マギフスの天敵②
「……どうやら間に合った」
光に包まれながら、ショールはため息のように言った。その直後に、彼を包む白い光は鏡に向けて収束して輝きを増し、その周囲に花びらが旋回した。
「ショール……従士どの!」
リディアが小走りに近づいてきた。テオもそれにつられるようにショールに近づき、その後ろにカシアとシンシアもついていく。
ショールの鏡は収束する光の中で黒いうろと化し、ショールの手元を離れて宙に浮く。
(ショール、何するつもり!?)
(奴を食って得た火で、奴が破壊したものを元に戻す)
白い光の中、鏡を中心に黒いうろが広がった。
その中に、青と赤の粒子が現れ、ガス状の星雲のようなものを作り、渦を巻く。その様は、遠い夜空の彼方、星々の世界を覗く穴のようだった。
星雲はやがて形を作った。漆黒の瞳孔を中心に、青の光彩を赤く縁どる、星雲の眼が現れた。
そしてショールの口から、人間のものとは思えない、地響きのような、遠雷のような声が出る。
「a……K……」
それに答えるように、その目からも同じ声が放たれる。
「q……b……」
鏡を中心とした光が、弾けたように無数の花びらを飛ばした。同時に、目に映らない強大な力が解き放たれた。
「な、何だ!?」
生徒たちの隠れる博物館と美術館のガラスやオブジェなどが、時を巻き戻したように元に戻ってゆく。
生徒のひとりに突き刺さったガラスの破片もひとりでに抜けて、元の場所へと宙を飛んで戻っていき、他の破片と接合して一枚のガラスに戻る。
そして、生徒の傷も流れた血を吸い込んで塞がり、さらには裂かれた服も元に戻った。
鉄巨人が放った無数の銃弾も、放たれた元の場所に戻って薬莢とくっついて地面に落ち、えぐられた地面も元に戻る。
同じように、傷ついた人々の傷がふさがり、その身につけたものまで時を巻き戻して元に戻る。
「ちょ、ちょ、ちょ……」
リディアが慌てて言葉も出せないのは、目の前で起きていることが信じられないというのではなく、
(こんな大勢の前で何とんでもない魔法を使ってるのよ!)
念を送るリディアと、唖然とするテオの目の前でも、噴水台とエウメロスの象が元のように戻っていく。
「やっぱりショール様、すごい……」
言葉なく先祖の像を見上げるテオの後ろで、妹のカシアが感嘆の声を漏らした。
「あの人を知っていたのか?」
カシアは笑顔で答えた。
「王子殿下やセレネ様と一緒に、何度かお目にかかっています。危ういところを救われたこともあるんですよ」
その兄妹の前で噴水が吹き上がった。清く綺麗な水が、水場の泥を洗い流していった。
ショールはすっかり元に戻った公園を見渡してから、リディアに念を返した。
(死にかけた人間もいた。人命優先だろう?)
(ぐ……、まあ、その通りだけど)
毒気を抜かれたリディアの耳に、聖戦士長の叫びが聞こえた。
「アグニ、アグニ! おおヤルハよ!」
彼は倒れた女性聖戦士を抱き抱えていた。彼女の傷も砕けた鎧も全て元に戻っているのに、その目は開かない。
「アグニ!? そんな……!」
テオもそれを見て駆け寄ろうとしたが、
「大丈夫だ」
ショールの淡々とした声がその足を止めた。
「人は命にかかわる傷を負っても、そうすぐには死なない」
緑の粉をまとい、ショールの懐から一匹の蜂が飛んでいった。
それが、目を閉じたままの女性聖戦士の鼻先に舞う。
「う……」
すると、彼女はわずかに身じろぎをした後、その緑色の目を開けた。
「お父様……」
「おお、ヤルハよ……」
戦士長は、父として彼女の身を抱きしめた。
言葉なくそれを見つめるテオのそばに、ショールが立つ。
「間に合ってよかった。一度飛んでいった魂を戻すすべはない」
「一体、あなたは何をしたんです……?」
テオが振り返りながら問いかけると、
「鏡を使って奴を食い、魔法に変えた。今回は時間を巻き戻した。物体の時間だけを」
その鏡はショールの手にぶら下がり、星雲の眼はなくなったものの、なお白く輝いている。
「あの魔物を食って魔法に変えた……?」
「エーテルコンバーターのようなものだ。何が食えるのかは見るまでは分からないし、どんな魔法を使えるかはその時にならないと分からない」
そう言ってショールは、まだ太陽のように光る鏡を腰のベルトに戻し、外套で隠した。
「助かったよテオ。あれを食うにも外装を引きはがさなければならなかった。その弓と君の腕が必要だった」
テオは面食らったような顔になり、次いで赤面した。
「ショール様」
少女の声が聞こえて振り返ると、王太子の婚約者のセレネがいた。両脇に、呆れたような顔のキモンとギデオンも付き添っていた。
彼女は微笑みを浮かべて恭しく一礼した。
「お久しぶりです。そしてこのたびのご助力、感謝いたします」
それから彼女はにこりと笑いながら、ショールがつけていた銀色の仮面を差し出した。
「お顔は隠した方がよろしいと思います。新聞記者の方はじめ、あなたに興味津々の方々がこちらに駆け寄ってきましたわ」
リディアが一瞬ものすごい顔をした。ギデオンは頭をかくと、駆け寄る者たちに体を向け、
「公職にないものは下がれ! ヨレン王のご命令である!」
大音声で申し渡した。駆け寄ろうとした者は、市長ですら足を止め、テオの後ろでカシアがびくりと背を伸ばした。
ショールは素知らぬ顔で仮面をかぶる。
そんな彼に、リディアが言った。
「ところで従士どの。あなた自身の時は巻き戻さないんですか?」
ショールは、いまだ汚水で濡れた時のままの姿だった。リディアの口調と表情がいささか皮肉っぽいのは、口外に「汚い」と言っているのだろう。
「自分については他のものと区別される。なんでこうなるのかはわからない。私の心の持ちようがそうさせるのかもな」
リディアの顔から笑みが消えた。
「従士どの!」
公園の正門の方から声が聞こえた。見ると、ヤルハ神殿の神官たちが来た。その後ろからアレコスも馬に乗ってやってきたが、苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。
「神官長、ご無事でしたか……」
キモンが神官たちの中心にその姿を見た。
「いや、どうやら従士どのに命を拾われたようで……」
神官長はショールの前に出て一礼した。
その横で下馬したアレコスもショールの前に出て、
「奴は見失った」
「ああ、ここからも奴の姿は見えた」
「……お前、半壊した警察署が元に戻るのを見た時は肝をつぶしたぞ」
その後ろで下馬したバイアンは、何事もなかったかのように元通りになった公園を見渡し、こちらを……というより、ショールを注視しざわめく人々を見て乾いた笑みを漏らすと、
「お前……、やってくれたようだな、ショール」
「人命優先だ」
ショールはそっけなく返したあと、アレコスに目をやり、
「やはり警察署で保管されていた骨か」
「ああ。奴にはそれが感知できるのだろう。同族なのか、自分の一部なのか……。だが視力は失ったままのようだ。とにかく俺たちはまた奴を追う」
「ところでショール、それはどうすんだ」
ギデオンは、ショールの外套の中から漏れる、鏡の光を指さした。
「なんか武器でも作ってくれるのか?」
「いや、使う当てはある」
ショールは巨人の丘を見上げた。
それから神官長に顔を向け、
「丘の向こうにある湖の水を抜きたいのだが、どなたの了承を得ればいいでしょうか」




