テオの物語②
神官長は笑みを消して、肩でため息を吐いた。
「ディノスが私の所に怒鳴り込んできたあの日、奴の目は何かに取り憑かれているように見えました。彼の心は、パラスを使いこなすための気高さを失ってしまったのでしょう。彼は失意のうちに盾を置くことになり、何もかもどうでもよくなったそうです。そしてその原因を娘夫婦のせいだとこぼしながら酒におぼれる日々を過ごしたとか」
いずれにせよ、娘夫婦との折り合いは悪かったそうだ。
「その後孫が……、テオが生まれたことを機に、ディノスは立ち直り、孫を連れてここに来るようにもなりました。その時には憑き物が落ちたようにすっかり気性も丸くなりましたが……」
神官長は多少言いづらそうにしていたが、
「テオが10歳のころでしょうか。ある時突然、奴がここにひとりでやってきましてな……」
その時テオの祖父は、一時酒に溺れたことが影響したのか病に侵されていたようで、すっかりやせ細り、往年の気力も失っていたそうだ。
「奴は私に相談しました。娘夫婦が、孫に……、テオに、冷たく当たっているようだと」
「……」
「ディノスの娘は、父親が跡継ぎに武の道を望んだように、自分の子に対し魔法や学問といった、文の道に進むことに執着していたそうです……。ところが長子のテオは、学問よりも武芸に惹かれる活発な子でした」
さらには、テオには妹と弟がいたが、そのふたりは魔法の才覚に恵まれ、おとなしく優等生な気質もあって、両親の関心はすっかりそちらに傾いてしまったのだという。
「それに彼の両親は、折り合いの悪い父親によく似た長子を愛しきることができなかったとも聞いております」
それから神官は台所の方に顔を向け、
「確かに彼は、若かりしときの祖父ディノスによく似ております。非常に整った顔立ちもそうですが、立ち居振る舞い、その雰囲気も……」
ディノスは元々自分に似たテオを、殊更に可愛がっていたそうだ。走竜のフォルスも、ディノスが聖戦士時代に乗っていた走竜のひ孫に当たるそうで、子竜のころにテオに与えられ、ともに育ったという。
しかし、そうしてテオが祖父から何かと気にかけられていることも、両親は面白く思わなかったという話も、神官長は耳にしたそうだ。
「テオがイスロ学院に入学し、寮に入って親元から離れて間もなく、ディノスは病で亡くなりました。それからテオは、学院から帰省するときも、ほとんど実家に居つくことはなかったようです。この神殿にもフォルスに乗って頻繁にやってきました」
テオは両親についての不満は一切漏らさなかったそうだが、親との折り合いはやはり悪かったようだ。
ここまで聞いて、ショールは口を開く。
「テオの父君はあなたの甥とのことだが、テオについて話したことは……」
「あいつは私がテオを気にかけていることを知っていますからな。避けておりますよ」
苦笑とともに言った。
「ですがテオの祖父が亡くなってから、一度だけ顔を合わせたことがあります。テオのことを話した途端に何やらばつの悪そうな顔をしたものです。あれ自身、息子との関係に悩んでいたのか……」
「私はテオの妹、カシアのことは知っています。少々気弱だが心優しく聡明な少女だった。あの子の両親が歪んだ人間とは思えない」
ショールの言葉に、神官長は黙ってうなずく。
「そうですな。テオの母も、元々はカシアと同じような気性でした。しかしながら、父ディノスの前では常に委縮し、言いたいことも言えないようにも見受けられました。結婚をめぐる騒動の時、溜まっていた父への不満、鬱屈した感情が爆発したのかも知れません」
そう言って、少し疲れたように椅子の背もたれに深くよりかかる。
「テオの祖母は、女医で医療魔法の研究者でした。負傷したディノスの世話をしたのが馴れ初めで……。まあ、ありがちな話ですな。テオの母が幼いころに亡くなり、残された娘にとっては憧憬の対象でした」
「テオの母君は、そんな亡き母の背中を追いかけたと」
「その通り。彼女が武事を嫌い、学問に固執するようになったのも、父への反発と、母への憧れが絡み合った結果かも知れません。そして大人しく見えて、頑固で意固地な面は父親から引き継いでしまったようで」
それから神官長は笑みを消し、長く息を吐いた後、
「思えばディノスが妻を亡くしたころ、あの阿呆は聖戦士として興した一家を盛り上げることに夢中になっておりました。つまり調子づいておった。功を立てることが妻への供養とか馬鹿なことをぬかして、悲しむ娘と向き合いもせずに逃げ回って……。そう、あの時からすべてがこじれていた……。いや失礼、口が悪くなりましたな」
神官長は笑みを戻して肩をすくめた。
「まあとにかく、ディノスの奴が娘との関係をこじらせたことで、テオとその両親との関係もまたこじれてしまった。私はそう思っております」
ショールは一拍の沈黙の後、
「テオは、エウメラディスの家を捨てたと聞きましたが……」
ショールが言うと、神官長は愁い気に眉をひそめた。
「そのことについてテオも何も言わず、風の噂でしか聞きませんが……」
そう断ってから、
「テオはイスロ学院で決闘騒ぎを起こし、学院を追放されておるのです。それがきっかけで両親から勘当されました」
「決闘騒ぎで?」
「私たちの若いころは珍しいことでもなく、退学に値するようなことでもなかったのですが、それも今は変わったのか……。とにかくそれによって、テオは家から追い出されたと聞きます」
「……」
それから神官長はほっと息を抜き、
「それを聞いた時は、うちで預かろうかとも考えたものですが……、まさか、かつての許嫁の家が彼を引き取るとは思いませんでした」
それを聞いてショールはぴくりと目を動かした。
「許嫁……? ひょっとして、リディア卿ですか?」
すると老神官は、温和な笑みをさらに広げた。
「ご存じなかったようですな。テオとリディア卿は、親同士が決めた許嫁でした。リディア卿の母君も、テオの両親とはイスロでの学友だったのです。ただ、リディア卿が聖戦士団に見出されて家を出たことで、婚約は解消されたのですが」
それでもテオはリディアと頻繁に文通を交わし、リディアの実家にもよく顔を出して交流を続けたことを、神官は伝え聞いたという。
「そうですか……」
それからショールは正門の方角に顔を向ける。
「ああ、聖戦士たちが戻ってきたようです」
そのころ台所には神官たちが集まって次々火打石を試していた。なかなか自分の番が回ってこないテオと、夕飯の支度を邪魔されている奉仕者の女性たちは仏頂面だった。
テオは正門の方から人の気配を感じた。聖戦士たちが戻ってきたようだ。
「テオはいるか?」
リディアの声が聞こえる。
「リディア卿、ここに」
テオが声をあげると、台所の入り口にリディアが現れた。竈の前に集まる神官たちに怪訝な顔をしたあと、テオに顔を向ける。
「こっちに」
リディアは台所の外にテオを呼び出した。腕を組み、少し目を泳がせてから、口を開いた。
「テオ、明日は私も王太子殿下の護衛に加わることになった」
それから少し声を潜めた。
「王太子殿下とともに、セレネ嬢や……、カシア、イリアスもいる」
「……」
それからリディアは巣の口調で、
「あんたどうする? 一緒に来る?」
テオは暗い顔で目を伏せた。伏せたまま、ふっと息を吐きだし、悲しい目で、
「いえ……。あいつらも、俺と会っても気まずいだけでしょう」
「……それでいいの?」
「今さら何を話していいのか分からないよ」
テオはほろ苦く笑った。




