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魔女の影②

 学院の職員が叫んだ。

「そんな馬鹿な!」

 彼はショールに歩み寄りながら、

「もしアブロヌの結社の人間なら、そのエーテル反応を見逃すはずはありません!」

 彼は必死に否定したが、ショールは女を見下ろしたまま口を開く。

「確かに、アブロヌの信奉者を見分けるのは容易だと言われている。奴らはレッドベラなどの薬物を常用し、おぞましい儀式や行法を重ねている。ただいるだけで、その身から瘴気と言っていいような魔力の波長を放つ」

 ヨレンはアブロヌ王との戦いで先陣を切った国だ。アブロヌが破れて後も、2世紀にわたりその残党との因縁が続いていた。

 それゆえにアブロヌの残党が放つ独特の波長を知り尽くし、それを察知する技術を他国に提供すらしている。アブロヌの魔術を修めた者なら、まともに道も歩けないはずだった。


「しかしそれはアブロヌの子らも分かっている。奴らは、自分たちの魔術も修めず特殊な薬物も用いない、ただアブロヌの唱えた破滅の思想にのめり込んだ狂信者を作り、それを世界各地にばらまいた。彼らは現地で信者を勧誘し、根を張っている。それは最近の話ではない」

「そんな……!」

 教員は愕然とした。テオもそれを知って唖然としたが、周りを見れば、ただ学生たちと学校関係者のみ驚きおののき、リディアもアレコスらも、近衛兵らも厳しく顔を引き絞めていた。彼らはとうにそれを知り、そして悩まされてきたのだと悟った。


 ショールは呆然と口を開ける女に目を戻し、

「アブロヌの子らは青灰の湖からクレトスが飛び出した時にもいた。巨人の禊場で私もそいつに遭遇したが、紛れもなくアブロヌの子、それもかの魔術を深く修めた者だった。クレトスがアブロヌの子らと深く関わっているのは間違いない」

「例えそうでも、私は……」

 女は顔を歪めて涙を流していた。その顔からは狂信者の獰猛さはしぼみつつあった。


 ショールは女の言葉をそれ以上聞くことなく、

「私が気になるのは、お前にかけられている呪いだ」

「……呪い?」

「さっき言ったはずだ。お前がクレトスに忠誠を誓った日、お前の肩に描いたアブロヌの子らの紋様のことを」

 横に立つギデオンが、女の襟に手を掛けて引き下ろし、女の左肩をあらわにした。

 そこには何の紋様も残っていなかった。

 女は力ない笑みを浮かべ、

「何も残ってないでしょ? 何年も前に血で描いたものだもの……」

「いいや、消えていない」

 ショールは女の顔に視線を戻し、

「そもそもお前、クレトスにせよアブロヌの子らにせよ、昏き魔術のものどもが、信者に何の首輪もかけないと思っていたのか?」


 女は何かに気付いたように、自分の左肩に手を置いた。目は見えないはずだが、何かを感知したのか。

「私の……、私の体が……」

 その肩に、青いみみず腫れのようなものが走る。それはやがて、円を描いてαのような文字をつくる。

 そしてその中心に、ただよう火の玉のような模様も浮いた。


「アブロヌ結社のエーテル反応が!」

 近衛の魔術師が叫んだ。ショールらの近くにいた学院の教員が近衛兵に引っ張られるようにその場から離れ、王太子らの前にニコラスら聖戦士たちが盾を構え立ち並んだ。


「いや、食べられてる、私……」

 女は、恐怖に満ちゆく顔を左右に振った。

 その模様から、無数の細い青筋が、根を広げるように八方に伸びて分かれてゆく。

「それは、生け贄に刻まれる印だ。お前は自ら血を差し出してその模様を描かせた」

 ショールは顔色を変えず告げる。

  「これは口封じではない。今のお前たちは、クレトスの餌にするのが一番の使い道だと判断された。それだけだろう。お前を死に追いやろうとする者たちは、そういう考えの連中だ」

「そんな……」

「アブロヌの子というのは、たとえ今のお前の立場に置かれても、まあ仕方ないかと、その程度の感想を述べて命を捧げる、そんな奴らだ。自分の命ですら軽いものと考えるから、他人の命もなんとも思わない」

