ルデリアへ
その晩、とある町で、人が死んでいると通報があった。
夜間であり、非常事態により外出が戒められているため、野次馬こそいななかったが、その死体は町の大通りのそばに捨て置かれていた。
駆け付けた警官が見ると、その遺体は心臓に短刀を突き立てたまま大の字にされて捨て置かれ、そのそばには「背教者」と書かれた紙が。
応援の警官たちが集まる中、その事件の通報者は、遺体を指さし言った。
「お巡りさん、その死体の下、何か書いてありますよ」
警官が死体を除けて地面を見ると、そこには魔方陣のようなものが。
首をかしげる警官に、男は言った。
「それ、生贄のための魔方陣ですよ」
「何だと?」
警官は、いぶかし気に男を見上げた。
そこにやってきた、応援の警官のひとりが叫んだ。
「アブロヌ派のエーテル反応が!」
その通報者は、口元に三日月のような笑みを浮かべた。
「あなた方にも命を捧げていただきます」
そして、懐に隠し持っていた爆弾を起爆させた。
―——こんな事件が、その晩、いくつも起きた。
「これは粛清だろうな。アブロヌの結社の中での」
朝一で招集された会議の中で、アレコスが報告した。
「昨日の男……、イスロの学監だった男の実家はどうだ」
レフテリスが尋ねると、
「一族で内輪もめを起こしたそうです。凄惨な殺しあいの末、住宅街のど真ん中で家ごと吹き飛んだとか。殺し合いの場からひとり逃げ出した8歳の女の子だけが生き残って、証言したそうです」
アレコスは疲れた顔でそう言った。
すると会話の途中で部屋に入ってきたキモンが、
「先ほど入った情報です。その女の子を保護した警察署でも爆発が起きたそうです」
その場にいたものは顔を見合わせる。
「まさかその女の子が……」
親衛隊長がつぶやくと、キモンは疲れた顔で、
「そういうことのようです」
沈黙が落ちた。
「クレトスの情報は?」
席に着いたキモンにレフテリスが尋ねると、
「夜陰に紛れて森に逃げ込んだそうですが、追跡を振り切れず、一時間前にもその姿が確認されています。ここから東に10キロほどの距離です」
「そうか……」
ショールはレフテリスと視線を交わしたあと、親衛隊長と聖戦士ニコラスらに目を向けた。
「とにかく私たちはルデリアに向かう。そちらも予定に変わりはないだろうか」
「ああ」
ニコラスが答える。
朝食後ほどなく、ショールらは学院の一団とともに出立した。
その出立の前、リディアの母はテオを呼び止めた。
「これは、君の母君から送られた手紙だ」
そう言って、1枚の封書を差し出してきた。
「……」
「届いたのは、君がうちに来て間もなくのことだったが……、その時の君には渡せないと思ってね」
「テオへ」と書かれた表書きは、確かに母の筆跡だった。
テオは覚悟を決めたかのような顔でその封を開け、手紙を開く。
手紙は、詫びの言葉から始まっていた。
『まずは、あの日あなたの言葉も聞かず、あなたを責めた私たちを許してください』
そして、
『確かにあなたの言う通り、私たちはあなたのおじい様を、あなたに重ねていたのかも知れません』
自分は医師であった母に憧れる一方、たまにしか家に帰らず、帰った時も酒を煽りながら武勲を自慢する父のことを、どうしても好きになれなかった。
体調をくずした母のことを気にするそぶりも見せず、ついには葬儀にも顔を出さなかったことで、父への反感は決定的なものになった。周りの大人たちはお役目だからと言っていたが、そんな言葉でも父を許すことはできなかった。
そして学院に入り、のちに夫となるテオの父に誘われ学問に傾倒した。そうした人々と付き合ううちに、武事というものに対して、嫌悪といってもいい感情が芽生えた。
『私には、軍人、武人というものが野蛮にしか思えませんでした。だからあなたには、あなたのおじいさまと同じ道を歩んでほしくなかった』
