竜骨の古代史①
「久しぶりだね、ショール」
「殿下、大きくなられた」
仮面をかぶったまま、聖戦士をともないやってきたテルセウス王太子と軽く挨拶を交わした後、少々固い笑みを浮かべているタロッソス市長に顔を向けた。
「湖の水を抜きたいですと!?」
仰天する市長に、ショールは淡々と、
「抜く方法はある。あの湖の水は特に利用することもなく、漁も行っていないと聞いています。ご許可をいただけないだろうか」
「い、いや、突然、そのようなことを言われても……」
「何かあるんだね?」
テルセウス王子が口を挟んだ。ショールはうなずく。
「はい、殿下。あのクレトスがこの地に都市を築いたこと、今また戻ってきたこと、その理由を知るために必要なことと思っています」
「暴君クレトスか……。時代も遠すぎて、歴史と言うより物語の人物みたいに思っていたけど、それが現実に現れるなんて、奇妙な気分になるね」
王子はそう言った後、市長に顔を向け、
「彼が信頼できる人物であることは私が保証する。市民の生活に影響がないようなら、頼みを聞いてくれないかい?」
後ろに控えていた近衛の隊長が直立したまま低く、
「殿下……」
たしなめるように口にした。王族の言葉はすなわち命令になる。今のは軽々に口に出すべきではなかったと、この隊長は考えたようだ。
テルセウスはそれに答えず、ショールに向けて、
「急いだほうがいいんだよね」
「恐らく」
市長はうなるように考え込んだ後、
「分かりました。許可しましょう」
ショールはタロッソスの市長や神官長、聖戦士たちをともない丘を登る。護衛としてリディアとテオ、またアレコスら一行も同行している。
テルセウスらは他の学生とともに市役所に移動した。知らせを受けて陸軍もタロッソスと周辺都市に応援部隊を急行させ、同時に飛び去った竜の探索を進めているとのことだ。
ショールらは丘の頂上に至り、神殿の跡地を超えて、裏手の湖を見下ろす。
ショールは外套の下から鏡を取り出し、白く光るそれをぶら下げ、湖に掲げた。白い光が膨らんで、半透明の花びらか火花のようなものが舞い、鏡を中心に黒いうろができる。それがショールの手を離れて宙に浮きあがり、同時に星雲の眼ができる。
「なあリディア、これってペリューンの……」
(余計なことは言わなくていいの)
テオのひそひそ声に、リディアは念話で返した。
ショールの仮面の奥から、人ならざる轟のような声が響く。
「h……B……」
それに応えて星雲の眼からも声が放たれる。
「u……l……」
それとともに、ショールの鏡を中心とする光が花びらと散り、星雲の眼も閉じて消えた。鏡はゆっくりと落ちて、主の手に戻る。
一拍を置いて、轟音とともに眼下の湖がその水位を見る見る下げていった。
「おおっ!?」
市長らが思わず声を上げた。
(ねえショール、あの水はどこに流れてるの?)
