巨人の禊場
「やあ、君がテオか。うわさは聞いているよ。なるほど、いい男じゃないか」
テオに会うなり、バイアンは朗々と声をかけた。
テオは少々うろんげな顔で、
「噂ですか? どんな……」
「俺の妻が、リディアの姉弟子でな。君のことはよく耳にしたよ」
悪意なき、陽の光のような笑顔で言われると、テオの顔の影もしぼむしかない。
「中々いい弓を持っているようだな」
これはアレコスがテオにかけた言葉だ。彼はテオの弓に興味を持ったようだ。
ショールはアレコスを紹介したが、
「テオ、アレコスの父君は魔法道具の研究者で、彼自身も、根っこは軍人と言うより、見た目通りの技術屋だ」
「は、はあ……」
見た目について言及されたせいか、アレコスは少しむっとする顔をした。
「ただし、天性の精神感応がそうさせるのか、魔法道具の操者という点で、非常に優れたバトルメイジでもある。直観力がもたらす反射も相当なものだ。頼りになる」
アレコスは小さくため息をついた後、
「早速だが同行を頼む。湖までの道は……」
「分かります。お任せください」
それからアレコスは、テオのそばで興味深げに自分たちを見る、走竜のフォルスに目をやり、
「走竜か……」
少し彼女の顔を覗き込みながら
「強化馬具、使えそうかもな」
「強化馬具、ですか?」
「ああ、馬用の身体教化装備だ。俺と父とで試作した。予備があるから、彼に……」
そこでフォルスは怒ったように吠え、アレコスは思わず飛びすさった。
ショールが淡々と言う。
「アレコス、彼女はメスだぞ」
テオは馬具をつけてもらったフォルスに騎乗し、アレコス、バイアンに、ショールもそれぞれ馬に乗った。ショールの乗る馬は、神殿で借りたものだ。
「お前、馬に乗れたのか」
意外そうにアレコスが言うと、
「馬に乗るというより、馬に乗せてもらってる」
午前の9時を回るころに3人は出発した。それより早くリディアとタロッソスの聖戦士らは神殿を発ち、キモンとギデオンはショールらと同時に倉庫街に向かっていった。
ショールらは丘を回り込み、森に向かう。
「薪などの森の資源を取るための小道があります。そこから湖に向かえます」
テオが先導する。その鞍の道具袋には、ファティアも頭と前足を出し、前方を見つめていた。
「君はあの森にも詳しいのか?」
ショールが尋ねると、
「詳しいというほどではないですが、何度かフォルスと一緒に入ったこともあります。フォルスは一度通った道は忘れませんので、たとえ俺に記憶違いがあっても、フォルスに任せれば大丈夫です」
フォルスもそれに応えるように力強く鳴いた。
テオはそんなフォルスの首をなでる。
「調子よさそうだな。中尉アレコスどのの馬具のおかげか?」
フォルスは元気よく鳴いた。鞍のほか、首や後ろ脚などに、見た目は魔法の道具と思えないような、革鎧のようなものが取り付けられている。
小川で仕切られた先に、木々が壁を作るように密集していた。入ってみると、かなり鬱蒼とした森だった。傾斜もあり、緩く上り坂が続く。
森の中の一本道を、一列になって進む。10分としないうちに、湖畔にたどり着いた。
かなり大きな湖だった。その周囲はほとんど崖で囲まれている。
「なるほど、かなり匂う」
下馬して崖の淵に立つと、水の腐った臭いがする。その水を受ける崖も、ヘドロのようなものや、それが渇いた跡がかさぶたのようにへばりついている。
「確かに、人が掘った穴に水がたまったようにも見える。それにこの水質……。閉鎖された湖でも、普通は自浄作用があるものだが……」
つぶやくショールの横に、アレコスも並び、
「お前がこの湖に嫌な予感を覚えるのが分かったよ。青灰の湖で奴に遭遇した時と、似た気配を感じる」
それからショールは湖をめぐる湖畔を見渡し、ある一点でその視線が止まる。
「アレコス、バイアン」
「ああ」
そこは、丘のちょうど裏手だった。
見えるのは、何かが木々を押し倒した跡だった。
4人は湖畔の崖に沿ってその場所に向かった。
湖に向けて倒れた木々で、一直線に道ができていた。明らかに何かが木々を押し倒しながら進んできた形跡だった。
バイアンがそれを眺めて眼を鋭くした。
「奴だな。かなり大きく、そして重くなっている」
「ここから湖に入ったと見るべきか」
ショールは地面に残る足跡らしきものを辿る。湖の崖の淵で途切れていた。
その足跡を見て、テオは瞠目した。形だけなら鳥のようにも見えるが、