「あ……、あ……」

 女の肩は模様をも飲み込んで、完全に青く腫れあがった。青い筋は首を伝って女の頬にまで達しようとし、それを押さえようとする指先も青く腫れていた。


 ショールは淡々と尋ねる。

「怖いか? クレトスに魂までも捧げると誓ったのではなかったか? すでに奴に命を捧げた、お前の同胞のように」

「それはあのお方が……、あいつが、無敵の存在だと信じていたからよ!」

 女は叫んだ。

「たとえ死んでもその一部になれる……、頼みも聞いてくれず、救いも与えてくれない神々などよりよほど力ある至高の存在とひとつになれるって! でもあいつは、無敵でもなんでもなかった!!」

「お前が信じたのは、クレトスの力、ただそれだけなのか?」

「わからない……! 私はただ……」

 女の眼から、ぽろぽろと涙がこぼれ堕ちる。

「今になってわかった……。私はただ逃げたかったのよ、新しい世界に……」


 彼女は立ち上がろうとし、しかし力なく膝から崩れて手をついた。それからショールに縋りつこうと、両手を伸ばし、その足を探す。

「お願い、助けて……。あなたが私を導いて……。あなたほどの魔法使いなら出来るでしょう? 私の全てを捧げていい、なんでもする……」

「導けというのは断る。他人の人生など背負いたくはないし、そんな暇も余裕もない」

 ショールのいらえは、冷たかった。

 哀れみを感じながらそれを見ていたテオが何か言いたげに一歩を踏み出そうとしたが、リディアが厳しい視線を流して止めた。


 ショールは腰の短刀に手を掛けた。

「だがお前の助命についてはできることをする。さっきも言ったが、私はその呪いが気になる。覚えのある気配があるからだ」

 ショールはその剣を抜いた。


「かなり痛いと思うが、我慢しろ」

 ショールは短刀を逆手に持つ。女の腫れが、鷲掴むごとくその頭を覆いかけたところで、ショールは彼女の肩に短刀を突き立てた。


「イヤアアア……!」

 女の絶叫が響き渡る。

 それに一拍遅れて、目には見えない何かが女の身体から走った。

 瘴気と言っていいものだった。その場にいた全身の肌が泡立ち、背筋に冷たいものが走る。


「これは……」

 フードの下、ショールの黒目が見開かれた。


 女の悲鳴はすぐに止んだ。気を失ったようだ。ひざまずいたまま、その顔は白目をむいて天井を仰いでいた。


 しかし直後、その女の喉からではない、違う悲鳴が女から響きわたった。

「アアアア……ッ!!」

 高く、美しいとさえ思える声だった。艶やかな嬌声にも聞こえるその声は、さらに強まるぞっとするような瘴気とともに放たれた。

 それでいて、その声には心を惹きよせられる何かがあった。底の知れない深くて暗い大穴の淵で、恐れつつもその底を覗きたくなる、そんな感覚を覚えた。


「……お前だったか」

 ショールは、常にない、低く、暗い声でつぶやいた。


「……!!」

 響き渡る声を聴いたリディア、アレコスらが一斉に武器を構え、その声を発する女を睨む。

「ショール!」

 アレコスがギデオンとともにショールと女の間に入ろうとするが、

(待て、そのままだ)

 ショールの念話に鋭く制止された。


「こいつ……!」

 その時のリディアの横顔は、テオが今まで見たことがないほど険しいものだった。そこには、怯えも混じっているように見えた。

 テオの後ろでも、フォルスが怒り狂ったように繰り返し吠えていた。初めて聞く声だったが、恐怖からくる威嚇の声であることをテオは感じた。フォルスの足元ではファティアも尻尾を上げ、唸り声を上げている。常に凛然とした顔のファティアが、初めて見せる表情と声だった。