いささか慌てたようなリディアの念話が届いてくる。
(あの水はどうも、泥とともに地下から引き上げられていたようだ。それを戻している)
やがて湖の底が見えた。一面、緑がかったねずみ色の泥だった。
「何もないようだが……」
不安げに市長が口にするが、湖の轟音はまだ止まない。
その泥も、見る見る底に吸い込まれていった。
そして泥が、何かの形を取り始めるかのように見えた。いや……、
「おお、なんだあれは!」
市長らが声を上げ、その場がざわついた。
泥の中から、建造物が姿を見せたのだ。その大きな切妻の屋根から泥が落ちてゆき、姿が露わになる。
「神殿……? 倉庫……?」
湖の中心、暗い奥底に現れたそれは、石造りの巨大な建物だった。半円の屋根の下は窓もない長方形で、正面に、何でできているのか分からない大きな両開きの扉があった。そのシンプルな見た目はまるで、巨大な倉庫のように見えた。
さらに泥が引いていく。湖の底いっぱいに、都市の廃墟らしきものが姿を現した。
一行はすぐに湖へ……湖があった大穴へと向かった。話を聞きつけた学院の教員や、タロッソスの学芸員なども同行した。
穴の下、50メートルはあろうか。眼下にも、泥がまとわりついた石の町の廃墟が見える。
学院の教師や学識のある神官たちが、望遠鏡でそれらを見ながらざわめき、意見を交わしていた。
「泥をかぶって判然としない部分もありますが、倒壊の仕方が巨大な地震にでもあったように見えますな」
「しかし、明らかに人間の手で動かしたような形跡も見られます」
「泥を取り除けばもっといろんなものが見えるのでしょうが……」
「クレトスの青銅巨人とも、何らかの関りがあるのでしょうか?」
「それにあの大きな建築物……。あれだけがそのままに残されているのも気になります」
「いや、ちょっとお待ちを、あれは……」
神官のひとりが望遠鏡で見たのは、唯一残された巨大な建物の、その正面の大きな扉だ。そこに帯のように模様が刻まれている。
「あれはウルの帯文字、それもアルファ形だ!」
「なんですって!?」
神官たちに混じり、聖禽隊のキモンも声を上げた。
「ど、どこです!?」
「ほら、あの大きな建物の壁に……」
アレコスはギデオンと顔を見合わせキモンのもとに歩み寄り、
「すまないキモン、その帯文字というのは……」
キモンは借りた望遠鏡を覗き込んだまま興奮気味に、
「大白海東に勢力を誇っていた、古代ウル系民族の文字ですよ! 信じられない! この遺跡の年代は少なくとも1万2千年は遡れます! 大発見ですよ!」
「そ、そうか……」
その横をつかつか歩き、崖の淵に立ったショールは、その杖を眼下の廃墟に向けて伸ばした。
足下の廃墟に残されたの窓と窓の間に絡みつき、さらにショールにも絡む。
軽く杖を引き、その感触を確かめる。
「建物の造りはかなり頑強だったようだ。今でもしっかりしている」
杖はショールの身を浮かせた。彼はそのまま振り向いた。
「3、4人くらいなら、一緒に下りれそうだが……」
「ぜひとも!」
結局、行き戻りを繰り返し、神官と教員のうち、高所の苦手な者を除く全員、それにアレコス一行とリディア、テオ、さらにテオに抱かれてファティアも一緒に降りた。
倒壊した建物による瓦礫が散乱していたが、かなり広い道路があったようで、奥に進むのに問題はないようだった。
地面は全て敷石で舗装されていたらしい。ただしその上に泥が残っていることで、かなり滑りやすくはなっている。
倒壊した建物は全て石積みでできていたようだ。ヨレンの古い建物のような、大きな切り石ではなく、現代の一般的なレンガ程度のものではあるが、
「建材に用いている石、全て同じ大きさに切りそろえてますね……。この断面、どれほど高度な石工技術があったのだろう……」
若い神官が、切石をひとつ持ち上げて感嘆した。
別の神官は首をかしげ、
「しかし、建築はシンプルすぎて稚拙にすら見えるな……。柱らしき跡もないし、建物の屋根は全て壁で支えていたようだが……」
「そういえば、レリーフのような装飾や壁画の形跡も見られませんね」
倒壊した建物の残骸のひとつひとつに至るまで、神官や学者たちは念入りに調べて回ろうとしていた。
「気持ちは分かるが、あまり離れるなよ。足元にも気をつけろ」
一緒に降りてきた神官長が、草むらをかき分ける犬のように周囲を見て回る神官たちをたしなめた。
神官長はため息をつくと、正面にある巨大な建物、ただひとつ残る、半円型の屋根の建物を見つめるショールに鋭いまなざしを向けた。
「あなたはこの遺跡が、クレトスに関係があるとお考えですか」
