棄教者①
完全武装の兵を中心とした50名ほどが、隊列を組んで霧の森を進む。
レフテリス率いる完全武装の一隊約30名と、へレイン、テティスを加えたルデリアの聖戦士7名、そこにアレコスら聖禽隊3名。そしてショール、リディア、テオ。
ショールはその隊列の中央にあってレフテリスの左隣で馬に乗り、リディアと、フォルスにまたがるテオが右を守っている。
「湖まではどのくらいだ?」
ショールが尋ねると、リディアが答えて、
「あと5,6分くらい。2キロしか離れていないからね」
彼女の口調は素のものだった。レフテリスやその周囲も気にする者はいない。
200年前の3度目のアブロヌ侵攻の際、巨人はルデリアを囲むアブロヌ軍を追い払い、そのまま近くの湖に沈んだ。そしてその湖は色を変え、青灰の湖となったという。
レフテリスが前方に顔を向けたまま口を開く。
「そこにヤルハの神殿がある。神犬ファティアを祀った廟もそこにあった」
レフテリスの視線が動き、ショールとリディアの向こう、フォルスに下げられた荷物袋から顔を出す、子犬のファティアに向けられた。
それからテオとフォルスを見て笑みをこぼし、
「走竜に乗った弓の名手、なるほど噂のドラゴンライダーか」
テオは赤面し、あわてて背を伸ばし、
「ご、ご勘弁ください殿下。俺……、私とフォルスは、そんな大それたものじゃ……」
いいじゃない、と、フォルスが抗議の鳴き声を上げ、ついでレフテリスに向けてお礼のように鳴いた。
「お、おいフォルス……」
テオは慌てた。彼にとっては王族で第二階位の聖戦士であるレフテリスは雲上人だ。
しかしレフテリスに、バイアン、さらに老兵と、声を上げて笑った。
「そういえばその走竜、人の言葉が分かるという話だったな」
フォルスはまたひとつ鳴いて、テオを慌てさせた。
レフテリスはまた笑い、
「そう委縮するな。タロッソスでの活躍は聞いているぞ。私も君をテオと呼んでも?」
「あ、はい、もちろんです」
「神犬ファティアからも気に入られているではないか。勇者として認められたということかな」
そのファティアは知らんぷりして前方に鼻先を向けている。
そんな中、ショールは考え込み続け、
「その廟が爆破された時、それに気づき、国に知らせたのは水晶の奥方だったと聞いた」
レフテリスらは笑みを消した。
「そうでなければ、事件はヤルハ教会でもみ消されていたかもしれん」
会話の内容が初耳のテオは、怪訝な顔になったが、
「テオ、あんたの知るタロッソスのヤルハ神殿と、王都のヤルハ教会は別物だと考えなさい」
そうリディアに言われ、すぐに察したように口をつぐんだ。
「なかなか聡いようだな」
レフテリスはテオの顔を見てつぶやきながら、わずかに口元をほころばせた後、改めてショールに厳しい顔を向け、
「今朝起きたアブロヌの信徒の襲撃だが、王都のヤルハ教会も爆破された」
その言葉には、リディアもテオとともに目を見開いた。
「例の大神官は、すでに老齢で病気も患い、病院のベッドに寝たきりだったが、その病室も同時に爆破されている」
「……」
しばらくの沈黙の後、ショールは顔を上げた。
「妻の気配を感じない」
虚空を見つめつつ、ぼそりとつぶやく。
横を走るリディアが口を開く前に、後方でテティスが、
「へレイン卿、通信が通じません」
通信機を手に言った。
「ルーン神殿とも、戦士団とも」
「なんですって」
へレインは虚空を睨み、
(聞こえる?)
