昏きものども②
『ああいやだ、年月を重ねればこのような者どもも現れるものか』
男の口が動いた。ただし、そこから出た言葉は女のものだった。
男もまた、その目を驚愕に見開き、おのれの口に目をやった。
『このような文明かぶれ、わが王がご覧になれば、即座に頭をかち割っただろうよ。嘆かわしや』
「アブロヌの魔女!」
固まっていたアレコスらが一斉に銃を構えた。テオも矢を取り、兵たちは魔女の名に一瞬おののいてのち、再び銃口を男に向けた。
「貴様……!」
レフテリスも矛を抜いた。その眼前にバイアンらが飛び出し、老兵も銃を構える。
怯える男の喉から、魔女の撫でつけるような声が響く。
『まあ、こやつのことなどどうでもよい……。いるのだろう? 愛しい我が子よ』
男の顔は左右を見渡す。その目と両腕は戸惑ったように泳ぐが、足は動かず、喉からは魔女の艶やかな声が流れ続ける。
『ついにお前を見つけた。島船を追う魔法使いの噂を聞いた時、お前だと思ったよ』
ショールは川の上に佇んだまま、フードの下から人形のような目を男に向けていた。魔女は続ける。
『島船が霧をもってクレトスの邪魔に入った。マギフスの竜骨が焼かれ、夢歩きも破られた。クレトスの弟子どもも目と心を潰された。ああ……、お前は素晴らしい魔術師だ。この私まで傷つけるとは……』
ショールは答えない。
『我が子よ、どうして答えてくれない? この腹を痛めて産んだというのに、どうしてそんなに冷たいのかね』
「引き裂いたのはお前の胃袋だ。子になった覚えはない」
ショールは静かに答えた。
『ああ、そこにいたのか』
男の顔が、ぐるりと後方のショールへと向いた。首がねじれ、その骨が砕ける嫌な音が響いた。
『悲しいことを言うじゃないか、わが子よ』
男は白目を剥いた。絶命しただろう。それでもその体は二本足で川べりに立ち、口は動いて女の声を出す。
『お前を作ったのはこの私だよ。あの時のお前は狂って獣のようだった。哀れなお前をこの腹の中で呪いと混ぜ合わせ、神話にあるがごとき魔法使いに生まれ変わらせたのは、この私だよ』
「前菜で食おうとしたものがとんだ毒薬で、腹を焼かれた。食い意地のはった老婆が、毒キノコに当たった程度の間抜けな話にすぎないだろうが、魔女」
一泊の間をおいて、魔女の笑いが響いた。鈴の響くような心地よい笑いが。それがかえって背筋を凍らせる。
「魔女、あの時の私を狂った獣と言ったな。私を狂わせたのはお前たちが撒いた毒だ。お前たちがばら撒いたおぞましい力の誘惑、マギフスの欲望に惹かれた人間たちだ」
口調は平坦なままだが、ショールの目は、深く昏く、夜空の果ての永遠の暗闇のようだった。
魔女の笑いが収まった。
『我らは毒を配っただけだよ、坊や。それをどう扱うかはその人間次第さ』
「その毒がどんな結果をもたらすかを分かった上で、あざ笑いながら見ている、それがお前たちだ。お前たちの撒いた毒は、常に私の前に影を落とした」
わずかに強く、早い口調には、確かに感情が存在していた。
怒り。それは確かにその場にいる人々にも感じられるものだった。
「お前たちの毒は私の全てを破壊した。私の友人、隣人、居場所、妻も……、私の魂もだ」
『だからこそ、お前はその力を手にしたのだろう?』
「望んだものであるものか。それで魔法使いなどと呼ばれることも御免だ」
その声が低く、暗く、さらに強くなる。
「お前たちの在り方を否定する。この先の旅で、お前の手が目についた時は即座に排除する。お前たちが撒いたものが道を塞ぐなら全て破壊する」
ショールの手が、強く握られる。
「お前は、私の永遠の敵だ」
声も表情も、わずかな変化しか見せずとも、そのわずかな変化は、リディアやアレコスらをして息をのむものがあった。
『私はそなたをいとおしく思っておるよ』