しかしそんな親の思いとは別に、テオは祖父になついて武芸に熱中した。
『そんなあなたを見て、どうして私たちの気持ちを分かってくれないのかと苛立ってしまった。カシアやイリアスの邪魔をしないでと、ひどい言葉をも投げかけてしまいました』
いつしか自分は、憎み反発した父と同じように、子供の気持ちと向き合いもせず、自分の都合ばかり押し付けていた。
『あなたは私たちに愛されたいと願っていたのに、私たちは人から指摘されるまでそのことにも気づけなかった。手に負えない子と決めつけ、あなたを傷つけていたことにも気づかなかった。テオ、どうかこの愚かな父と母を許してください』
多分、リディアの両親に言われたんだろうな。そうテオは思った。
『これからあなたがどのような道を選ぼうとも、私たちはそれを否定しません。親として出来ることがあれば頼ってください。今はまだ私たちに顔を見せたくはないでしょうが、いつかは元気な顔を見せてください。あなたを愛しています』
「……」
テオは黙って手紙をたたんだ。その口元には微笑みが浮かんでいた。
封書に戻し、懐にしまってから、一言漏らす。
「結局、子供扱いか。俺はもう、大人のつもりなんだけどな」
「いくつになっても、親子は親子だよ」
リディアの母は口の端を上げながら言う。
「それともうひとつ……」
リディアの母は、テオの腰の剣を指さす。
「それはわが夫の剣ではない。君の父君が、折ってしまった君の剣の代わりに用意したものだ」
「え……」
「付呪をかけたのも君のご両親だ」
「そうですか……」
テオはその剣の柄をぎゅっと握った。
それからリディアの母は、優しい口調で、
「テオ、こっちを向け」
テオは言われた通りにリディアの母親に目を向ける。
リディアの母は、テオの目を覗き込んで、ふっと笑った。
「ほんの数日でいい顔になった、テオ」
「はい、目の前の曇りが取れた気がします」
テオは胸に拳を当てた。
「行ってまいります、奥様」
「ああ、行ってこい。リディアを頼む」
リディアの母は、テオの肩に手を置いた。
テオは昨日と同じくフォルスに乗ってカシアたちの馬車に並走する。
「ドラゴンライダーだね、兄さん」
馬車の窓から、弟のイリアスが笑って言った。
「まあ、違いないな」
テオが苦笑すると、フォルスは首をかしげながら、何なのと小さく鳴いた。
テオはそんなフォルスに、
「ドラゴンライダーってのはな、普通は空飛ぶドラゴンに乗る人間を言うのさ」
翼を広げ、大空を飛び回るドラゴンは、中世代の物語を最後に、すでに伝説の存在になっている。
いや、アブロヌ王の侵攻の時、飛竜が現れ、アブロヌの軍勢と戦った噂があったか。
「それに、人を乗せて空をかける竜ってのは、雷神ヤルハが勇者に遣わすものなんだ。『雷霆の翼』、『尖りなき鹿の角』を持つと言われてる。ドラゴンライダーは、俺とお前には重すぎる称号だよ」
しかしフォルスは少し悔し気に、羽のついた前足を動かしながら唸った。
それを見てテオと、馬車の中のカシア、イリアスらは笑った。
ショールは昨日と同じく王子、セレネ、シンシアの3人と同じ馬車に乗った。
一行の護衛は強い緊張とともに平原を進む。テオもまた時に談笑はしつつも、左右に目を配り続けていた。
警戒する陸軍の部隊がそちらこちらに見える一方、道を行く人の姿は少ない。
昼食のために立ち寄った町でも陸軍が守備についていた。
「戦時みてえな空気だな」
川岸の宿で肉を挟んだパンを頬張り、ギデオンがつぶやく。
河川でも、小型の軍船が遡行していくのが見えた。
「参戦した経験が?」
テオが尋ねると、ギデオンは川を眺めたまま答えた。
「お前くらいの歳には南アルカナ大陸で戦争に加わっていた。その後は東南列島だ。世界を見渡せば、どこかしらで戦争は起きているもんだ」
「……」
「その経験でいやあ、こういうのはどうも気に食わねえ」
