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水晶の奥方②

 テオはショールを見送って後、厩舎までフォルスを連れて行こうとした。


 その途中、フォルスが芝生の広場に置かれているあるものに興味を示した。

「ああ、グライダーか」

 飛行魔法の道具としては最も一般的なものだった。

 左右に大きく広がる特殊な繊維の翼があり、その下に人間が掴まるための骨組みと、地上を移動するための車輪、体を固定するためのベルトが取り付けられている。

 機体の下に魔法陣が描かれている。ここから風の魔力を出して空に浮かび上がる。


 フォルスはそれを見て、羽のある小さな前足をぱたぱた動かした。

「ああそうだな、あれで空を飛ぶんだ。いや、さすがにお前は乗れないぞ」

 フォルスは動きを止め、しゅんとうなだれた。


「本当に人間みたいな子だな」

 声がかかって振り向くと、聖戦士バイアンがいた。

「走竜は鳥に近い種族とも言われるからな。空にあこがれる何かがあるんだろう」

 そう言ってバイアンはフォルスに歩み寄って、その首を撫でた。

 少し離れた所に、へレインの弟子テティスもいた。テティスはフォルスから少し距離を置いている。フォルスがどうしたのと鼻先を向けると、彼女は少し身を引いた。どうもフォルスのような生き物が少し苦手のようだ。

 バイアンはそれを見て笑みを浮かべてからテオに向き直り、

「これからあれを動かして島船を見るんだが、君もどうだ?」

「……俺ですか?」

 


「ちょっとテオ、何してるの」

 様子を見に来たリディアが呆れた顔で腰に手を当てていた。その足元ではファティアもお座りしている。

 テオはバイアンと並び、大きな翼の下でベルトに身を固定していた。

「いや、バイアン卿に誘われて……」

 困ったように言いながらも、その目は輝いている。

「いいけどあんた、あたしの従者ってこと、忘れんじゃないよ」

「忘れるわけないでしょ……。ところでリディア卿、その口調はいいんですか?」

「私は10歳の時からここで修行してたのよ。取り繕っても気味悪く思われるだけよ。ああでも、あんたは敬語のままの方がいいわね。厳しい人も多いから」

「……その厳しい方々は、あなたには何も言わないんですか?」

「とっくに諦めてるに決まってんじゃん」

 テティスは苦笑いし、バイアンは快活に笑った。


彼もベルトで体を固定し、長い横棒に掴まる。

「俺はこいつの操作が好きでね。まあ、飛び上がるためには風の魔法や引力を押さえる魔法もいるんだが。俺はそれが苦手だからテティスの手が必要なわけだ」

 そのテティスが魔法陣の横に立つ。

「準備はよろしいですか?」

「ああ」

 バイアンの返事とともに、テオも横棒を握る手に力を込める。彼は期待とともに、自分が宙を舞う姿をイメージする。

「それでは……」

 テティスが小声で何かを唱える。

「……」

 そこに、フォルスが興味深そうに顔を寄せてきて、

「きゃ!?」

 テティスは思わず飛び上がって、魔法が途切れた。


「こらこらフォルス、邪魔しちゃだめだよ」

 リディアがあきれ顔でフォルスの手綱を取り、フォルスは申し訳ないと、テティスに向けて小さく鳴いた。

「あ、あはは……」

 テティスは乾いた笑いとともに改めて魔法陣とグライダーに向き直ったが、

「あら……」

 首を傾げた。バイアンが声をかける。

「どうした?」

「魔法が起動していますね」

 それからテオに目を向けた。

「テオ、何かやりました?」

「俺ですか? 別に……」


 リディアは口に指を当てて考えてからファティアを抱き上げ、

「テオ、形だけでもいいから土の言葉を唱えてみて。大地が引き寄せる力が弱まるイメージで。次に風の言葉を唱えてみて。その魔法陣からグライダーが吹き上がるイメージね」

「……」

 テオは学院時代に習った基本的な魔法の言葉を口の中で唱えた。その言葉自体が魔力を持つというより、イメージを固めるための言葉だ。

 

