従士の帰還②
ショールは3階の客間に案内された。
調度品や什器など、いずれも質素だった。千年を超える歴史を持つこの建物の、古く簡素な石壁や天井には、よく似合うようにも思える。
調度の中で目を引くものとして、古代のもののレプリカであろう、青銅の壺があった。黒地の上に金一色をもって描かれている絵は、写実的だが立体感のない、いかにも古代のそれだった。
四枚翼の鷹を従え、大蛇に向けて槍を振りかざす男。太陽の女神ソアラの子であり、ヨレン王家の祖にして国名の由来でもある、英雄ヨラケオスだろう。
ひとり待たされるショールは、読み終えた新聞をテーブルに置いた。
「物騒な事件」と入国審査官が口にしていた。確かに新聞の一面には、国境である大河ダウや西の港町にて、武器を持ち込もうとした一団が警察隊と衝突した事件のことが書かれていた。
当然ながらこの国でも、銃火器や魔法の道具の所持は厳重に規制されている。
ショールも、杖や外套といった魔法の道具は、全て役場に預けている。いささか旅に汚れたシャツにズボン、それにブーツの簡素な格好になっていた。
壁にかかる時計は、ちょうど午後の3時を指していた。ここに通されたのが午後の1時だったか。
ソファーを離れ、窓から外を眺める。
春の日差しの中、役所前の広場は人もまばらで、並ぶ店にもあまり客は見えない。土産物屋の年老いたご亭主が、店前で椅子に腰かけ船をこいでいた。
この町で大きな建物と言えば、兵の詰所も兼ねたこの検問所、そして町のはずれで長い屋根と尖塔を見せる神殿くらいか。国境にある町にしてはそれほど広くもなく、いささかくたびれたような雰囲気がある。町というより村といったほうがしっくりくる場所だった。
ショールは窓を離れ、部屋の隅、木製の机に並び置かれた冊子に手を伸ばした。外国人向けにヨレン王国を紹介したもので、複数の言語のものが用意されている。
まず、ヨレンの地図が描かれていた。
この国は「西方世界」と呼ばれるローレア文化圏に含まれているが、その中でも東方、黒海の西岸に位置する。国土は東の港町を中心に半円を描いたような形で、南西の平原地帯から北にかけ、国境を縁どるように大河ダウが流れ、国の中央をその分流であるテルセ川が流れている。ヨレン王国のあるこの地方は、アマゾネスの始祖アルテシアを由来とし、「テルセニア」と呼ばれていた。
目立った山地はなく国土はほぼ平坦だ。水資源、耕作地に恵まれる一方、北東部は大河ダウの河口を中心とする大湿地帯で、それは国土の4分の1に至り、その周囲も河川や湖が多い。
ページをめくり、次に書かれていたのは、ヨレンの歴史だ。
ヨレン王国は、元々はここから西、エーゲ海に面するエルギアの地に栄えた、古代エルゲ都市国家群のひとつだった。
それが2500年前に戦火に追われ、植民地があったこの地に逃れて王国を再建し、今に至る。
ヨレン王家の祖は太陽の女神の子である英雄ヨラケオスと言われるが、実際にいつごろヨレンの王統がはじまったかは不明だ。世界でほぼ同時に文字文化が消失した「失われた千年」をまたぎ、少なくとも六千年の歴史はあるとも言われる。
この地に先住していたアマゾネス諸族や北方騎馬民族との紛争と融和、東に勃興する中東諸大国を相手とした綱渡りの外交、西方諸国によるアッカリア大東征の混沌。東の草原から押し寄せた遊牧民の帝国の脅威。
そして……、魔王と呼ばれた騎馬民族の王、アブロヌとの戦い。この国は2500年の間に様々な困難を乗り越えてきた。
東西から影響を受けつつ独自に社会と文化を発展させてきたが、エルギアの地にあったころの本来の姿も忘れていない。
古代エルギアは西方文明の源流とされているが、かつて栄華を極めた都市国家は軒並み滅んだ。そして歴史の皮肉というべきか、戦火によって黒海に流れたヨレンのみが、古き文明の直系として残っている。
部屋がノックされ、ショールは冊子を置いた。
「失礼します。ルーン神殿より聖戦士様がいらっしゃいました」
女性職員に案内されて入ってきたのは、少女の面影を残す若い女性騎士だった。長身で、ショールより少し高い程度の背丈がある。流れるような長い銀髪を結い上げ、前髪は綺麗に切りそろえている。知勇を感じさせる端正な顔立ちをしており、立ち姿もきびしく芯の通った戦士のものだった。
