マギフスの天敵①
ショールはファティアを抱えたまま、ステップを踏むように水場に戻る。その足の力で泥水が吹き上がり、噴水の中心にあるエウメロスの銅像を飛び越えたところで銃撃が来た。
ショールは右手の杖をエウメロスの像に絡ませ、勢いを殺して水場に着水した。杖をからませたエウメロスの銅像は、すでにハチの巣になって、ショールが楯にする噴水の台座も見る見る砕けて削れていく。
「ああいうのは嫌いだ。防ぐ手段があんまりない」
ショールがつぶやくと同時に、水場の排水溝や、止まっていた噴水、さらには公園の排水路からも泥色の水が噴き出し、生き物のように巨人に襲い掛かった。
水は巨人の機銃にからみつき、その銃口にまとわりつくような動きを見せた。
『な、なんだこれは! 水の魔法使いと言うのか!』
巨人はそれでも銃を撃ち続けるが、
「防ぐ手段はあんまりないが、今はある。特殊な付呪がかかっていない限り、このくらいの水でも弾丸は減衰する」
ショールは腕に抱くファティアに話しかける。ファティアはふんと鼻を鳴らした。
銃弾はばらけてほとんど噴水にも至らず、石を削るほどの威力も大きくそがれて、芝生を軽くえぐる程度になった。
(ショール!)
聖戦士たちやアレコスたちから念話が響く。
(すまんがちょっと手伝ってくれ。奴を覆う青銅が邪魔だ。あまり時間もかけられない。死にかけている者もいるはずだ)
聖戦士長のものだろうか。悔恨の念が流れてくる。
(それとリディア、テオの手も借りるぞ)
(えっ?)
崩壊寸前の作業場に隠れるテオも、それが聞こえて顔を上げた。
ショールはイアン族の火打石とハンカチを取り出した。足を上げてつま先をハンカチにつけると、ハンカチを濡らす水がするりと抜け落ちる。そこに火打石を鳴らして端に火をつけた。そして何匹かの蜂がそれをつかんで飛んで行く。
そんなショールの耳に、鉄の足音が迫り来るのが聞こえる。
「まあ、そう来るだろうな」
足元で水が吹き上がり、それに乗ってショールは宙を舞う。直後に噴水が薙ぎ払われ、崩された。鉄巨人がドリルを振り回して突進してきたのだ。
ショールは水に乗って竜骨の頭に取りつくと、腰の小刀を抜き放ち、赤い目の光る眼窩に突き入れた。
『ぎゃあああ……!?』
凄まじい悲鳴が轟いた。それもひとりのものではなく、無数の人間のものと、鉄のきしむ声とでも言うべきものとが混じりあったものだった。
その中でクレトスの声がひときわ響く。
『痛い! 痛い!! 馬鹿な、痛みだと!? なぜ痛むのだ! 片眼も見えない! なんだその剣は! 魂をも傷つけると言うのか!?』
(アレコス、こいつの膝の裏を撃ってくれ)
直後に、アレコスの放った魔法の銃が、巨人の膝裏を正確に撃ち当てた。
直後にショールは杖を巨人の首に巻き付け地に下る。閃光とともに穴が空いた巨人の膝裏めがけ、小刀を突き立てた。
『ぎゃあああ! 痛い、痛い!』
また老人の悲鳴が上がった。
しかし、
『おおお……!』
男の声……、エウメロスの雄叫びが悲鳴をかき消す。痛みや恐怖におののくものでなく、純粋な戦士の怒りに満ちた声だった。
「英雄、エウメロスか」
水場に降りて身をかがめるショールは感心したように小さくつぶやく。
老人のわめきがエウメロスの喊声に重なる。
『殺せ、エウメロス! その男は危険だ! 何としてもここで殺すのだ!』
巨人は振り向きながら、ショールをドリルで薙ぎ払おうとする。
その頭に蜂の群れが取りついて視界を塞ぎ、ショールは水の上を滑りながら巨人の股下をくぐって逃れる。
さらに振り向く竜骨の横面に、今度は杖が引き寄せたエウメロスの銅像が勢いよく激突した。
巨人は片膝をついた。ショールが傷つけた足だ。
その間にショールの外套が色を変えた。泥水と同じ色に変わるとともに、ショールを包み込む。そしてショールは水場と周囲に乱れ飛ぶ水流に溶け込むように姿を隠した。
『うおお……』
巨人の周囲に、なお蜂の群れと泥水の流れはつきまとい、さらに絡みついた杖がツタとなって、公園の岩やオブジェを拾っては巨人にぶつける。
その光景を言葉なく見ていたテオの元に、火のついたハンカチをぶら下げて、蜂が飛んできた。
(テオ、すまないが手伝ってくれ)
水流と蜂の群れの中、巨人は片膝をつきながらも両腕を振り回していた。
『どうした魔法使い! これだけでは私を冥府に落とすことはできんぞ!』
エウメロスの声は、怨霊の昏い声ではなく、戦場で傷つき荒れ狂う戦士のそれになっていた。その声には、歓びのようなものすら聞き取れた。
『姿を現せ卑怯者! わが片眼を失わせ、片足を傷つけておきながらなお恐れるのか! 私と勝負しろ! 命を賭して戦おうぞ!』
