぬ!」
「お前とここで死ぬなら本望だ!!」
テオも叫んだ。それ以上は何も応えず、唸りながら石を動かそうとする。
その手の横で、たくましい別の手が瓦礫をつかんだ。
「こういう時は素直に助けを呼ぶもんだ、坊主」
ギデオンだった。彼の顔も傷と煤で汚れていた。
その腕が力を籠めると、彼の体と軍装に魔力が走る。ギデオンは軽々とその瓦礫をどかした。さらにへレインがリディアを引っ張り出す。
「全く、不肖の妹ね」
「へレイン卿……」
彼らに迫っていた鳥たちが、次々に悲鳴を上げるのが聞こえた。見れば、地上から放たれる銃弾が、怪鳥を狙う。
ギデオンはテオに向けてにやりと笑うと、
「お嬢みてえに動けねえ奴らもいるが、全員無事だ。レフテリス隊も俺らもヤワじゃねえ」
「それで、ショールは?」
へレインからの厳しい視線を受け、テオは目をそらした。だが、
「大丈夫よ、テオ」
リディアが苦し気に笑みを浮かべて言った。
「彼は、あのくらいでどうにかなるような人じゃない」
「……」
その言葉だけで、テオは泣きそうになった。
そんなふたりの様子を見て、へレインはため息をついた。