 テオも、心の底が冷たくなるような恐れを覚えつつ、なぜかその声のする方に歩み寄りたくなる自分を感じ、そのことにも本能的に危険を感じていた。


「あ……、ああ……」

 その時には、王太子テルセウスの横で、婚約者のセレネが蒼白の顔で崩れ落ちそうになり、テルセウスに支えられた。

「セレネ様!」

「お気を確かに!」

 すぐに左右の女学生たちも駆け寄り、聖戦士たちがそれをかばう。長のニコラスもその異様な女の悲鳴を耳にして、真っ先に武器を構えていた。


 こんな時に真っ先にセレネの側に来そうだと誰もが思っていた学友のシンシアも、膝から崩れて近くの生徒たちに支えられていた。

「カシア姉さん、どうしたの!?」

 その横でも崩れ落ちそうなカシアを、弟のイリアスが支えていた。

「テオお兄様……、怖い、怖いよ、兄さま……」

 カシアの顔色もまた尋常ではなかった。蒼白になって弟にすがりつき、恐怖に怯えた目を女に向けていた。


「一体これは……」

 自分自身、蒼白な顔をしながら、赤毛の少年はそれらの様子を見渡し、悲鳴を響かせる女に視線を戻す。

 その時、テルセウスの顔も青白くなり、玉のような汗を噴き出していた。それでもこの王太子は、恐怖を噛み殺しながら、声の元を睨んでいた。


 風は吹きすさんでいた。笛のような風の音の中、その響き渡る悲鳴は、やがて声になった。

『痛い、痛い! なんと素晴らしい……! 誰ぞ、これほどの痛みと悦びを与えてくれたのは……!』

 それは、この国のエルゲ語ではなかった。


 その声は、白絹の手の貴婦人を思わせる美しさがあり、歌うような響きがあった。それゆえに、瘴気とともに発せられるそれは、危険で妖しい、ぞっとするような艶やかさがあった。

『ああ……、これは、我が血の一滴をもってクレトスにくれてやったヨレンの者かえ……? こやつに刻んだ血の祝福を貫いて、わらわの命をも傷つけたのかえ。おお……、よいぞ、その顔を見せい』

 その言葉はエルゲ語になった。


 気を失い、天を仰いでいた女の頭が動いた。人形のような動作で顎を引き、ショールに顔を向ける。

 その白かった眼は血の池のように真っ赤に染まり、血涙が流れていた。


 その口から、耳元でささやく睦言のように、艶めかしい声がささやかれる。

『ああ……、お前だったか、会いたかったよ』

「私は会いたくなかった」

 ショールの左手は短刀の柄頭を抑え、さらに深く女の肩に刺し込んだ。


『アアー……ッ!!』

 その悲鳴は、

『アハハハハ……』

 笑い声に変わり、掻き消えていった。


 風は止み、静寂が流れた。

 女の身体からは糸が切れたように力が抜けた。ショールは短刀を引き抜くと、崩れる彼女の身体を支えた。そして肩越しに、

「どなたか、彼女の手当を」

 はっとした近衛の衛生兵、学院の医師らが駆け寄る。

 寝かされた彼女の身体からは、青いあざは消えていたが、血の溢れだすその両目は、どうやら完全に潰れてしまったようだ。

 ショールは立ち上がり、短刀の血をぬぐって鞘に納める。

 

 リディアが歩み寄ってきた。

「ショール、やっぱり今のは……」

「そう、奴だ。アブロヌの子らは、思っていた以上にクレトスに入れ込んでいたようだ」

 それからショールはアレコスに顔を向け、

「得た限りの情報を伝える。念話......、いや、イメージがいいか。すぐに対処してもらえるよう、手配できるか」

「やってみる。だが、移動しながらだ。すぐにでも殿下の安全を確保したい」

 そのテルセウスは、セレネの肩を抱きながらも、自身も片膝をつき、聖戦士や近衛らに助けられている。

 

 ニコラスがそんな王太子を部下に任せ、ショールのもとに歩み寄る。

「ショール、すまないが我々とともに王太子殿下のおそばについてほしい。この件に奴が絡んでいるとなると、君の助けが必要になる」

「分かった」

 そこに近衛の隊長が、

「ニコラス卿、奴と言うのは、さっきの声の女のことだろうか。あれは一体……」

 ニコラスはひと呼吸、視線を伏せ、それから、

「アブロヌの魔女だ」

 近衛の隊長らは目をむいた。

 

「アブロヌの魔女と申されたか……!? それは、あの、魔王アブロヌの妃妾とも言われた、あの……」

「その名は口に出さないでいただきたい。奴の気を引く。間違いなく、そのアブロヌの魔女だ」

「一度でも奴に接触したら、その気配を忘れることはねえ。ニコラスも俺たちも、奴に殺されかけたことがある」

 曇天を睨みながら、ギデオンがつぶやいた。

 

 ニコラスは改めて近衛隊長に、

「すぐに出発を。できるだけ速やかにルディオンの市内に入らねばなりません」

「承知いたした」

 近衛隊長はうなずき、部下に指示を出した。

 

 そしてショールは、王太子の馬車に同乗することになった。


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