「これは……。フォルスなどよりはるかにでかいですよ。土へのめり込み方から見ても相当な重量だし、それにこの爪の食いこみ方……。大寒期に絶滅したはずの暴君竜か何かですか?」
テオだけが、鉄の竜のことを耳にしていなかった。
「ティラノサウルスのほうがましかもな」
ショールは湖を見下ろす。
そしてフードの下で、ぴくりと眉を動かした。
「三人とも武器を取れ」
その低い声に、みな瞬時にして全身に緊張をめぐらし、武器に手をかける。
テオがフォルスや馬たちを下がらせる一方、アレコスとバイアンが近づくと、ショールは低く、
「湖だ。何かいる」
「ああ、俺も感じる」
ショールのその言葉ののち、耳が痛くなるような静寂がひと呼吸ほど流れる。
突然、湖の中から杭のようなものが飛び出した。それはアレコスの胸目掛けて矢のように飛んできた。
「……」
すぐに反応して身構えるアレコスの前に、バイアンが躍り出て、手に持っていた剣の柄から水晶の刀身を放ち、それを斬り下げた。
火花と甲高い音とともに両断されたそれの先端は、小気味よい音とともに後方の倒木の幹に刺さり、後ろ半分は地面に転がった。
「魚……?」
それを見たテオがつぶやく。
黒鉄で身を覆った、細長い魚のようだった。その口には鋭利な四角錐の、槍の穂先のようなものが取り付けられている。
「カワカマスをいじったな。魚をリビングデッドに仕立てて、機械と付呪で強化したか」
ショールはそれの下半分を拾い上げた。そのほとんどが機械化されているように見えた。
「水流船の噴出口みたいなものまでついている。人を刺し殺すことに特化させたようだな」
「おいショール、のんきに見ている場合じゃなさそうだぞ」
バイアンは湖に向けて盾をかまえ、アレコスはその後ろで銃をかまえた。
槍のような魚が、湖から立て続けに飛び出してきた。
キーンと鉄を鳴らしたような発砲音が立て続けに響く。最初の2匹をアレコスは銃で撃ち落とし、バイアンは盾の力場を展開して、力場を使って次の3匹をまとめて殴り飛ばした。
続けて飛んできた6匹目は、テオの放った矢で撃ち落とされた。
バイアンとアレコスははテオに顔を向け、
「やるじゃないか!」
「いい腕だ」
「どうも……」
一拍置いて、また何かが湖から飛び出した。
今度は扇のように平べったい魚が飛んできた。ただしその身は縦に割れ、丸型のノコギリがはめられていた。そのノコギリはうなりを上げながら高速で回転している。
さほど大きくはないその魚が、5匹ほど一斉に襲い掛かってきた。
バイアンはそれをパラスの力場で全て受け止めた。
その魚の回転するノコギリは、力場に噛み付いてそれを切り裂こうとしたが、テオが弓を引き絞るより早く、アレコスの銃が立て続けに三匹を撃ち抜き、同時にバイアンの剣が閃く。
甲高い音ともに残りの魚たちは真っ二つになって地面に落ちた。
テオは内心舌を巻いていた。
アレコスはアレコスで、誰よりも襲撃に対する反応が早く、その射撃の正確さも完璧なのだが、剣の嗜みがあるテオとしては、それ以上にバイアンの技に目が行く。
(この人の剣技は、俺なんかがとても及ばない領域なんじゃ……)
盾の使用を前提とした剣術で、サーベル剣術とは違うが、その剣閃の鋭さは、テオをして目を見張るものだった。そのうえ、
「鉄ごと両断するなんて……」
「武器がいいんだ。あいつが提供した素材を用いたものだしな」
言いながら、バイアンはショールに目を向けたので、テオは思わず「えっ」と声を漏らした。
そのショールは、半分になって地面に転がったノコギリ魚の前でしゃがみ、
「タイの仲間か? どう見ても淡水魚じゃない」
その淡々とした様子に、アレコスは少々苛立ったようで、
「おいショール、少しは手伝ってくれないのか」
弾を詰め替えながら声を投げた。彼の小銃は、五発の装弾数らしい。単発銃が主流のこの時代では、かなり進んだ装備に見える。
「機械だの銃器だのの相手は苦手なんだ。防ぐ手立てがあんまりない」
ショールはノコギリ魚を投げ捨てた。
(く、くくく……)
その時、どこからともなく女の声が響いてきた。
その声に聞き覚えのあるアレコスとバイアンが身構える。
「湖だ」
淡々と告げるショールの言葉に、アレコスらは崖の縁に立って水面を見る。
(おう、どこかで見た顔じゃのう)
あざける響きとともに水面が波打ち、やがて女の顔を作った。
