水晶の奥方①
朝食を終えると一行は足早に移動し、午前の速い時間にルデリアに到着した。
ルデリアはヨレンにおけるルーン信仰の総本山ともいえる場所だった。ヨレンのみならず西方世界全体から見ても、月の女神ルーンの重要な聖地として知られる。
いや、それにとどまらず、月の女神を別の名称で呼び称える、他文化圏の人々も礼拝に訪れている。名前は異なれど同一の存在として多文化の神をも称えるのは、今の時代に珍しくないことだった。
ルーン神殿を中心に半円状に広がる神殿地区があり、壁で仕切られたその外側に商業、住宅区域がある。
住民の多くは神殿の関係者か、そうでなければ礼拝者を相手に商売を行う門前町の人々だった。この町では新規の住民の受け入れもほとんどなく、多くが古くから続く家系だ。
巡礼者たちが行きかう門前の目抜き通りを進んで突き当りの大門をくぐり、石積みの古い神殿建築が立ち並ぶ区域に入る。
ルーンの侍女神や、神殿を守護のために祀られる盾の女神パロ、そして、ルーンに魔法を伝えたという魔法神オハリアの神殿も小規模なものながら配置されている。
地区の奥にあるルーン神殿の入り口で、ショールは馬車を降りた。
「殿下、私はこれで」
「うん、気を付けて、ショール」
王太子らを乗せたものはじめ、学生たちの馬車は、ルデリアの宿坊に向かう。そこで昼食をとって後、近衛隊とともに王都に向けて出立する予定だ。
「私が案内するわ」
そうショールに言ったのは、バイアンの妻へレインだ。ショールはうなずき、フードを脱いだ。
守護殿に、ショールと案内役のへレインのみで入る。
明るい中庭を右手に、柱が連なる薄暗い廊下を歩く。
磨き抜かれた石の上を歩く足音だけが響く。
両開きの扉の前に、巌のような肉体が鎧の上からでも分かる女性聖戦士がいた。くせのある赤毛を胸元に垂らし、日に焼けた褐色の肌の中、深く暗い緑の瞳が鋭く光っている。顔立ちは厳しく、しかし美しく整ってもいた。
纏う衣は、第二階位を示す赤いものだ。
「カサンドラ戦士長、従士ショールをお連れしました」
「ご苦労、姉妹へレイン」
彼女がうなずくと、へレインはショールを残して下がっていく。
カサンドラは無言で扉を開けた。重く頑強そうな見た目の扉だが、音もなく開けられる。
カサンドラはショールに目をやり、うなずいた。それに促され、ショールもまた無言でその中に足を入れる。
扉が閉められると、まず小柄な老人が出迎えた。
「久しぶりじゃの、ショール」
「オイディプス師」
頭髪も髭もなく、皺だらけのその顔の中、青く光る目と引き結んだ口元は往年の大魔術師の健在を思わせた。
老人はその間の奥に体を向けた。
天窓が唯一の灯かりとなる、ほの暗いそこは、左右に並ぶ石柱が奥まで続いている。その奥には、巨大な水晶の塊がぼんやりと光る。
その手前に、最高位を示す紫の衣をまとう、屈強な聖戦士が立っていた。
ショールは老人の先導で水晶の前まで進む。
定置につくと、老人と、その聖戦士……、王弟にして聖戦師団総長レオンティウスの無言の視線の中、ショールは片膝をついた。
「お召しに応じ、ショール・クラン、参りました」
『あら、随分と堅苦しいですね』
奥方の声が響く。
ショールは顔を上げた。
「堅苦しいほうが、角は立たない」
『あなたでもそういうことを気にするのですね』
水晶の淡い光が強まり、その中の奥方の姿がはっきりと表れる。
セレネによく似た、紫の衣をまとう美しい女性聖戦士の姿だった。眠るように目を閉じ、水晶の中に浮いたまま固まっている。
「円満な関係を保ちたい相手となら」
『あなたがヨレンのよき友でいてくれることをルーンに感謝しましょう、星の影よ』
『水晶の奥方』こと、テルセウス1世の正妃オフェリア。かつては王を守護する聖戦士でもあり、優れた魔術師でもあった。
200年前のアブロヌ王との戦いにおいて、魔術師の部隊とともにアブロヌの魔女と戦い、かの魔女を黄泉路に放り込むことと引き換えに自らを水晶の中に閉じ込め、しかし、その水晶の中で尽きない命を得たと言われる。
その時ひとり生き延びた若き魔術師も、その余波を受けてか尽きない寿命をもって奥方に仕えている。ショールの後ろにいる、老魔術師オイディプスだ。
『さて、これまでのご助力に改めて感謝いたします、ショール・クラン。ですがもうひとつ、あなたにお願いしたいことがあります』
奥方の声が張り詰めたものになる。
『青灰の湖にある、青銅巨人の破壊です』
「……」
『あなたがこの国に来て9年……。どうしてもっと早くこのことに思い至らなかったのか……。とにかく、あなたの鏡の力であれを破壊してほしいのです』
ショールは目でうなずき、
「タロッソスにあった巨人の右手を見た時も、食えるという感覚があった。可能だとは思う」
『心強い言葉です』
奥方の言葉から、少し硬さが抜けた。
『あれはヨレンにとって悩みの種でした。巨人に眠るクレトスの存在は昔から感づいていたことでしたが、巨人が持つ瘴気の強さゆえ、うかつに破壊を試みればどのような悪影響が出るのか分かりませんでした。故に我々はあれを封じ込め、人々が近寄ることを禁ずるしかなかった。巨人の丘しかり、青灰の湖しかり』
「あれと、アブロヌの子らとの接触は、200年前のアブロヌ王の侵攻時からだろうか」
ショールが尋ねると、