その騎士服は神官の平服を元にしており、立て襟、前合わせのものだが、神官のようなローブではなく上衣とズボンであり、生地も頑強なものにした上で、おそらく付呪もかかっている。そしてその上に、白の胸甲、腕当て、脛当てなどを装備し、丈の短い水色の肩掛け衣……、銀の刺繍で縁取られ、両肩から上腕、背中を覆う、ストールに近いものをまとっていた。
胸甲などはいずれもエナメルのような光沢のある素材だが、これは鉱物資源に乏しかったヨレンが独自に作り上げ、発展させてきたものだ。
その背中、衣の上に円盤型の盾と、象嵌の施された銀色の杖のようなものを背負っている。
衣のブローチには月の女神ルーンのシンボルである「三日月の弓」が描かれていた。
「ルーン神殿第五階位聖戦士、リディア・ルディース、従士ショールのお迎えに参りました」
凛々しく笑みを浮かべ、彼女は胸に拳を当てた。敬意を示す姿勢だ。
ショールはわずかにうなずき、
「久しいな。立派なパラシアになられたようだ、リディア」
「お久しぶりです。無事のご帰還、何よりでした。従士ショール」
ヨレンでは彼女のような神殿の守護騎士、特に国家祭祀を行う神殿を守る騎士のことを「聖戦士」という。
騎士といったが、その歴史は西方世界における騎士身分の発生よりもはるかに古い。重装の戦士たちが盾と槍を連ね、真正面からぶつかり合っていた時代から存在する。
正式には「ヒエロス・パラティス」、女性であれば「ヒエラ・パラシア」と呼ばれ、それを意訳した言葉が「聖戦士」となる。「テンプルナイト」、あるいはそれに類する名称で呼ばれることも多い。
神殿の守護者であると同時に、太陽神の末裔たるヨレン王の近衛でもある。古代から近代に至るまで、いざ事あらば王とともに戦場に立って小国ヨレンを護る、一騎当千の強兵として知られていた。
彼らは資源に乏しいヨレンが独自に発展させた装備に加え、古代より伝わる魔法の秘義を伝承してきた。そして、それらを扱う才能を持つ子供を召し上げて国家のものとし、幼少より厳しい訓練を重ねて育てられたと言われる。
ただし、それはあくまで昔の話で、今では王族なども籍を置く名誉職、あるいは儀仗兵と見られることが多い。
だが、
(3年も音沙汰なし。さすがに死んだかと思ったよ、ショール)
リディアが型通りの挨拶を口に出す一方、ショールの心に彼女の声が響く。念話だ。品行方正で凛々しい女戦士の口調でなく、闊達で勝気な少女といった口調だった。
(ああ、何度も死にかけた)
ショールもまた、リディアの心に念を飛ばした。
今代の聖戦士にも、古代から続く魔法や技能を受け継ぎ、危険な任務に従事する者たちがいる。彼女はその一人だった。
「さて、従士ショール。長旅でお疲れの所まことに申し訳ないのですが、ルデリアのルーン神殿までご同行願います」
リディアの言葉にショールは短く沈黙した。
「『水晶の奥方』か……」
そうつぶやいてからテーブルに積んだ新聞にちらりと目をやった。
「面倒事ならご勘弁願いたいが」
「理由は存じ上げません」
リディアは口ではそう言ったが、
(あなたの行く先は、いつも面倒事でしょ?)
(私は望んじゃいない)
(そう? アマーリロでペリューンを出したそうじゃない。それもチエロニアの海軍含め大勢の前で。チエロニアどころか連合王国や帝国に合衆国、その他いろんな国が、あなたのことを探っているってさ。お偉方は頭を抱えているよ)
(「彼」は私一人の意志で用いられるものではない。必要とされる時、定められたその時に力を顕す。そういうものだと理解している)
(それならあなたが面倒事に巻き込まれるのも、神々のご意志ってことだね)
(神々の意志でもあるだろうが、それだけではないだろうな)
リディアはその目じりをわずかに緩めた。
(そうね。あなたの奥さんの意志でもあるね)
ショールは左手を軽く握った。その小指には愛の誓いたる銀色の指輪があった。
(やはり、この国にいるのか)
(ええ。「水晶の奥方」があなたをお召しなのも、多分その件ね)
ショールはうなずいた。口を開いて言葉を出す。
「分かった。すぐに出立するのか?」
「まずはここの隣町にご一泊いただき、明朝出立します。護衛はこの私が務めます」
「承知した。よろしく頼む」
そしてショールはリディアの心に念を届けた。
(リディア)
(なに?)
(本当に、立派になられた)
仮面のように変わらないショールの顔を、リディアは面食らったように見返したが、ふっと柔らかい笑みをこぼし、
「おかえりなさい、ショール」
口に出した。