「貴様、生きて……!」
バイアンは、柄を握る手に力を込めた。
アレコスらが青灰の湖にいたる森で遭遇した、かの「沼の女」の顔だった。
かつてと同じ、人形のような顔の中、口の部分だけが動いて、声を発する。
(いやいや、くたばったよ。そしてクレトスの親爺に魂を食われて、今やあれに仕える身さ。そして命令を与えられている。追ってくるうっとうしいハエをたたきつぶせ、とな)
そしてその口が、不気味なほど丸く大きく開く形になる。
水面に形作られた女の口から、槍のような魚とノコギリ魚が同時に何匹も飛び出してきた。
「ぐ……!」
それはバイアンの盾の力場に食い込んだが、先ほどと同じように動きが止まったところをバイアンの剣にかかり、アレコスの銃、あるいはテオの弓に次々に射抜かれた。
女の哄笑が響く。
(ファファファ……。まだまだ球数はあるぞえ。あの親爺の弟子が用意した鉄くずから、適当に作った代物じゃ。くたばった弟子どもの魂を10かそこらにちぎってぶち込んで操らせておるのよ……)
アレコスが装填済みの弾薬を破棄し、かつて竜を傷つけた弾薬を取り出す。それを淡く光らせ、素早く装填する。
女の顔に向けて発砲した。それは白い閃光を発して水面を大きく揺らしたように見えたが、
(おうおう、びっくりしたのう。今のがクレトスの親爺の言っていた妙な武器かの)
水面はすぐに、女の顔に戻る。
「く……」
(あの親爺は困らせても、死霊を消し去るほどの力は……。いや、ちょっと待て)
女の笑いが止まった。その目も、わずかに見開かれる。
(ちょっと待て、なんだその男は)
アレコスらの横に、ショールが進み出ていた。アレコスらも思わず彼に目をやる。
「機械や銃だのは苦手だが、こういうのの相手は得意だ」
ショールは、腰の短刀を抜いた。
女の顔がひしゃげた。絵画の中の、踏みつけられた悪魔のような、禍々しく憎悪に歪んだ顔に変わった。
(なんだ、その陽光のごとき剣は!)
テオが見る限り、その短刀は、おそらく東洋のものであること以外なんの変哲もない、片刃の直刀だった。
「見えぬものを断つ守り刀だ」
そう言って、ショールは女の顔に、無造作に短刀を放り投げた。
(キイイイイ……!!)
甲高く、鼓膜を引き裂くかのような女の叫びが響いた。
女の口から、腹部が大きく膨らんだ大きなナマズが飛んできた。
それに対し、ショールの杖が伸びた。杖はナマズに巻き付いて、飛んできた湖に向けて投げ返した。
ナマズと短刀が、同時に女の口に飛び込む。
水面が爆発した。
(ギャアアアアア……)
その飛沫がバイアンの盾の力場にかかるときには、女の叫びは遠く消えていった。
ショールの杖が、釣り糸を戻すがごとく主の元に縮む。その先端に、湖に投げた短刀が巻き付かれてあった。杖は、ショールがかかげた鞘に短刀を戻すと、元の杖に戻る。
飛んでくる魚はもういない。爆発が落ち着くとともに、静寂が戻ってきた。
ショールは無防備なほど何気なく湖畔に歩み寄り、崖の上から湖を見下ろす。
泥色の水面に女の顔はない。
「やったのか?」
アレコスがショールに尋ねると、
「あの女はな。マガファの苦しむ地獄に向かっただろう」
「他に何かいそうか?」
バイアンが湖を警戒したまま問う。その手の剣は、刀身を伸ばしたままだ。
「少なくとも今は、大きなものが潜む気配はない。だが……」
ショールは背後の木の幹に杖を向けた。杖は伸びて木の幹に巻き付き、同時にショールの体にも絡みついて固定する。
「ちょっと行ってくる」
杖がくねり動いてショールの体を浮かし、湖へと運ぶ。水面にショールの足がつくと同時に杖はショールの手元に縮む。
ショールの立つ水面は彼を中心に円形に大きくくぼんで沈み、空気の玉を作りながら、ショールを湖の中に導いていった。
(アレコス、バイアン、テオ、聞こえるか)
その姿が見えなくなると、すぐにショールの念話が届いた。
(聞こえるぞ、ショール)
(……ああ、問題ない……)
アレコス、バイアンが念話で答えた。ショールほどの強さではない……特にバイアンの声はささやきに近いが、それはテオの心にも聞こえた。彼らにも念話の素養があったようだ。
テオは困ったように目を泳がせた。
(ああ、すまんテオ。心の表層で言葉を強く念じてくれ。それで私には聞こえる)
強く念じる。テオは息を止め、叫ぶ気持ちで、
(これでいいですか!)
