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汚泥とともに①

 時間は少し遡る。

 ショールらが湖へと出発したその入れ替わりに、馬車の一団がタロッソスの町に入った。禿頭の市長が太り気味の体を揺らしながら、その一団の中のひとりの少年を出迎える。

 その少年……、王太子テルセウスは微笑みを浮かべたまま市長の歓迎を受けていたが、ひととおりその言葉を聞き終えると、

「丁重な出迎え感謝する。でも、今回私は一学生としてここに来ています。特別扱いは不要です」

 そう言って、他の生徒たちに混じるように巨人の丘に向かって行った。



 丘で引率の教員から説明を受けた後、学生たちはふもとの公園をそれぞれに回っていた。

 市長たちはつかず離れず、王子のそばについてきていた。さすがに距離は取っているようだが。

 新聞記者などもいる。元々王室専属の記者たちが同行していたが、市長は地方新聞の記者を招いてもいたようだ。



「どうもあの市長、下品で嫌ですわ」

 長い金髪の女生徒が、離れた場所から市長を眺めていた。その傍にいる赤毛で大柄の少年が苦笑しながら、

「町を盛り立てろうと必死なんだろう。この辺りは陸の孤島とか言われてるくらいだからな」

 そこにひとりの小柄な女生徒が、亜麻色の短い髪を揺らしながら小走りにやってきた。

「ねえねえこれ見て」

 その手には、銀色の仮面がある。

「博物館の売店で買ったよ。エウメロスの顔のお面なんだって。表面に青銅を使ってるそうだよ。青銅でも錫の割合が多いと、こんな色になるんだって」

 人間の顔そのままの造形で、目の部分にのみ穴がある。

 その元になったらしい銅像は、広場にある噴水の中心に立ち、神犬ファティアを従えて、円盾と槍とを手にしていた。


「紐とか使わなくても、顔にくっつけるだけで落ちない付呪がかかってるんだってさ」

「無駄な技術を……」

 少年は呆れて言ったが、ふとその面を見て……。

「テオに似ているな」

 ほろ苦い顔をした。

 金髪の少女も、太陽のように笑っていた亜麻色の髪の少女も、神妙な顔になった。

「そうだね、子孫だもんね」

 亜麻色の髪の少女は、手に持つ仮面を見つめて、少し悲し気な笑みを漏らした。

「テオは今、銀月の氏族の使用人になっていると聞いているが……」

 赤毛の少年は金髪の少女に尋ねた。

「そうですわね。カシア様のお話では、銀月の聖戦士……、元の許嫁の方にお仕えしているとか」

「ねえ、それって、銀髪で背の高い、すごく綺麗な人って噂だよね」

 亜麻色の髪の少女が言う。

「そうですわね、銀月の女戦士たちは、その名の通り、銀月のような髪を称えられ……」

「それってあの人じゃない?」

 亜麻色の髪の女生徒の視線の先には、王太子の一団に歩み寄るタロッソスの聖戦士の姿があり、その中に帽子を抱えるリディアもいた。


 タロッソスの聖戦士長の挨拶を受けたテルセウスは、その青い目をリディアに向けると、

「リディア、久しぶりだね。ところで君はショールの……、別の任務があったはずじゃ……」

 言いながら、リディアの張り付いたような笑顔を見て、何か察したようで、

「ああ、なるほど……」

 それ以上何も言わなかった。リディアは敬礼し、

「わたくしも警護に加わります。ご安心して勉学にお励みください」

「ああ、わかったよ」

 苦笑した笑みは、年相応の少年のものだった。


 リディアは王太子のそばにいる婚約者のセレネの、さらにその隣にいる黒髪の少女に目を向けた。彼女はリディアの姿を目にした時から、何か言いたげな顔で、そわそわと落ちつかない様子を見せていた。

「あの、リディアさま……」

 その少女はリディアと目が合うと、小走りに駆け寄ってきて、声を潜め、

「お久しぶりです、リディア姉さま……。あの、テオ兄さまは……」

 リディアは優しい目を向け、

「タロッソスにいますよ、カシア。今は別の任務についています」

「そうですか……」

 その少女、テオの妹カシアは、悲しいような、どこかほっとしたような表情を見せた。

 リディアは顔を寄せると声を低く、

「テオも気まずいのよ。あなたたちにどんな顔をしたらいいのか分からないと言っていたわ」

「そんな、むしろ私たちこそ……」

「とにかく時間をあげて。落ち着いたら私も間に入ってあげるから」

「はい……」

 その会話を最後に、リディアたちは王子たちから離れ、警護に入っていった。


 それを見送るカシアのもとに、弟のイリアスが寄ってくる。

 彼は不安げに姉を見上げると、

「カシア姉さん、リディア様はなんて……?」

「テオ兄様が、私たちに合わせる顔がないって……」

「そんな、テオ兄さんは何も悪くないのに……」

「そう、悪いのは私です」

 静謐な顔で、王大使の婚約者、セレネが入ってきた。

「あの決闘騒ぎは私が原因でした。テオが退学になったのも、私が……」

 そこに王太子テルセウスも歩み寄ってきて、

「三人とも、その話はどこか別のところでしよう」



 彼らは博物館脇にあるテラスに移動し、テーブルを囲んだ。周囲のテーブルにも他の学生たちがいる。

「そうか、テオが近くにいるのか」

 赤毛の少年がため息のように言った。

「あいつに、あの時の謝罪をしてなかった。会えるなら、いい機会かもな」

 何人もの学生たちが、同調するように視線を下げた。

「アイアス様、皆様も……。あの時は明らかに……、何か、おかしな力が働いていました。実際、殿下が学院にお戻りになり、神官の方をお連れした途端に、全てが嘘のように消え去ったのですから。あれは、皆様のせいではありません」

 テオの妹、カシアが、目の前の茶に視線を落としながらつぶやくように言った。

「それに、兄のことは……、退学はきっかけに過ぎません。結局のところ、私の家の……、家庭の問題なのです」

「それはそれで、私たちも彼に謝罪しなければならないんですよ」

 眼鏡をつけた、怜悧そうな男子生徒が言った。

「私たちはあの時、彼にひどい言葉を投げつけ、決闘の後まで彼を罵り続けてしまった。退学がただのきっかけだとしても、そのきっかけを作ってしまったのは間違いなく私たちなんです」

「それさ、前から疑問だったんだけど」

 亜麻色の髪の少女が手を挙げた。

「誰かが決闘騒ぎを学院に告げ口して、テオを追放させたんだろうけど……。それ、誰も覚えがないんだよね」

 生徒たちはそれぞれ顔を見合わせた。

「決闘って、学院はずっと黙認していたはずだよね。今もたまにあるし。よっぽど大きな家か、それか大勢で圧力かけるくらいじゃないと、学院も動かないんじゃない?」

 生徒たちは沈黙した。


 その沈黙の中で、テルセウスが気づく。

「……地鳴り?」

 かすかな揺れと、音とが聞こえる。

「あらやだ、地震かしら……」

 金髪の女生徒も気づき、生徒たちは落ち着きなく頭を動かした。


 そのころ、公園の噴水が止まった。噴水の水場で遊んでいた子供が、中心にあるエウメロスの銅像をいぶかしげに見上げた。

 同時に、公園に流れる小川の水量が増えた。そして、インクを流したように泥色が混じり、染まっていった。


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