魔女の声は、か細く、物悲しかった。
そしてその声は、さらに細く、幽鬼のごとき声になる。
『いずれお前の心臓を、我が王に楽しんでいただくぞ』
その声は、居並ぶ者たちの背筋を凍らせるものだった。
それから元のごとく艶やかな声に戻る。
『さて、クレトスは敗れるだろう。この国のわが弟子どもも根絶やしになる。情けないことだが、お前ほどの者がいるなら止むをえまいて』
「奴に手を貸したのはお前の意思か」
ショールの言葉に、ころころとした笑い声が響く。
『そうそう。あれは古い茶飲み友達での……。ああそうだ、今度のお茶会はお前の肝臓を茶菓子にしようかの。お前、肝臓は好きかの?』
ショールは無言で腰の短刀に手をかけた。
『ああもう、わかったわかった。そのとんでもない剣はもう勘弁しておくれ。あんまりそれに刺されては、さすがに身が持たんよ』
また低い笑い声が響く。
『まあそれで、クレトスの親爺には、多少の手を貸してやったのさ。自分一人では満足に弟子も集められないようであったし、今どきの武器についても援助をしてやった。まあ結局、犬に追われるウサギみたいになっとるがの』
「奴の敗北を予期しているなら、お前も消え失せたらどうだ、魔女」
『それもいささか薄情であろうよ』
邪悪に笑う顔が脳裏に浮かぶような声色だった。
「……何をする気だ」
『このあたりに潜むわが弟子どもに奉仕者ども、残らずクレトスにくれてやるのさ。この男のような薄汚れた文明かぶれもいるのなら、丸々切り離してもかまわんだろう。もちろん、多少のおまけもつけるがな」
ショールは目端をぴくりと動かした。
「お前……」
魔女の笑いがこだまする。
『結局こうなった。最初からわらわを頼って生贄を捧げさせ、巨人の身体で蘇り、あの泥の湖を目指せばよかったのだ。それをクレトスの老爺め、わらわに借りを作りたくないと……。おっといや待て。それではふらりとやってきたお前に何も知らないうちに巨人ごと燃やされて終わりか。短絡と意固地が結果的に奴を救ったことになるかの。くわばらくわばら……』
その言葉の途切れとともに、魔女の声を流す男の手は、そのコートに手をかけた。
「全員、下がれ」
その動きを見たショールは鋭く声を投げるとともに、右手の杖を伸ばして潜水艇に絡ませる。同時に潜水艇の下から川の水が吹きあがる。
「退避だ、下がれ!!」
はっとしたアレコスらも魔術師を殿に結界を展開しつつ、その場を離れる。
ショールの杖と、足が操る水の力は潜水艇を宙に飛ばす。絡みつく杖は、男の頭上にハッチが来るように、潜水艇の軌道と向きを調整した。
地響きとともに、潜水艇は男を飲み込むように落ちた。さらに、潜水艇を押し出した川の水が、その上に滝のように降り注ぎ、ショールの力でゼリーのごとくその周囲を覆う。
すぐさま爆発が起きた。はじけ飛んだ潜水艇が鉄くずとなってばら撒かれた。
ショールが操った水がその勢いを殺したが、水煙とともに襲い来る衝撃は、リディアやアレコスらの盾の力場、バトルメイジたちの張った結界を揺るがすほどのものだった。
(ショール、無事なの!?)
リディアの念話が飛ぶが、
(問題ない、川の中だ)
すぐに返事が返ってきた。
爆風が収まると、雨のように水が降ってきた。
ショールの念話が飛ぶ。
(よほどの量を口にしなければ死ぬほどではないが、水に毒が混じっている。結界はそのままにしろ)
そこに魔女の哄笑が響いてきた。
『今回はお前を見つけたことを最大の収穫としよう。やれやれ……、お前を産んだあの日に焼き裂かれ、ようやく黄泉返りに一歩踏み出せたかと思ったら、またもお前のひと刺しに送り返されてしもうた。今回の件については、以後のわらわは高みから見物させてもらおう』
魔女の声が消えゆくとともに、静寂が戻ってきた。




