竜頭の鉄巨人①
その時丘の公園では、すでに警官などが中心となって人々の避難誘導に当たろうとしていたところだった。
しかし、公園の外に誘導しようとしたところで、その入り口そばの神殿から飛び上がった竜の姿に足を止めた。
そしてそれが片翼を失いながら落ちてくると、人々は悲鳴を上げながら丘の方向へと逃げまどった。
巨人の右手を掴んだまま、正門近くの芝生へと、地響きとともに竜は落ちた。そして残った片翼を広げ、首を振りながら唖然とする人々を睥睨し、
『おお、頭の高い犬畜生どもめが……』
心に老齢の男の声が響く。
『だが、右手は取り戻した……。おお、マガファよ……』
竜が愛おしそうに巨人の右手に抱き着くと、巨人の右手を包む、錆びついた青銅が赤く輝きだした。陽炎が上がり、周囲の芝生が燃え上がって火の粉が舞う。赤熱しているようだ。表面の青銅に続き、中の黒い骨も赤く光り始める。
右手の親指が、手首の方に時計回りに動き始め、小指と人差し指も扇のように広がる。
耳障りな金属音とともに、竜に残った片翼が外れた。そして竜は、手首に回った親指に頭を突っ込んだ。真っ赤に輝き半固体になった右手は、火花と灼熱の飛沫を挙げて竜を受け入れた。
「なんだ、あれは……」
王太子テルセウスも、博物館前の広場で唖然とそれを見ていたが、
「殿下、お下がりください!」
駆けつけてきた聖戦士のニコラスや近衛隊長らに押されるように、博物館の入り口まで誘導される。
「待ってくれ、セレネや他のみんなは!?」
「リディアがついております! 今は御身のことをお考え下さい!」
公園に警部の怒声も響く。
「何をしている、民間人を下がらせろ! 博物館と美術館へ!」
我に返った警官たちが、悲鳴を上げる人々を石造りの博物館と美術館に誘導する。
その間に、竜は巨人の右手と融合し、変体を遂げつつあった。
巨人の親指に頭が、人差し指と小指に腕が、中指と薬指に足が入る。赤熱が収まるとともに、その表面が黄金に輝き始める。
セレネらを連れ、美術館へと向かうリディアは、合流してきた近衛隊員に、
「あれの装甲を撃ち抜けそうな武器は所持していますか!?」
「そんなもの、持っているわけがありません! あっても人が多すぎて撃てませんよ!」
「ではもし襲ってきたら、ぶった斬るしかないってことですね!」
リディアの素が出たが、近衛の兵士は気にする余裕もないのか、
「とにかく今は、皆さんを建物の中に!」
竜の周囲の陽炎が収まっていき、地に伏せていたそれが手をついて起き上がる。
黄金色の鎧に包まれた、竜頭の鉄巨人とでも言うべきものが出来上がった。爬虫類の骨の頭はそのままだが、体に比して大きく見えたその頭が、人間の比率と変わらなくなるほど、右手と合体したその体は大きくなっていた。
その右手の機関銃とドリルはそのままになっている。
その眼窩の中の赤い目が、後方に向けられる。キモンとギデオンの姿が見える。
『雑兵どもめ、貴様らにかまっている暇はないのだ!』
竜頭の巨人は丘に向けて駆けだした。巨体に似合わぬ俊敏さで、地響きを挙げながら突進する。
その先にいた人々が悲鳴を上げ、警官らの誘導でその道を開けた。
巨人は、博物館と美術館を左右に置く、噴水広場に入った。泥色の水を吐くその噴水の中央には、英雄エウメロスの像がある。
逃げまどい、左右に分かれて美術館と博物館に殺到する人々をあざ笑うように、老人の声が響いた。
『そうだ、道を譲れ蟻ども、このクレトスの道を開けろ!』
「クレトスだって!?」
博物館入り口にまで至った王太子テルセウスが声をあげた。
それに呼応したように巨人が足を止めた。
ネジが切れたように、英雄エウメロスの銅像の前でぴたりと静止した。
『なんだ、どうした、なぜ動かん!』
老人の声は戸惑っていた。
ややあって、その首がきしみながら回り、博物館の前で聖戦士に護られるテルセウス王子に赤い目が向く。
竜から、老齢の男とは違う声が響く。
『王よ、わが王よ……』
ぞっとするような悲哀と怨嗟とが混じる、若い男の声だった。
それまで叫んでいた老人の声が戸惑いとともに響く。
『何だと!? エウメロス、貴様またもや!』
「エウメロス? まさか、英雄エウメロス!?」
