竜頭の鉄巨人③
テオの妹カシアも、シンシアに手を引かれ、美術館入り口の軒下にまで至った。
「姉さん!」
美術館の玄関ホールで、弟のイリアスも待っていた。
5段ほどの階段を登り、軒下に入ろうとする。
そこに、乱射される巨人の銃弾が飛んできた。
殿の近衛兵の結界がそれを防ぐが、防ぎきれない銃弾が美術館の扉や入り口の石像を破壊し、その破片が飛ぶ。
「伏せろ!」
赤毛の少年が、イリアスを押し倒して伏せさせた。玄関ホールにいた他の生徒たちも悲鳴を上げながら床に伏せる。カシアもシンシアに手を引かれて玄関先に伏せた。
ガラス張りだった玄関正面が砕け散って破片が人々に降り注ぎ、ホールの調度も砕け散った。
喧騒の中でカシアは気付く。巨人の放った銃弾が、頭上の石の庇を支える石柱を破壊したことを。
重く大きな石の庇は、根元にひびが入り、ゆっくりと下に傾いていく。
「あっ……!」
イリアスも姉の危機に気づいた。
殿で力場を張っていたタロッソスの女性聖戦士も気づいて振り向く。しかし気を取られた一瞬に力場が緩み、再び飛んできた銃弾の雨に耐え切れず、弾き飛ばされた。
側にいた聖戦士長が盾の力場を張りながら後退し、倒れた彼女をかばう。
「お父様……」
「話すな!」
彼女の胸甲はひび割れて砕け、口から血がにじんでいた。
「カシア姉さん!」
「だめだ、頭を上げるな!」
イリアスは姉を助けるべく身を起こそうとして、赤毛の少年に頭を押さえられた。その間に、玄関の両開きの扉や左右の石像が倒れて折り重なり、出入り口を塞いだ。
カシアとシンシアも伏せたまま動けない。そんな彼女たちの頭上で、軒がゆっくりと、不吉な音とともに傾いてくる。
死を予感し、涙を浮かべて覚悟するカシアの耳に、懐かしい声が聞こえた。
「カシアーッ!!」
そしてそれに続く、甲高い走竜の声。
「テオ兄さん!?」
走竜が公園を疾駆してきた。その背には、黒髪の、美しい顔立ちの少年が乗っている。
巨人は乱射を止めた。その赤く光る眼は、竜に乗る少年に釘付けになり、それを追って首が回る。
『……何者だ』
狂乱が止んで、暗いつぶやき声が漏れた。
『何者だ、お前は!』
怨嗟と言うより混乱の声が響き、巨人はテオに銃口を向けた。銃口が鳴き、走るフォルスの後ろで芝生と土が弾け、それが迫ってくる。
その巨人の肩に、どこからか飛んできた銃弾が直撃し、白い閃光が弾けた。巨人はよろめいて体勢を崩し、その銃口は空へと逸れた。
「アレコス!」
テオに続き、馬に乗ったアレコスとバイアンも姿を見せた。彼らは巨人に向けて馬を走らせ、アレコスの銃は再び機銃を構えんとする巨人の腕を、またも正確に撃ち弾いた。
その間にテオは、真っすぐに妹の元に向かう。
「ふたりとも立つんだ! 手を伸ばせ!」
不吉な音とともに天井が落ちようとする中、シンシアはカシアの手を引いて、慌てて立ち上がる。
テオは両手を差し出して身を傾け、庇の下に滑り込む。そして、ついに庇が崩れ落ちるすんでで、カシアとシンシアの手をそれぞれ掴み、フォルスの背中に引っ張り上げて駆け抜けた。
轟音と粉塵を上げ、落下した美術館の軒は砕け散った。
そのままフォルスは、美術館横の作業小屋の陰に飛び込んだ。
テオはそこでフォルスから降り、腹ばいに引っ張り上げた妹とシンシアを下ろす。
「……テオ兄さん!」
涙を浮かべて兄を見上げるカシアだったが、
「カシア……。とにかく、無事でよかった」
少し気まずそうに、あるいは照れたように目を泳がせるテオを見て、カシアきょとんとした後、涙をぬぐい、仕方なさげな笑みを浮かべた。
「……助けてもらったところで申し訳ないのですが、久々に会う妹に、何かもう少し言うことはないのですか、テオ先輩?」
横からシンシアが口を出した。その鋭い眼と言葉に、テオは少し鼻白んだ。背後でも、フォルスが呆れたように鼻息を吹く音が聞こえる。
そこに、リディアの念話が届く。
(テオ、逃げなさい! あいつはあんたを狙ってる!)
