従士の帰還①
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9年前。
その男は、呪われていた。それも、ひとつやふたつの呪いでない。6つの呪いが男の心身を蝕み、獲物として奪い合っていた。
男の右腕には、ヤドリギのような植物が根を張り絡みついていた。それは蛇のように、ヒルのようにうごめきながら、男の命を吸っているようだった。
同じように、男の胸から腹にかけて、無数の小さな花が寄生していた。その様は一見すると衣をまとっているかのように見えた。その極小の花畑は男の肌から生えて、色を変えながら散っては咲いていた。
男の左肩では、猿に似た禍々しい獣の頭が、その牙を突き立てていた。頭のみ、それも上あごから下を切り離されているはずなのに、その目は今なお生きているかのように怨念に満ち、残された牙を男の肩に食い込ませ、その血をすすっているように見えた。そしてその頭から伸びた長く白い毛が、肩から背中にかけて、まとわりつき、張り付いていた。
男の右の脇腹には、円環型の琥珀飾りのようなものが引っ付いていた。いや、引っ付いているというより、皮膚に同化して、男の体に潜り込んでいるようだった。そしてそこから蜂が飛び出し、近づくものを威嚇している。琥珀の中には無数の芋虫……蜂の幼虫であろうが……、それが身をくゆらせていた。
左の脇腹には、短刀が刺さっていた。何の装飾もない木の柄で、少しだけ見える刀身は赤みを帯びていた。そしてこれも、男の皮膚と一体化して見えた。
その両の足首には、赤と青の三角をかみ合わせて帯とした刺青が、ぐるりと巡っていた。そしてその中……、男の皮膚の中を、何かがうごめいていた。細長い、蛇のような、あるいはそれに似たウナギのような魚だろうか、男の皮膚の中で泳いでいた。
そして、その6つの呪いとは別に、奇妙なものが男に取り憑いていた。
男の左腕……。前腕に、紐のようなものが巻き付いていた。よく見ればそれは非常に細い鎖だったが、それが男の腕に絡みついてぶら下がり、その先には手のひらほどの鏡が括り付けられていた。
6つの呪いは、いずれも男の命を吸っていた。そして、男に悪意を持って近づくものがいれば、獲物を奪われまいと襲い掛かった。
ツタは蛇のように絡みついて人の骨をへし折り、花が放つ粉は幻覚を見せ、蜂は大群となって飛び出した。魔法による拘束を行おうとすれば、腹に刺さる短剣が赤く怪しく光ってそれを無効化し、破壊した魔法を通じて術者の心身をも切り裂いた。
男は壊れて正気を失っていたのだろう。食うことと寝ることしか頭になく、あとは糞尿を垂れ流すだけの呆けた獣のようになっていた。伸びるままにした髪の中で黒眼は虚ろに見開かれ、半開きの口から洩れた涎が髭を汚していた。
それでいて、突然何かに気づいたように顔を上げ、唸りながら這い出そうとすることもある。男の首には鎖がかけられていたが、それが喉を絞めても狂ったようにもがく。
蜂やツタを警戒し、防具で身を包んだ者たちがやってきて、遠巻きに鞭で打擲されても、男に絡みつく獣の毛皮が伸びて男をくるみ、それを防ぐ。水攻めにしようとした者がいたが、足の刺青がその色を鮮やかにすると、逆に水を操って、首の骨が折れるような水流を顔面に飛ばしてきた。
男を捕らえた者たちは、彼に対して悪意を持たない者……。彼と同じようさらわれ、捕らわれた者たちを使って、彼の世話をさせることにした。
彼は生贄だった。
他の多くの者に先んじて、最初に、魔女の潜む忌まわしき沼へと捧げられた。
その時のことだった。油に火をつけたがごとく、沼に白い炎が吹き上がった。
その光と魔女の悲鳴の中で、男は生まれ変わった。
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入国管理官が目を落としているのは、向かいに座る男の、魔法に関わる証明書だった。
1、伸び縮みする杖
2、色と大きさ、形が変わる外套
3、大きさが変わり、小さな花が咲く布
4、魔よけの小刀
5、水の上を歩けるようになる入れ墨
6、蜂が出る琥珀飾り
7、魔力を変換する鏡
これは男が持つ魔法の道具について記したもので、ここヨレン王国が発行したものだ。
男は、壁に貼り付けられた白い布に、その右手人差し指の指輪から放つ光を投影していた。
『ショール・クラン ヨレン王国名誉従士 テルセニア大学会員としての身分を証明する』
それは男の学者としての身分の証明だった。
鑑定する部下が、間違いないとうなずく。
「ありがとうございます。印章、たしかに確認いたしました」
官吏の言葉に、男は指輪の光を消した。
その投影には、ヨレン国王と、その叔父たるテルセニア大学学長の署名がついていた。
官吏は内心に気後れを感じているが、つとめてそれを表に出すことなく男に接していた。
やりづらいと思うのは、その男の身分に王の保証があるからというだけでなく、男の持つ雰囲気にもある。
旅の汚れはあるが、身なりはそれなりに整っている。髭も剃られ、少々癖のある黒髪にも多少の手は入っているようだ。物腰は穏やかで言葉には知性も感じられる。紳士的であると言っていい。しかし、あまりにも落ち着きすぎている。まるで、感情が欠落しているかのように。
幽霊のような……、そうでなければ、機械のような……、どこか異物じみたものを、官吏はその男に感じていた。
それでも官吏は恭しく接する。
「無礼をお許しください、従士ショール」
一部の氏族を除き、長く家名というものが一般的でなかったこの国では、敬称や役職をファーストネームに付けることが多い。
「何分、このところ物騒な事件が続いておりましてな……」
「謝罪は不要です。あなたの職務は理解しているつもりだ」
男は、仮面のような無表情で口を動かした。浅黒い顔の中で、黒眼は瞬きこそするものの、ガラス玉のように感情が見えない。声もまた無機質さを感じさせる平坦なものだが、不思議なくらいはっきりと耳に響くものだった。
ここは黒海の西岸にある、ヨレン王国。
はるか昔、エーゲ海を望むエルゲの地にあった都市国家のひとつが、戦乱から逃れて建てた、古き王統を伝える小さな国。
この町は、そのヨレン王国の西の国境の町。国の境を縁どる大河ダウのほとりの町だ。中州を跨いで300メートルにも及ぶ大きな石橋を渡れば、西隣のトルキア王国となる。
西から陸路でヨレンに入国したショール・クランは、国境検問所の応接室に通され、身分の照会を受けて今に至っていた。
「それでは、私はもう失礼してよろしいだろうか」
「いや、お待ちを」
官吏は右手を挙げて止めた。
「実はあなたの入国は、しかるべき所に報告するよう、通達されておりまして」
少々言いづらそうに口にした。
すると、
「ああ、聖戦士が来ますか」
ショールは抑揚なく応じ、官吏は鼻白んだ。なぜ聖戦士と言いかけたところで、再び彼の魔法に関する証明書に目をやると、彼個人の魔法として「精神による洞察」とあった。
「失礼ですが……、読心術をお使いになられますかな」
「ちょっとした勘です」




