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夢歩き①

 テオは夢を見る。


 船に揺られていた。自分の目の前には、ヒマティオンをまとう女性の背中があった。黒く艶のある長い巻き毛は、金のかみかざりで飾られていた

(キオネー)

 彼女の名を呼び、手を伸ばす。


 振り返った彼女の目は、冷ややかだった。

 一瞬だけ、その顔がリディアに見えて、テオは息を呑む。

 気づいて周りを見渡す。船の上の大勢の難民が、非難と侮蔑を込めた、暗く冷たい目で自分を見つめていた。

 口でなく、その目が語る。


(敗残兵)

(負け犬エウメロス)

(お前の老いた父ですら戦って死んだというのに……)

(なぜ死ななかった)


 その中に、テオは、自分の父と母の姿を見た。

 その目は語る。

(出来損ない)


(うわああああ……!!)

 叫んだ。

 叫びながら、槍と盾を持ち、先頭に立って戦場を駆けた。


 上陸して間もなく、矢による襲撃を受けた。

 敵は少数、こちらも少数。

 相手は毛皮の鎧と狼の面に身を包んだアマゾネスたちだった。その恐るべき矢の雨を打ち払い、槍の穂先を陽光にきらめかせ、白兵戦に持ち込んだ。

 獣のように吠える。溜まりに溜まった黒い感情を吐き出し叫びながら相手を打ち倒す。


 敵は逃げ出した。その殿に立った、最も手ごわい女戦士と一騎討ちし、これを打ち倒した。

 そして、鬱屈した心から吹き上がった尽きぬ怒りと劣情のまま、彼女を組み敷いた。素手で毛皮の鎧を引き裂いて素肌を暴き、狼の面を引きはがす。


 彼女の眼は侮蔑に満ちていた。

 そしてその顔は、リディアのものだった。


「……!」

 テオは目を覚ました。

 夢の内容は思い出せない。

 悪夢だったのは間違いない。起きるとき、危うく叫びそうになった。呼吸は乱れ、汗が噴き出している。


(ふん、綺麗な顔して、うぶなもんだね)


 女の声が聞こえた気がして周囲を見渡したが、薄暗い大部屋の中にいるのは自分ひとりだった。

 テオはよろめきながらベッドを離れ、自分の荷物から弓を取り出す。

「おじいさま……」

 テオは震えながらその弓を抱いた。縋りつくように。


 暗く重い泥に頭が覆われるような、深く沈んだ心を抱えたまま部屋を出た。

 彼を待っていたリディアは何も言わず、ただ今後の予定だけを伝えた。

 自分たちは王子の一行とともに、リディアの父が市長を務めるルディオン市を経由し、ルデリアに向かう。

 それ以上のことは頭に入ってこなかった、ただ、素の闊達な顔でなく、凛とした聖戦士の顔を見せるリディアが、自分のことをどう思っているか、そればかりが気になった。

(俺のことをどうしようもない男だと侮蔑しているのだろうか。それともいいように利用してやろうとでも思っているのだろうか……)

 暗い思考が湧いて出る。


「テオ、今回従士どのは馬車に乗って移動なさる。お前はフォルスに騎乗してその護衛につけ」

 ああ、とうとう御者のお役目も外されたか。

 リディアはテオの返事も待たず踵を返していった。その背中に、無情を感じる。


 テオは、目から熱いものがこみ上げるのを感じ、顔を伏せた。

(……馬鹿らしい)

 何に対してそう思うのかもよく分からないまま、目から溢れるものをこらえた。そして、誰に対するものでもない、あえて言えばこの世の全てが滅べればいいと思うような、湿り気のある怒りが沸いた。

 

 テオはフォルスの手綱を引いて、ショールらの後ろについた。

「ここで待て」

 リディアに指示され、役所手前の広場の入り口に待たされた。

 役所の門前に、学院の人々やその護衛たちがいる。

 ショールとリディアは、生徒たちの中心にいる王太子テルセウスの元に向かい、何か言葉を交わしている。

 

 王子と、その横のセレネの視線が自分に向いた。その目が「なぜここにいる?」という、ゴミでも見るようなものに見えた。


(俺は、お前たちのために……)

 薄ら暗い怒りが沸く。

 それから、あえて見ないようにしていた、妹と弟に視線をずらした。

 笑っていた。侮蔑の笑みだ。

 その周りの生徒たちも、自分に振り向いた。

 皆一様に、邪悪な薄ら笑いを浮かべていた。

 テオは、叫んで逃げそうになる自分を何とか抑えた。


「……」

 気が付いたらフォルスに乗って、馬車の隊列に従っていた。それまでの記憶は曖昧になっていた。

今なお、半分眠っているような気分だった。夢うつつ。その夢は悪夢で、心は深く沈んでいる。

 それでも落ちないのは、フォルスが彼を落とさないように彼を御してくれているからだろう。

 並走する馬車に、ショールが乗っている。窓から見える彼は、うたた寝をしているようだった。


(いい気なもんだ)