「おそらく。特に、あの建物に」
神官長はうなずくと、手を叩いて部下の神官たちを呼び集めた。
瓦礫を避けながら進み、その前に立つと、その建物は見上げるような大きさだった。
「ざっと30メートルってところか」
ギデオンが建物を見上げてつぶやく。その目測だと、両開きの大きな扉も20メートルを超える高さがあるだろう。
「この扉は何でできているのでしょう……? 一枚板のようですが、岩とも鉄とも……、いや、そのころに鉄の技術はなかったでしょうが」
「いや、鉄は朽ちやすく残りづらい。我々が知らないだけで、古代に高度な鉄器文明があった可能性も……」
「いやそれでも、現代でもこんな巨大な鉄の扉なんて……」
神官たちの議論をよそに、ショールはその扉に近づき、手を触れる。
「これは、あの青銅巨人の骨に近い素材だ。あれが、石化したかのような......」
「えっ」
議論を始めかけた神官たちが止まった。ショールはさらに、
「……付呪がなされている。それも非常に強力な」
アレコスがショールの横に立ち、同じように触れる。
「これは、結界だろうか?」
「ああ。おそらくこの結界は……」
ショールは扉を見上げる。
「この建物を封印している」
それからショールは、扉につく泥に触れる。
「この湖の水の、異様な瘴気も気になっていた。この泥はひょっとすると、ここにかけた結界を腐らせ、減衰させるためのものだったのかも知れない」
「まさか、魔法で発生させた泥だと?」
神官長が声を上げた。ショールはうなずく。
「多分、クレトスがやったのだろう」
「2500年かけてか? 随分と悠長に思えるが」
ギデオンが疑わしげに言った。
その時、テオの背負うバッグから顔を出していたファティアが吠えた。
「ファティア?」
テオが肩越しにその顔を見ると、彼女は何か言いたげにくんくん鳴いていた。
ショールはテオのバッグから、ファティアを抱き上げる。
「あまりにも驚くべきことが多すぎて忘れていましたが、この子犬……」
神官長は、ファティアの金色の瞳を覗き込む。ショールはうなずき、
「エウメロスとともに戦った神犬ファティア……。本物か、あるいは転生体とでも言うべきものか……」
リディアが目を見開いた。
「まさか……、いや、そう思わせられることは多々ありますが……」
「クレトスやエウメロスの魂が宿ったものが姿を現したほどだ。神犬ファティアが蘇っても驚くべきことじゃないだろうが……」
アレコスも言うが、当のファティアはすまし顔だった。
ショールは彼女の顔を自分に向け、その目を見つめる。
「お前が神犬ファティアで、私たちの道しるべになるのなら、ここで何をすればいいのか教えてくれるか?」
ファティアはじっとショールを見つめた後、目を逸らして、鼻先を扉に向けた。
「扉か?」
ショールはその鼻先が向かう方向に、彼女を運んでいく。
彼女は扉の中の模様に前足をかけて、とんとん叩く。
「帯文字?」
キモンがつぶやいた。アレコスが尋ねる。
「帯文字と言うのはこれか? 模様のように見えるが……」
丸みの一切ない、直線と角の組み合わせが続いていく、文字と言うより幾何学模様のようなものだった。
「文字を合体させながら書き連ねると、こんなふうに、模様のように続いていくんです。分かっているだけで70以上の文字があり、どの文字と文字を続けるかでも書き方が変化する、非常に難解な文字なのです」
「それ、実用的とは思えませんね……」
リディアが言うと、それを耳にした教員の一人が、
「古い時代の文字は、今のような便利なツールではなく、特権階級が独占する、秘密の知識だったのです。それを扱うことそれ自体が高貴な身分の証明にもなったのですよ。特にこの帯文字アルファは、ルーン文字とのかかわりも深い魔法の文字でもあるのです」
「この帯文字は、読むことは可能でしょうか?」
「残念ながら……。現在でも帯文字の解読はほんの一部といったところです」
リディアの問いに、教員は両手を挙げた。
「だが、この文字、読めずとも意思が伝わる」
ショールのつぶやきに、全員が彼に振り向く。リディアが尋ねる。
「どういう意味です?」
「文字に特殊な魔法がかかっている。この文字を刻んだ者は、この文字を読めるものがほとんどいないことを承知の上で、その意味が伝わるように魔法をかけたのだろう。できる限り多くの者に……、ここに眠る危険を伝えるために」
彼の闇色の眼に、その文字が写る。
「泥の影響でかなり魔法が弱まっているが、なんとかその記憶を読める……。イメージを送るぞ」