はっとしたテオは、
「伏せろ!」
ふたりを押し倒して地に伏せさせ、一瞬遅れてフォルスも伏せた所で、無数の銃弾が作業小屋の壁を破壊しながら頭上を飛んだ。
土壁と木の破片が降り注ぐ中、フォルスの道具袋から顔を出していたファティアが、するりと抜け出した。どこに行くのと吠えるフォルスに澄ました顔で一声吠え返すと、そのまま速足で作業場の影から広場に向かおうとした。
「おい、ファティア!」
テオも声を投げたが、ファティアは止まらない。
『何者だ! お前は何者だ!』
竜頭の鉄巨人は、学生や一般人の避難誘導を終えたバトルメイジの電撃や火炎弾、銃弾を受けながら、テオ達が盾にした工房に向けて機銃を放っていた。柱も壁も無残に砕け、屋根が傾く。
『うっとうしいぞ、非力な魔術師ども!』
若い男の声とは別に、老人の声が響く。
その周囲に、結界の力場が形成された。
「なんだと!」
バイアンが目を見張る。
さらに、銃撃を受けた箇所が赤熱したように見えると、その周囲の黄金色の装甲が溶けて、元の形に戻る。
巨人は銃を放ちながら、テオ達の元に歩を進める。
「ちぃ……」
アレコスは馬を走らせながら弾を入れ替え、狙いを定めて放った。
その弾は、巨人の背中から右腕に伸びる、銃弾のベルトを断ち切った。
火を噴いていた三つの銃口は、すぐにカチカチ鳴りながら回転する、煙を吹く筒になった。
『あの時の雑兵か! 猪口才な……!』
断ち切られた銃弾のベルトが宙に浮いて、再び腕の銃に接続しようとしたその時、
「z……g……!」
雷鳴のような声が轟いた。
鉄巨人のきしみも、戦士たちの怒号も、避難した人々の悲鳴も、その場の音が全て止まった。
『ファティア……?』
鉄巨人から若い男の声が漏れたが、その声から怨嗟が消えていた。重い疲労にかすれたような声だった。
鉄巨人の首がきしみながら動き、雪のように白い体毛と、黄金の目を持つ子犬に目を向けた。
「ファティア!」
テオも工房の影から飛び出し、弓を手にファティアをかばうように前に出た。
『誰だ、お前は……』
だらりと腕を下げた鉄巨人から、暗く重い声が漏れる。
「暴君に名乗る名はない!」
言いながらテオは弓を構えた。彼は、この鉄の巨人に暴君クレトスが憑依しているだろうという話しか聞いていない。
テオは狙いを定めながらも撃たない。巨人から一切の敵意を感じなかったからだ。巨人の眼は、ただじっとテオを見つめていた。テオはそれを鷹のような目で睨みながら、矢を放つ気になれなかった。
『そなたは、一体……』
その言葉の途切れとともに、巨人はガタガタと震え出した。
『あれも貴様の子孫に決まっておろうが、馬鹿め!』
老人の声が響き、巨人は震えながら、両手を天へと振り上げた。
『あの顔、あの目、あの小生意気さ! なるほどかつての貴様自身をこの小僧に見たかエウメロス!』
老人の声は、またも英雄エウメロスの名を言った。
『怨嗟の怪物が、恨みを忘れたのか! ならばこの体を明け渡し、おとなしくわが贄となれ! さもなくばこの場で一人でも多く殺戮し、それを捧げよ!』
その言葉の間に、ファティアはテオの足の間をすり抜け、巨人の脇を横切って走る。
「ファティア!」
戸惑うテオが我に返って叫んだが、ファティアは広場の中心にある水の止まった噴水へと真っすぐに向かって行った。
巨人から老人の怒声が轟き、同時に若い男の絶叫が放たれる。
『忘れたかエウメロス! お前が復讐と殺戮の限りを尽くした時、わが足首に嚙みついて邪魔だてをしたのはあの駄犬であろう!』
『アアアアア……ッ!』
男の悲鳴に、怨嗟が混じり始めた。
『殺せ、エウメロス! あの駄犬は貴様の友などではない! 不忠な裏切り者よ!』
男の絶叫が響く中、血の涙を流しながら、竜頭の鉄巨人がその身を翻した。
ファティアはエウメロスの象を囲む噴水に至り、その身を巨人に向けて座った。
そしてその口から、犬のものとは思えない、遠雷のような声が響いた。
「p……r……」
その言葉とともに、その場にいた全員の脳裏に、一人の男のイメージが走り、すぐに消えた。
その男は外套を頭からかぶり、杖をついて平原をただ一人歩んでいた。
(……ショール?)