「あいにくだが私は戦士でも魔法使いでもなくてな」
声の聞こえた方に巨人は振り向く。杖に引き寄せられて飛んできた、銀の仮面をかぶる外套の男が目に入る。
巨人はドリルでそれを薙ぎ払った。
「あっ……!」
見ていた誰もが声を上げた。
しかし、舞い散ったのが血肉でなく、無数の繊維と蜂たちであることが目に入ると、リディアらはそれが本物のショールでないことに気付く。
そして消え失せたショールの分身の向こうから、杖に絡まれ引き寄せられて、ショールの短刀、見えぬものを斬る守り刀が切っ先を向けて飛んできた。
その小刀は、巨人の残った片目の眼窩に飛び込む。
『ぎゃああああ!!』
またもクレトスの絶叫が上がった。
『痛い! 見えぬ! 何も見えぬ!!』
そして、巨人を取り巻いていた水と蜂とが、幻のように掻き消える。
工房の陰に潜み、妹たちに見守られながら弓を構えるテオと巨人の間で視界が開けた。巨人はテオに背を向けている。そしてその背中にある鉄の箱に、赤い粉をまとう蜂たちが止まっているのが見えた。
テオはその印を見てかっと目を見開く。矢には、ショールが火をつけたハンカチが巻かれていた。
(テオ、今だ)
ショールの念話とともに、テオは全身全霊を込めて弓を弾き絞り、一瞬のうちに狙いをつけて矢を放つ。
放たれた矢は蜂たちがつけた赤い印を正確に射抜いた。
直後に、巨人の背負う鉄の箱が爆発する。
『何だ、何が起きたのだ!』
クレトスの絶叫が響く。
背中から発せられた火は巨人の体にまとわりつき、腕にも回って機銃を爆発させた。
背中の箱がさらに強く爆発した。噴出口が勢いよく火を噴いて、巨人の背中から逃れるように、その鉄の箱は空に飛びあがった。
『見えぬ! なんだこれは!? 炎か!? このクレトスに御せぬ炎だと!?』
(大いなる炎の魔術師、フ・クェーンの火打石の炎だ)
そのショールの念話とともに、巨人の周囲に散っていた岩のひとつが動いた。
いや、岩に見えたそれはショールの外套の擬態だった。岩肌や形まで再現した彼の外套は、元の暗い灰色に戻り、それをめくって現れたショールの左手には、彼の鏡がぶら下がっていた。
巨人の炎が瞬時に掻き消えた。青銅の覆いも爆発でめくれ、その中の黒鉄があらわになる。
ショールの鏡の白い曇りが晴れて、黒鉄の骨を写した。
竜頭の鉄巨人が白く光った。
『な、何だこれは!』
クレトスの狼狽の声と、鉄を引き裂く悲鳴が轟く。太陽のような光が黒鉄を侵食し、クラゲのような、白く半透明の、花びらか火の粉のようなものが吹き上がって空に舞う。
そしてその光と同じものが、光を放つショールの鏡からもあふれ出した。
『ぎゃあああ!! 何が起きている!? なんだこの、食われているような感覚は!?』
クレトスの叫びとともに、その鉄巨人の頭が胴体を離れて飛んだ。
いや、頭だけでない。鉄の尾というべきか、脊髄と言うべきか、細長く連結したそれを引いて空中に飛んだ。
その尾に一対の筒があり、それが火を噴く。竜骨の頭は加速して中天を舞った。
「何だと!?」
意表を付かれて声をあげたアレコスに、ショールの念話が飛ぶ。
(アレコス、バイアン、追えるか)
返事より先にアレコスらは馬を走らせた。
ショールの目の前で、残された鉄の体は白い光に焼かれ続けた。鉄を引き裂いたような悲鳴を上げ、徐々に形を変えていく。やがてそれは、巨人の右手に戻っていった。
一方、離れた所で爆発音が聞こえる。
宙を舞った竜の頭が、町のどこかに落ちたようだ。
「警察署だ!」
そう叫んだのは、例の警部だろうか。
そしてわずかな間をおいて、
「あ、あいつ……!」
煙の尾を引いて、鉄の竜が中天に飛び上がった。その身に鉄骨を組み合わせて作ったような左右非対称のいびつな鉄の翼を身につけ、火を噴射しながら舞い上がる。
「警察が持って行った、あの駅の骨を取り込んだか……」
ショールがつぶやく。
『見えぬ、まだ見えぬ、ぬおおお……』
クレトスの声が遠く響き、狂ったような軌道を描きながら、竜はあっというまに視界から消えた。
ショールはそれから視線を外し、再び巨人の右手に目をやる。
巨人は白い光の中、燃え尽きた炭のように骨を白く変色させていた。ぽろぽろと灰を落とし、きいきいと、金属のきしむ悲哀な音を漏らす。まるで、命乞いをするように。
「いや、お前の主の元に戻れ」
ショールが言い放つと、右手を包む光は、最後にかっと強い輝きを見せた。幻のように右手を包んでいた光は消えた。
一方、ショールの鏡を中心とする半透明の白い炎のようなものはさらに膨れ上がり、白い半透明の花びらが舞う。
黄金色の青銅の外装といくつかの銃火器を残し、巨人の手の黒鉄のごとき骨は、燃え尽きて真っ白に朽ちた炭のようになった。