 突然、グライダーが飛び上がった。

「うおおお……!?」

 バイアンが急上昇に叫ぶ横で、

「……ははっ」

テオは初めての空の世界に笑顔を見せた。



「魔法の才能がない、ねえ……」

 フォルスがはしゃぐ横で、上昇するグライダーを見上げながらリディアはつぶやいた。それが耳に入ったテティスが眉をひそめて尋ねる。

「それ、テオのことですか?」

「あいつのお母様も、イスロの教師も、何を見ていたのかしらね」



 グライダーは上昇しながら回転し、はるか上空で動きを止めた。

 曇天だが、空気は澄んで、彼方まで見渡せる。シ

 テオは感嘆とともにルデリアの町を見下ろす。大神殿を中心とした神殿区は白い半月を描いていた。大神殿の奥には月の女神ルーンが沐浴し、アマゾネスの始祖アルテシアが生まれたという泉と、壁に囲まれた神聖な庭園。

 それから町の前に広がる平原を眺める。緑と茶の四角い組み合わせが続き、いくつもの池や沼、大河ダウらしきものも見える。


「すごい、これが空からの景色……!」

「あ、ああ、そうだな……」

 少し目を回したバイアンの横で、テオは目を輝かせていた。

「俺、高い所といえば巨人の丘くらいしか知らなくて……」

「まあ、ヨレンに高い所はそうそうないからな」

「あれは……」

 テオが右へと振り向くと、グライダーも向きを変えた。そのことにバイアンは眉を上げた。

「あれが、島船……」

 ルデリアの町から北東に広がる森の中で、霧が渦を巻いていた。その中心に、絶壁に囲まれた武骨な城が聳え立っていた。

「ショールの奥さんがいるところ……」

「ああ、聞いていたんだな」

 グライダーは自然とそちらの方に吸い寄せられる。

 

 バイアンはそのグラインダーを見渡す。

「テオ、君……」

「何です?」

「飛行士の経験、本当にないのか?」

「ええ、ないですが……」

「だが今、このグライダーを操っているのは君だぞ?」

「え……?」

「とりあえず、降りてみようか」

「あ、はい……」

 少し残念そうにテオは答えた。

 

 そしてゆっくりと旋回をはじめた時だった。

「バイアン卿、あの煙は……」

 テオが見たのは、草原のはるか向こうに昇る黒煙だった。

「あれは……」

 バイアンも目を凝らす。

「大河ダウ……、国境だ」

「バイアン卿、あれも」

 そこかかすんで見える景色の中に、立ち昇る煙の筋が見える。

「テオ、すぐに降りるぞ!」

「はい!」

 グライダーは、バイアンが思わず悲鳴を上げる勢いで下降した。


 空を覆う雲は、その厚みを増していた。




 その頃、ヨレン最大の港町に、大型の貨物船が接近していた。帆と外輪で動く古い形式のものだった。

 その貨物船を遠巻きに、ヨレンの3隻の軍船が取り囲んでいた。


『停船せよ! 停船せよ!』

 軍船はしきりに呼びかけるも、その船に乗組員の姿すら認められない。

 

 その貨物船は、港まで2キロメートルの所で、蒸気を放つ煙突から緑色の煙を出し始めた。

「アブロヌ結社のエーテル反応!」

 提督の横で観測手の魔法使いが声を上げた。

「撃て!」

 提督は即座に命じ、3隻の軍船から立て続けに砲弾が放たれた。

 直撃と同時に、砲弾によるものとは違う大爆発が起きた。それとともに海原に女の笑い声が響き、同時に緑の煙が入道雲のように立ち昇る。

 その煙は、海から吹く風に乗って、港へと向かって行く。


「毒です!」

「総員船内へ! すぐに港へも連絡しろ!」

 提督は命じてから、拳を目の前のガラスに叩きつけた。

「アブロヌの狂信者どもめ!」



「やつらめ!」

 レフテリスも通信機の前で拳を机に叩きつけた。

 


 毒煙の爆弾を積んだ貨物船が、海や大河の国境沿いの港を次々に襲撃していた。

 同時に王都や各都市に潜入を計ったアブロヌ結社と思われる者たちが、止めようとした警護の兵や警官隊を巻き込んで自爆する事件が立て続けに起きた。


 その中には、王都のヤルハ教会も含まれていたという。


 へレインとともに『水晶の奥方』の聖堂から出て、ショールはそのまま神殿にたむろするレフテリスらの元に向かう。

「ショール」

 リディアがそれを呼び止めた。後ろにはテオと、その足元にファティアもいる。

「奴らが動き出した」

 ショールはうなずく。

「クレトスの追跡は?」

 その言葉にリディアは眉をひそめ、

「クレトスの追跡部隊が襲われた。アブロヌの信奉者たちよ。その間に見失ったみたい」

「そうか……」


 そこにアレコスもキモン、ギデオンを連れやってきた。

「青灰の湖に行くのか」

「ああ、できるだけ急いで」



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