緩めた弓を弾き絞ろうとしたテオの手も止まる。
『「真実の言葉」だと!? 駄犬、きさま、何を唱えた!』
巨人は子犬に銃を向けた。
その巨人の銃に銃弾のベルトが装着される前に、どこからともなく伸びてきた、ツタのようなものが絡みつき、さらに巨人の首、胴体、足にもそれは及んだ。
さらに、どこからか飛んできた蜂の群れが巨人に襲い掛かる。
『ヌオーッ!』
蜂を追い払おうと、ツタに絡まれたままもがいた巨人は、バランスを崩し、半回転して転倒した。
『何だ、何だこれは! おお、犬畜生め、何を喚びよった!!』
テオが巨人に絡むツタを目でたどると、それは噴水を受ける水場から伸びていた。
(ああ、聞こえたぞ、ファティア)
聖戦士たちやテオの心にショールの念話が響いた。
直後に水場から泥水が勢いよく噴き出し、排水溝の石の蓋が飛んだ。宙を舞ったそれは弧を描いて巨人の竜頭にぶつかり割れた。
蓋を吹き飛ばした泥水が止まると、その排水溝のふちを掴んで、男がひとり這い出てきた。
「ショール!」
リディアやアレコスらが叫んだ。
ショールは泥水のあふれた水場に立ち上がる。巨人に絡んでいたツタが彼の手元に縮んで杖に戻り、蜂たちの多くも彼の元に舞い戻ってその周囲に隊列を組むように滞空する。
(お前、どこ通って出てきたんだ!?)
アレコスの念話が飛んでくると、
(あの横穴、このあたりの上下水管を破壊しながら進んでいた。せっかくの設備なのにな。しばらくは使えないだろう)
のんきにすら思える口調でそう念を返しながら、ショールは起き上がろうとする鉄の巨人を見つめたまま、水場から上がる。
その足元にファティアが歩み寄る。そしてショールの臭いをかぎ、くしゃみをした。
「ああすまん、臭かったか」
ショールのベストが青い粉を放ち、彼を包んだ。
その間も、ショールは観察でもするかのように、フードの下から闇色の眼で巨人を見ていた。
(ショール、何してるの、そこから離れて!)
リディアは念を送ったが、その返事の代わりに、イメージが伝わってきた。
怨嗟に満ちた無数の顔が、坩堝の中で混ざり合い渦を巻く。その渦の中心にあって、ひときわ強い怒りと怨恨とともに顔を突き出す一人の男。
(テオ!? いや、違う……)
その顔はテオに似ていたが、
「エウメロス」
ショールの口から言葉が漏れた。
そのイメージはショールの念を感知できる全ての聖戦士や魔法の遣い手に届いたようで、彼らは武器や盾の展開も忘れ、息を呑んだ。
さらにイメージが届く。その坩堝を、苛立ちと怒りに顔を歪めながらかき回す、禿頭の男。
「クレトス」
ショールはまたつぶやく。
『気安くわが名を呼ぶな、おお、蛮人めが!』
巨人が立ち上がりショールを睨めつけ、老人の声が響く。
ショールは素知らぬ顔で、
「いや、それだけではない。その骨にも名前があるな」
そして、彼の口から、人間の声とは思えない、遠くで何かが轟くような、地響きのような声が漏れる。
「m……o……」
その瞬間、それを耳にした全員の脳裏にイメージが走った。
巨大な骨の竜。暴君竜、ティラノサウルスと呼ばれたそれの骨に似た、巨大な、黒い骨の竜が、何頭もの群れをなして、燃え上がる石の町を蹂躙するイメージだった。
悲鳴が上がった。人々のものでもなく、魔物に宿るエウメロスでもクレトスでもなく、その骨の巨人の骨そのものから、鉄のきしみに似た悲鳴が響き渡ったのだ。
ショールは腰の鏡に手をかけようとした。
だが、
(ソレハマダ使ワナイデ)
ショールの心に幼い女の子のささやくような声が届き、手が止まる。
(ココデハ終ワラナイ。知ラレテハイケナイ)
ショールは足元のファティアを見る。彼女は金色の眼でショールを見上げていた。
老人の……クレトスの声が響く。
『なぜその名を知っている!? いや、なぜその名を、真実の名を口にできるのだ! おお、そしてなぜ、こんなにも貴様が恐ろしいのだ!』
男……エウメロスの意思も、他の多くの怨念とともに悲鳴をあげている。
そして鉄の骨の悲鳴が。
『p……n……!』
その、言葉のようなものが響いた時、白い炎の中に立ち、外套のフードの下から獲物を見る鷹のごとき黒眼を向けるショールのイメージが走る。
いや、それは鳥獣に例えるにもあまりに無機質に見えた。獲物を狙う虫の不気味さ、恐ろしさと言うべきか。その言葉を放ったものが抱く、根元的な恐怖がそこにはあった。
ショールはかがみ、ファティアを抱きかかえる。
その間に、杖は右腕に巻き付き、フェルトのようだった外套が毛を伸ばし、中のベストが波打つように色を変えて粉を舞わせ、その中を蜂たちが飛び交う。
ショールはふと、足元に転がる銀色の仮面に気付く。土産物屋で売っていたものだ。老魔法使い。おそらく大魔術師カリゲロスを再現した仮面だ。
それを拾って顔にかけ、立ち上がる。
その時には、巨人から発せられる恐怖の叫びは、怒りに変わっていた。
『殺せ、エウメロス! その男を殺せ!』
巨人の背中から伸びた銃弾のベルトが生き物のように伸びて、右腕の機銃に装着された。