 心の中で唾を吐いたが、彼の意識もまた、暗い夢の中に沈んでいく。


 テオは夢を見る。

 自分の学院時代の夢だ。


 13歳の時、家を出てイスロ学院に入寮した。

 イスロ学院はヨレン屈指の名門校だった。家柄だけで入れる学校ではない。両親に認められたい一心で勉学に励み、テオは見事入学を許された。その時は父も母も、短い言葉ながら祝ってくれたことをテオは忘れない。


 ルームメイトから始まり、少しずつ友人もできた。幼いことから研鑽を積んだ武の技と、必死に修めた学問から、学生の間で一目置かれていた。

 だが、魔法だけは駄目だった。人によっては道具なしでもできる火起こし、風起こし、空気中の水を集める魔法……。それも、道具を使ってなおできない。他のあらゆる魔法の道具も使いこなせなかった。

 それが彼に劣等感を与え続けた。父と母の、失望の冷たい視線が頭から離れない。


(そんなこともあるさ)

 友人たちはそう言ってくれた。

(お前でも、苦手なものはあるんだな)

 侮蔑あるいは哀れみの目で。


 2年後、妹のカシアが入学した。同学年にはテルセウス王太子と、昔から妹と仲が良かったエウミアディス宗家の娘にしてテルセウスの許嫁、セレネがいた。

 その周囲には学院でも成績、人格ともに優れた者たちが集まった。そこは光が満ちているかのようだった。華やかな舞台の上で、スポットライトに照らされているように。

 テオは妹たちと距離を置き、影の中からそのまばゆい世界を見ていた。時に彼女たちから差し伸べられる手があったが、そこに自分を見下す意思を感じた。


 異変が起きたのはさらに2年後、弟のイリアスが入学して半年ほどたった時だった。

 王太子テルセウスが公務で学院を離れた直後、セレネがある女生徒にいじめを行っているという噂が流れた。

 噂が起きて間もなく、セレネへの糾弾が始まった。それまでセレネに近かった多くの生徒たちまで、豹変したようにセレネへの非難を始めた。それをかばったカシアやイリアスも巻き込まれていた。

 その時自分は誰からも声もかけられなかった。忘れられていたのだろう。

 

 ある時、広間で大勢の生徒が妹のカシアを取り囲み、糾弾していた。

 カシアは声を振り絞り、必死で訴えていた。セレネがいじめていたとされる生徒が、自分の私物をセレネのかばんに忍ばせるのを見たと。セレネを罠に嵌めようとしたのだと。


 でっちあげだと誰かが叫んだ。セレネがいじめているとされる女生徒は泣き崩れ、その肩を抱く金髪の女生徒がカシアに対し決闘を申し込んだ。

 決闘。学園では表向き認められたものでなく、黙認された伝統に過ぎないが、それでも本人やその一族の名誉に関わるものだった。

 自分がその代理人になり、カシアを懲らしめようと、テオの同級生が言い出した。武門で知られた一族出身の、赤毛の少年だった。

 誰も、妹をかばおうとする者はいなかった。皆、セレネやそれをかばう妹らを悪者にしていた。


 そんな中、震えながらカシアの代理に立つと言い出した弟を見て、それ以上黙って見ていることはできなくなった。その場で弟を押し止めると、自ら名乗りを上げて決闘の舞台に立つことになった。

 

 その耳にささやく声が聞こえた気がした。わざと負けるのではないか? 負けて、セレネや妹たちに恥をかかせるのではないか?


 しかし勝った。相手の少年は魔法の武具で身を固めていたが、それでも自分には及ばなかった。

 向き合ったとき、相手の足がわずかに震えているのを見た。無理もないと思う。太平の世に生まれ、初めて真剣を持つ相手と向き合ったのだろう。容易に肉を切り裂く鋼の切っ先を向けられた経験など、なかったのだろう。

(おじいさま……)

 幼いころから厳しく容赦ない訓練を施してきた祖父に感謝した。


 だが、勝利したテオに向けられたのは罵声だった。

(卑怯者!)

(こんなことはありえない、無効だ!)

(何か卑怯な真似をしたに違いないありませんわ!)

 打ち負かした相手のみならず、見届けた全ての者たちが、彼を口汚く罵った。


 その夜、ルームメイトたちから向けられた冷たい視線に耐えられず学園を出歩くと、何者かの襲撃を受けた。

 その時初めて人を殺した。相手の剣を奪い、斬った。確かに人を斬った感触があった。

 直ちに血の付いた剣を持って学院に出頭した。


 しかし、その死体はおろか、現場に血の跡も残っていなかった。

(決闘騒ぎに続き、虚偽の申告かね? しかも人を殺したなどと、質の悪い……)


 結局、決闘騒ぎを理由に、学園を追放された。

 馬車に乗せられて、実家へと送られる日……。

 見送りに来たセレネとカシア、イリアスらの目は、笑っているように見えた。


 そして、待っていたのは、情けないと泣く母と、怒りにわななく父だった。

(どうしてあなたは……)

 話を聞いてくれない。使用人に左右から取り押さえられた。

父はテオの剣を奪って何度も踏みつけて折り、次にテオが祖父から譲られた弓を取り上げ、同じように折ろうとした。

(やめろー!!)