念話で全員に語りかけた。
リディアがそれに答えて、
(聞こえるよ。聞こえるけど……)
(感応が鈍い。水の中で声を聞くかのようだ)
レフテリスが口元を苦く歪めた。
霧の濃さは、黒くすら見えてきた。
フォルスの道具袋から顔を出すファティアが、空を睨んで唸り出した。
「どうしたファティア」
テオが怪訝そうに声をかける。
「奴らが近くにいる」
ショールがつぶやく。
「クレトスも、魔女もだ。この霧は、島船のものだけではない」
ショールは顎に手を当て、
「私は途中で一行から抜け、神殿を避けて湖に向かおうと思っていたのだが……」
「これがもし、島船のように人を迷わせる霧なら、やめたほうがいい」
レフテリスが険しく言う。
「我々と行動をともにしろ」
「それしかないか……」
霧の中に浮かぶように、ヤルハ神殿の門が現れた。
太く頑丈な鉄格子の門で、すでにそこは開かれ、人好さげな笑みを浮かべた老神官が、待っていた。
「お待ちしておりました。レフテリス殿下ですな」
油断なく下馬するレフテリスらに、老神官はにこやかに笑いかけた。
その後ろにもふたりの神官が従っているが、その表情はかぶる頭巾に隠れて見えない。
「我々が来るのを待っていたようだな。霧のせいか通信機も通じなかったというのに」
レフテリスの言葉には答えず、老神官は無言で微笑みを浮かべていた。
フォルスの荷物袋からファティアが降りた。とことことレフテリスの横に出る。その姿を老神官は認め、
「おお、その子犬がファティア様ですか。私は神官長の……」
そう言って一歩踏み出そうとしたところで、ファティアが牙をむいて唸りはじめた。
誰もが老神官に厳しい眼差しを向けていた。
しばしの沈黙ののち、
「なるほど、本物というわけか」
ファティアを見る老人の顔から笑顔が消えた。
「忌々しい番犬を片づけたと思ったら、転生とはな。おまけに犬畜生め、何やら厄介なものを喚んでくれたようだな」
老人の濁った眼は、兵たちの間に立つショールに向けられた。
ファティアは小走りでテオの元にもどり、フォルスの背中に乗る。それをかばうようにテオは弓を手にした。
ショールの前に、リディアが盾を手に進み出る。
レフテリスが口を開く。
「貴様もクレトスの信奉者か。先ほどの言葉、神官長自ら神犬の祠を破壊したわけか?」
神官長は返事の代わりに鼻で笑った。
そして老人は肩越しに背後の神殿を見やり、
「知っておるかな? この神殿は昔から冷や飯ぐらい達の掃きためとして扱われてきたのだよ。そしてここ数十年には、ヤルハ教会を牛耳る派閥が都合の悪い者を押し込める、牢獄になっていた」
それに対するレフテリスらの冷たい反応を見て、また鼻で笑う。
「知っていて放置されていたわけか。悲しいのう」
老人は錆の浮いた門扉の縁を撫でる。
「建立された当時は、青銅巨人の見張り役として、優秀な者が配されたようだがな。聖地ルデリアの近くにありながら、長く忌み避けられ、僻地のごとき場所となり、そして牢獄となった。勝手に逃げられないよう監視の兵だけはつけてな」
「その監視の兵とやらはどうした」
バイアンが声を投げると、老人は悪意に濁った目を流し、
「食い過ぎで死んだよ」
「なんだと」
「毒入りのパイの食い過ぎでな。そのままクレトスの餌にになってもらった」
「貴様……」
歩を進めようとするバイアンを、レフテリスが後ろ手に止めた。
老人は、レフテリスに目を向ける。
「わしらは死ぬまでここに押し込められる定めだった。神でなく、人の定めによってな。その銀の仮面がなければ、お前がレフテリスという名前の王族ということも分からなかっただろうよ」
「それでクレトスの甘い言葉になびいたと? 同情だけはするが」
老神官はまた鼻で笑い、
「同情? 結構。神々が道を閉ざしたところに、新たな道が開かれたわけだからな」
老人は声をあげて笑った。
「30年前にはすでに、ここはヤルハの神殿でなく、クレトスのための神殿となっていた。レフテリスよ、お前の爺様、あの腰の弱い、舵なき船のごとき王様の時代……、今日くたばった、あの大神官が好き勝手やった時代には、すでにな」
「大神官の死を知っていたか。押し込められてたという割には、随分と耳が早いな」
レフテリスが言うと、老神官はにんまり笑った。その目は狂気じみた何かで歪んで見える。
「わしがやらせたからさ。あれを安楽に死なせる気などないからの。お気に入りの部下がわしの娘を犯して死なせると、そいつを処罰する代わりにわしをここにぶち込んでくれよった。わしの娘は当時九つと五か月。ああ、犯した当人も、今日爆弾の破片を全身に浴びて死んだそうだがな」
想像以上におぞましい話にレフテリスらが口をつぐむ中、老神官は恍惚に満ちたように続ける。
「ほとんどの者が神と国を憎み、マギフスに鞍替えした。健気にも神々への忠誠を棄てられなかった者にも、竜王の贄になってもらった。駄犬の廟とともに焼けた、あの若造のようにな」
その笑みは、邪悪に歪んでいた。
「笑える話ではないか。ルデリアのこれほど近くに悪魔崇拝者の巣窟がありながら、水晶の奥方も、老いぼれオイディプスも、だーれもなんにもできぬ。まあそれも、我らが王のお力が働いたゆえかも知れんがな」
その言葉は徐々に興奮を帯びていく。
「我らは時が満ちるのを待った。復活した魔女の手助けによって、わしが生きている間にその時が来た。にわか仕込みの新参者たちを利用して武器を整え、王のための贄になってもらった。王の封印はとうに弱まり、その復活をお迎えするための準備は整った。あとはその駄犬と、そやつが喚んだ邪魔者がいなければ!」