(そこまで力まなくていい)
(そうですか……)
(ああ、それで聞こえる)
ややあって、
(視界はほとんど通じないが、かなり深いな。底に溜まっている泥も相当な量だ。杖で探った感じ、底なしかと思える)
ショールから念話が入る。
(湖のことより、鉄の竜だ。奴の気配はあるのか?)
少し苛立ちと呆れをにじませつつアレコスが念を送る。
(水そのものに強い瘴気があるから気配が読みづらい。だが、この地点を調べようとした途端に襲われたのは、何かあると思っている)
(何か、か)
(あの女は最初、君らを狙っていた。君らに追われていることを理解して、あれを用意したとしたら……)
そこにテオの思考が漏れてきた。
(攪乱……、いや、足止め)
(足止めか……)
その時、テオの視界の端に、小さな白い影が動いた。
「ファティア?」
「ん?」
ファティアがとことこと湖畔を歩き、その後ろを心配そうにフォルスがついている。
「おい、危ないぞ」
テオが声をかけるがファティアはそのまま進み、そしてある場所で立ち止まり、湖に向かって吠えた。
(今の声は、ファティアか?)
ショールの念話が届く。
(ええ、そうです)
答えながら、テオはファティアを抱き上げた。
(少し待て……)
アレコスらも馬を連れ、テオに追いつく。
「騒がせて申し訳ありません」
「いや……。それよりその子犬、ファティアと言ったか」
アレコスはまじまじと、ファティアの金色の眼を覗き込む。
「普通の犬ではない」
「従士どのもそんなことをおっしゃってましたが……」
その時、ショールから念話が届く。
(横穴がある)
(横穴?)
(水が濁っていて気づかなかった。湖の中で、かなり大きな横穴が開けられている。古いものではない)
そして、
(テオ、ファティアの吠えた場所から丘に向かって直進するとして、その先、町の中に何がある?)
テオとアレコス、バイアンは背後を振り返る。
(タロッソスの町のどこになるかは……)
そこに突然、
(巨人ノ右手)
念話だろうか。心に声が響いた。幼い少女のような声だった。
テオもアレコスらも、はっとして周囲を見渡した。
「聞こえたか……?」
「はい……」
それから三人は、まさかと思いながら、テオの腕の中の白い子犬に目をやった。
(アレコス、バイアン、テオ)
ショールの念話が届く、彼にしては緊張を含む低い調子のものだった。
(すぐに神殿に戻れ。私はこのまま穴を進む)
アレコスが念を送る。
(ショール、今、『巨人の右手』という声が聞こえたが……)
(ああ。まずいことになるかもしれない。アレコス、君らが追っている鉄の竜とやらの狙いはおそらく……)
はっとしたアレコスとバイアンは顔を見合わせた。ふたりはテオを目で促し、馬に飛び乗る。
急ぎ走らせながら、アレコスは通信機を手に取った。
「キモン、聞こえるか! 奴の狙いは巨人の右手だ! 地下を進んで神殿に向かっている! すぐに戻れ!」
通信機で指示を出す。
その通信中に、フォルスに乗ったテオが追いつく。それまであえて何も聞かずに従っていたテオだったが、たまらず声をあげた。
「バイアン卿! 一体何が起きているのですか……!? 神殿に何が向かって……」
神殿には、テオが幼いころから親しんだ人々がいる。
バイアンはテオに厳しい視線を流し、
「鉄の竜……。暴君クレトスの魂が宿った、鉄の怪物だ」