「こういうのとは?」
ギデオンは親指をなめ、
「こっちが身構えている時に、敵の気配がねえってことだ」
昨夜同時に起きた騒動を最後に、今のところ大きな事件の情報は入っていない。
「こういう時は、気を抜いた途端にどかんと来る」
ギデオンは指を舐め、空を見る。
テオもそれに釣られた。
風が遠くで鳴き、雲の流れは早い。
そして少しずつ、空が雲に覆われていく。
午後の行程も、滞りなく一行は進む。
「素朴な疑問なのですが……」
王太子らの馬車の中で、シンシアが口を開く。
「ルデリアにいらっしゃる『水晶の奥方』は、なぜ『奥方』と呼ばれているのでしょう」
「水晶の奥方」は、200年前にアブロヌ王と戦ったヨレン王、テルセウス1世の妃だった。
セレネがくすりと笑う。
「あなたの言いたいことは分かるわシンシア。じゃあ他の呼び方があるのかって話になるけど、先代の王様のお妃さまはなんて言うのかしら?」
「王太后さまですよね?」
「そのさらに先代は?」
「……分かりません」
「大太后とか言うみたいだけど……、ともかく、奥方様は200年もご存命でらっしゃるけど、早いうちからどうお呼びすればいいかの議論があったらしいの。そこでご自身が『奥方』でいいとおっしゃったそうよ」
「しかし『奥方』とは……。恐れながら、少々軽い呼び方のようにも思います」
「ご本人はそれでいいんだよ」
テルセウスが苦笑とともに言った。
「奥方様は、王妃の椅子に座るよりも、聖戦士として馬に乗っていた方が合っていたとおっしゃっているくらいだからね」
その会話の間、ショールは窓の外を眺め続けていた。
テルセウスはそんなショールを見て、いささか不安を込めて聞いた。
「ショール、何かあるのかい?」
ショールは少しの沈黙の後、
「今のところは何も。それが気になる」
護衛の面々は緊張とともに平原を進むが、今のところ静かなものだった。行き交う人々にも異変を感じさせるものはない。
(今日はまだそれらしい事件の報告はない。不気味なくらいにな)
アレコスからショールに念話が届く。
(クレトスは?)
(やはり青灰の湖を目指しているようだが、軍が張った網を抜けられずにいるようだ。その姿も、俺たちの前から逃げ去った時とさほど変わっていない)
(タロッソスの様子はどうだ?)
(そちらも異常はない。重火器を用意した一個師団が警戒している。万一巨大な鉄の化け物が出てきても大砲で吹っ飛ばせるように)
(そうか……)
宿となる大きな町に至っても、特に事件らしい事件の報告は入らなかった。
「何もなかったわね……」
神殿の宿坊で鉄帽子を脱ぎながら、リディアはつぶやく。
ギデオンがそれに短く答える。
「逆に静かすぎる」
その夜、テオは、夢を見た。
(ああ、この夢の感じは……)
覚えのあるものだった。今度は何が来る。
『大丈夫、おかしなことはないよ』
少女の声が聞こえた。
「……ファティア?」
テオが目を凝らすと、純白の体毛と金色の眼を持つ、大きな狼犬が現れた。
闇が晴れた。
そこは、石の広間だった。天井は高く、月の光が差し込んでいる。
玉座だろうか。女性が石の椅子に腰かけていた。長い黒髪の女性。不思議とその顔が見えない。
ファティアはその女性のそばで前足をそろえて寝そべっていた。
そして狼犬ファティアは口を動かさずに語る。
『君はとてもいい顔をするようになった。君の心に刺さっていた棘が抜けて、本来あるべき君に立ち返ったんだろうね。僕の友人エウメロス……それに、もっと昔の偉大なヨレンの王にも似ている』
「ヨレンの王だって?」
『おかしな話じゃないよ。ヨレンの歴史は長い。この国のほとんどの人間は、僕が見る限り先祖のどこかでヨレン王家に繋がっている』
ファティアは身を起こし、行儀よく座る。
『テオ、君には勇者の資質がある。君になら僕の力を託せる。はるか昔、マギフスに対峙するために雷神からヨレンへと託された僕の力を』