 叫んだ。


(なぜだ、キオネー!!)

 磔にされていた。テオは、エウメロスになっていた。

 裏切った妻、キオネーは、セレネに似ていた。老人のはずのヨレン王は、テルセウスに似ていた。

 そして、祭壇にいる祭主はフードをかぶっている。目元が隠れているが、その顔はショールに見えた。

(なぜだ、なぜ……!)

 かがり火の焚かれた祭壇の前に居並ぶ裏切り者たち、全てキトンをまとう古代エルギアの民たちだった。いずれも見知った顔だった。妹カシア、弟イリアス、父、母、その使用人、学院の同級生たち。

 そしてリディア、その父母たち。

 そのすべてが冷たい視線をテオに向けている。


 背後から、懐かしい声が聞こえた。

「あわれなテオ、誰もお前を愛してなどいなかった」

「……おじいさま?」

 その優しい声に、涙があふれてくる。

「奴らはずっと、お前を馬鹿にしていた。そして、いいように利用しようとしていたのだよ」

 声の主はテオの前に姿を現した。それは確かに、死んだはずの彼の祖父だった。

 その指は、テオの頬を伝う涙をぬぐう。

「お前は誰かを愛したいと思っているようだね。奴らがそれに値すると思うかい?」

 それから、非情な言葉を優しくささやく。

「お前はいずれ切り捨てられる」

「……」

 嗚咽をこらえるテオに、祖父は弓と矢を差し出した。

「だからテオ、そうなる前に、お前はあたらしい世界を目指してもよいのではないか? 捨てられるよりも先に、自分から捨て去ってもいいのではないか?」

 テオの両腕は、いつの間にか自由になっていた。その手は自然と、差し出された弓矢を握っていた。

 それから祖父は、ショールの顔をしたクレトスを指さす。

「だが、奴らはまだお前を離すまいとしている。お前を利用するために。そして奴らはまたお前を捨てる。弓を使うのだ。折られそうになったお前の弓、わしが託したその恐るべき弓を。そして……」


 しかし、その言葉はそれ以上続かなかった。

 

 奇妙な音がした。何か、固いものでも噛んだような。かぷり、とでも表現すべき音だった。

「は……?」

 テオの祖父から間抜けな声が漏れた。

「え……?」

 テオが、涙に滲んだ目をこらして見ると、祖父の頭に何か大きな生物が噛みついていた。

「……フォルス!?」

 テオが声を上げると、その走竜は怒りにまかせ、テオの祖父の頭を噛んだまま持ち上げ、振り回した。


「ぎゃあああ……!! 痛い、痛い!! 何をする、離せ、このトカゲの畜生が!!」

 その声は、テオの祖父のものではなくなっていた。そしてその顔も、美男子の面影を残す元聖戦士のものではなく、禿頭の老人のものに変わっていた。


 離せというなら離してやるぞと、フォルスは男を放り投げてやった。その小さな体は、唖然と口を開けるキオネーやヨレン王らの元に落ち、何人かを巻き込んで地面を転げた。

 衣服から伸びた老人の両手と靴から覗く足首は、異様に細く黒かった。鉄の骨……、あのマギフスの竜骨と同じものだった。

 

 フォルスはさらにギャーギャーと怒りの声を上げながら、群れ集うテオの知人の顔をした者たちに突進した。飛び上がり、鉤爪のついた逞しい後ろ足を振りかざしつつ、悲鳴を上げる者どもを追いかけまわす。

 彼らの姿は、テオの知らない顔に変わっていた。

 いや、幾人か見覚えのある顔もある。学院の職員だったはずだ。

 テオの拘束はいつの間にか全て解け、彼は茫然と地面に座り込んだ。


 テオの祖父に成りすましていた老人は、その喧騒から離れ、祭壇の陰で血まみれの頭を竜骨の手でなでる。たちまちフォルスの牙に開けられた穴が塞がり、血が消えた。

「な、何が起きた、なぜこのようなことが……!?」

 その目は人間の瞳ではなく、青いガラス球のようなものをはめ込んでいた。義眼か。その目で、暴れまわるフォルスをただ見ていた。


『こうやって、太古の昔から多くの家族や隣人たちを狂わせていたのか』


 テオは背後から響き渡る声にはっと顔を上げた。それは、ショールの声だった。


『エウメロスやその妻、友人たちも、こうして狂わせたのだな』


 テオは振り向いた。

 そして息をのんだ。



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