聖戦士や近衛隊にかばわれながら、王太子テルセウスが思わず声をあげた。
その英雄の像は、巨人の目の前で、泥水を吐く噴水の中央に立てられている。
『ああ、王よ、なぜ、なぜ、私をお見捨てになったのですか……』
縋るような悲痛の声とともに、巨人はテルセウスに体を向けた。
『ええい貴様、あの小僧のことを言っておるのか! 貴様には、あれがあの老いぼれ王に見えるのか、あれが!』
老人の声を無視し、巨人は一歩、また一歩と、王太子に向けて足を進める。
聖戦士たちが盾を構え、近衛たちが銃を構えようとする。
テルセウスはそれを見て、
「待って!」
『おお、我が王……、なぜパラティスを間に立たせるのです……。なぜ私を拒むのです……。その者たちが私に向けているのは、私を殺すための武器なのですか……』
その言葉に、悲哀にまして怨嗟が強まってくる。
ギデオンが、公園の入り口から巨人に向けて銃を構えようとするが、
「いけません、人が多すぎます!」
キモンに止められ、舌打ちとともに銃口を下げて、再び走り出した。
「殿下!」
美術館の前から、セレネが声をあげた。
巨人の足が止まり、金属のこすれる不快な音とともに首が右に回り、その視線がセレネに向く。
『キオネー……、おお、わが妻、わが愛しき妻……』
今度は悲哀を強めた声で、巨人は美術館前のセレネの方に体を向ける。
「キオネー? 美姫キオネー? 私が……?」
『なぜ私を裏切った……。なぜ私に毒を盛ったのだ……』
その巨人から、怨嗟とともに瘴気が噴き出してきた。背筋が凍るような怨念が、粘性をもつ空気となって人々にまとわりついてきた。
リディアや近衛兵たちがセレネをかばうように前に出ているが、その瘴気に当てられて、カシアが膝から崩れそうになった。
それをシンシアとともに支え、自身に赤い目を向ける竜頭の巨人への恐怖を、セレネは気丈な目で嚙み殺していた。
『えい、エウメロス、この愛憎の化け物め、いきりたった暴れ馬め、あれからどれだけの春秋を重ねたかの分別もつかぬか!』
老人のわめき声が頭に響く。
『あれは裔のものどもに過ぎぬ! きさまが愛憎を向けた相手はとうに蛆虫の餌よ! ええい、わしの声を聞かぬか!』
その不愉快なほど傲岸で粗野なわめき声が、怨嗟に圧迫された心をわずかに和らげた。
心に余裕ができたセレネは振り絞るように叫んだ。
「彼は私を狙っています! 皆さん今のうちに逃げてください!」
巨人は足を止めた。
王子が叫ぶ。
「何を言っているんだセレネ!」
飛び出そうとして、護衛の聖戦士らに止められた。
王子の叫びを無視して、セレネはともにカシアを支えるシンシアに、
「カシアを連れて、早く中に入って!」
「いけません、セレネ様!」
シンシアが悲鳴のように叫び、声が出ないほど震えているカシアも目で訴えたが、
「時間を稼ぐんです! 早く行って!」
巨人は戸惑うように、ゆっくりと足を踏み出し、セレネに近づいたが、テルセウスは再び叫ぶ。
「よせ! ヨレンの王に恨みがあるなら僕を狙え! 僕はヨレン王太子テルセウスだ!」
巨人の足がまた止まった。
それから、首をきしませながらテルセウスに目を向け、それからまたセレネに目を戻す。
ふたりの少年少女の眼は、迷いなき覚悟と強い意志で満ちていた。
『おお、おお……』
『ええい、何を迷っている! 迷うくらいならわしに体を返せ愚か者!』
老人のわめきはまだ続いていたが、
『黙れえ!』
眼下の奥の真っ赤な目から、血涙のようなものが流れ出した。
『なぜだ、なぜ!? 私を裏切り、名誉も誇りも無残に奪っておきながら、なぜそんなにも誇らしくいられるのだ!』
血を吐くような叫びをあげ、その身はセレネに向いた。
セレネは駆けだした。噴水広場から遠ざかるように。近衛兵が「あっ!?」と叫ぶより早く、リディアはセレネを追って大地を蹴った。
「学生たちを連れて美術館へ!」
彼女は駿馬のように駆けてすぐにセレネに追いつき、右腕にその細身を抱えた。
セレネはリディアを申し訳なさそうな目で見上げ、
「ごめんなさいリディア、付き合ってくれる?」
「……舌噛むんじゃないわよ」
リディアは、口の端を軽く釣り上げた。