テオが思い起こしたのは、ファティアの祖先とされる神犬の物語だった。
「それじゃ、あの伝説の神犬は……」
『神話は人間の頭で理解しやすいように形を変えたものだ。その詳しい話をしたら君の人生の時間が終わってしまう』
からかうでもない口調で言った後、
『テオ。クレトスの同盟者、あの魔女の一派によって、僕が予想したよりずっと早く物事が進んでしまった。ペリュニリスの助けによっておおよそ最善の形に収まってはいるけど、それでもあの巨人を抑えるには僕の力が必要になる』
「ペリュ……ニリス?」
慣れぬ言葉に、テオは首を傾げた。
『ペリュ二リス。ショールのことさ。ペリューンの星の影、ペリュニリス。近い未来に彼はこう呼ばれる。その名は海と炎に挟まれた町の、とある少年の手で生み出され、やがて世界に広まり、彼のもう一つの名となり、称号となる……』
ファティアは、「話を戻すよ」と告げてから、
『君の祖先、エウメロスの怒りはペリュニリスでも抑えきれない。僕の力がいる』
「エウメロス……」
『クレトスはエウメロスの怨念を利用する。怨念を抑えるのは力づくでは無理だ。たとえペリューンの炎に焼かれても、怨霊は形を変えて蘇り、災いをもたらすだろう』
その金色の瞳は、どこか悲しげに見えた。
『僕はエウメロスを救いたい。だが、僕の身体はまだ幼すぎる。神々から授かった力を発揮できないんだ。だからテオ、君たちに託したい。わが友エウメロス、もっと昔のヨレンの勇者たちと同じ目を持つ君に……。君と、そして、君の忠実な友、あの心優しく勇敢な走竜フォルスに』
「フォルスに?」
『テオ、今日、全ての決着がつく。その時君たちに僕の力を受け取ってほしい。だがそれによって君たちは、神々から大いなる責務をも与えられることになる。クレトスとの決着がついても、この国はこの先幾度となく試練を受けるだろう。あの魔女をはじめ、マギフスどもがもたらす試練を。やがて王太子テルセウスがそれを引き受けることになるだろうけど、彼を支える力がいる。君もそのひとつになって欲しい』
そして玉座の女性がつぶやく。
「そのために、私は彼を呼んだ」
テオはその女性の言葉を聞き、はっとして尋ねた。
「……あなたが、ショールの奥さんですか」
女性の顔が見えるようになった。ショールと同じく、浅黒く、どこの人種か分からない顔立ちだが、薄く笑うその顔は少女のようにも見えた。
「はじめまして、あなたがテオね」
『そう、彼女がショールの伴侶。星の影の片割れ』
ファティアも答える。
『僕の祠が破壊され、鉄のマギフスが目覚めようとするとき、僕は彼女を呼んだ。そして彼女がペリュニリスを呼んだ。今度のことだけでなく、今までも同じように、世界の様々な場所で彼女たちは喚ばれてきた』
「ここは、島船……」
テオは広間を見渡す。
ファティアは続ける。
『テオ、ルデリアの地では今までにない大きな試練が君たちを襲うだろう。悲しい出来事もあるかもしれない。だけどそれを止める可能性を持つのも君たちだ。君たち自身に投げつけられる死の影を振り払うためにも、僕の力を受け取ってほしい』
目の前に霧がかかり、テオの意識が遠のいていく。
テオは目覚めた。窓の外が白み始めるいつもの時間だった。
その時には、夢のことはほとんど思い出せなくなっていた。
同じ部屋にはショールやアレコスらも寝ていた。
ベッドの横を見た。円形に整えられた犬用の布団の中でファティアが身を丸くしていた。
ファティアが身をゆすり、顔を上げた。その金色の眼は薄暗い中、どこか哀し気にテオを見上げた。
「ファティア……」
声をかけたが、ファティアは再び顔をうずめた。
テオは、言い知れない寂しさを感じて、ファティアの頭に手を置く。
(何だろう、この気持ちは……)
彼は確かに、何かを予感していた。