『間違いありません。かの者たちがこの国に攻め入った、その最初の時に、魔女が率いた軍団はタロッソス近郊にまで至りました。あの魔女もマギフスの類……。クレトスと接触を果たしたはずです』
そしてクレトスは、古代ウルの王朝を滅ぼした竜骨の王、その配下の竜骨たちの場所を伝えたのだろう。
『2度目の侵攻の際、私たちは奴らの騎馬部隊を北の湿地に誘い込み、撃破しました。しかし今思えば……、あなたがタロッソスの湖で発見した、神殿の帯文字の記録の件を聞く限り……、奴らは最初から湿地に眠る竜骨が目当てだったのでしょう。そして3度目の襲撃の時、それを用いてこの国を攻めた』
そしてこの国は、青銅巨人を起動して竜骨の魔物と争った。
『オイディプス、その時の話を』
「はい、奥方様」
ショールの後ろに控えていた老人が、語り始める。
「その時すでに、青銅巨人の中にクレトスや多数の怨霊が存在することは知られていた。そこで我らは、死霊術の知識を持つ数少ない古き魔術士たち、そして西のカルパート山脈にある白魔女の結社に協力を仰いだ」
そして巨人に大がかりな術を仕掛け、その中で多くの魔術士が自らの命を捧げた。
「術の詳細は、当時若造だったわしにも分からぬ。ただ、術者の命と引き換えに強大な死霊を拘束するものであったことは間違いない。クレトスを完全に封じている間に、われらの師の中でも最も優れた魔術師が命を絶って巨人に乗り移り、アブロヌの軍と竜骨の魔物どもを倒した」
老人は首を振った。
「ショールよ、お主が蘇らせた古代ウルの物語を知った今、自ら命を絶ってまで巨人を制御した師らに対し、感謝の念が絶えぬ。ひとつ間違えれば竜骨と呼応してクレトスと青銅巨人が蘇り、さらには竜王の神殿もその封印が破られて、太古のマギフスが蘇っていかも知れぬ。あの時の惨劇が、さらに凄惨なものになっていただろう」
そしてひとつため息をつき、
「その時、師は、巨人の中からわしらにひとつの命令を下した。竜骨の残骸は残らず破壊せよ。それがかなわぬ時も、その数だけは必ず全て把握せよと」
「それはつまり、いずれその竜骨を誰かが再び利用しようとするだろう、そう予見されたということだろうか」
「そういうことじゃろうな。竜骨の回収は戦後になるまでできなんだが、わしらはその数と種類を記録することだけはできた。のちに回収した竜骨の残骸はその7割。残り3割はアブロヌの残党もしくはクレトスの弟子が持ち去ったと考えられる」
「私たちが巨人の右手とともに破壊した竜骨、クレトスがタロッソスの警察署から奪った竜骨、タロッソスの湖で私やアレコスに襲い掛かった改造魚に用いられたもの……。それらの報告を受けておられるだろうか」
「うむ。おおよその竜骨の量についても把握した。おそらくお主やアレコスらによって破壊された竜骨は、行方知れずとなった竜骨のほとんどを占めているはずじゃ。クレトスには巨人の右手と合わさった時ほどの強力な肉体はもはや作れまい……、と、言いたいところじゃが……」
『まだ青銅巨人の本体がある』
奥方が引き継いだ。
『クレトスは必ず青灰の湖に戻るはず。そこにある、青銅巨人の本体を求めて。奴が来る前に、それをあなたに破壊してほしい』
「……」
ショールは視線を下げる。
「どうした?」
レオンティウスが声をかける。
「奴が霧に触れれば、妻が気づくはずだ」
ショールはつぶやくように言った。
すると、
(奴らもそれを分かっている)
その妻、アマルの声がショールの心に響く。
(魔女はお前のことを、私たちのことをクレトスに囁いている。奴らはお前を注視している。お前はクレトスの眼をつぶして自分の切り札を隠そうとしたが、魔女はからかいながら、お前のことを奴に教えている。肝心なことは隠しつつ。そう、からかいながら……)
ショールの心に、妻のものだけでなく、自分自身からの警鐘も鳴り響く。
(気を付けてショウ、奴らはお前を見ている)
『御内儀からの警告がありましたね?』
「……」
ショールは少し沈黙した後、
「巨人を破壊するに当たり、気になることがある」
『ヤルハ神殿ですね』
ショールはうなずいた。
『あれは私にとっても痛い失敗でした。私やオイディプスは、つとめて国や教会のやりように口を出さぬようにしてきましたが、巨人の監視という重要な任務が形骸化するとは思わなかったのです。年月は人から脅威を忘れさせる、ということを軽く考えていました』
「ましてや、あそこを監獄として使うとは」
オイディプスはためいきとともに首を振った。
「気づいた時には遅かった。レオンティウス殿下の前で申し上げたくないことじゃが、先王陛下はお心が優しい、というよりは弱い方であった。ここにこもる我らの警告よりも、すぐ身近にいる、口の達者な母方の伯父に乗せられてしもうた」
レオンティスは小さくうめく。彼の父のことだ。母方の伯父と言うのは、90を超えてなお教会に君臨しているという、ヤルハの大神官だろう。
『あの神殿は、もはやクレトスの手に落ちている、そう見ていいでしょう』
奥方は断言した。
『しかし、あの神殿は巨人がどこに眠っているかを示す存在でもあります。神殿があるのは湖岸の突端。その先に巨人が沈んでいるのです』
ショールは考え込むように顎を引いた後、
「すぐに準備します」
そう言って頭を上げた。




