巨人の町へ
森の中、道から離れた広場で、テオとリディアが木の棒を片手に向かい合っている。
体を開いた姿勢……、体を横向きにして自らの的を最小にし、棒の先端を相手に向け、空いた手は背中に隠すように回している。西方では現代剣術として最もよく使われる、サーベル剣術の構えだ。
まず、テオが踏み込んだ。
その剣筋の鋭さは、リディアの口元に浮かんでいた笑みを消すには十分で、彼女は二合、三合とさばきながらも後方に飛ぶように退く。
リディアが反撃の剣を突き出す。今度はテオが退く番だった。リディアの剣の圧は彼の剣をしのぐ。しかしテオも粘る。頭を狙うと見せかけて横なぎに切り替えた斬撃をさばき、背中を狙う斬撃を、背中に剣を回して防ぐ。
そしてリディアの隙を狙い、反撃に移る。
が、その一撃はそれまでにない力とともに受け流された。さらに、すかさずテオはその腕を取られた。
目の前でリディアがにやりと笑うのが見えたと思った次の瞬間には、テオの体は宙に浮き、ついで地面に叩きつけられた。
付呪付きの軍装を身に着けてなお息が止まるほどの衝撃を背中に受けた。
そんなテオの首元に、リディアの木の棒が添えられた。
「……おい、最後のは卑怯だろ」
「あら、何が?」
恨めしく見上げるテオに、リディアがいたずらっぽく笑う。
「聖戦士の装備の付呪を使っただろ。ものすごい力を感じたぞ」
「ううん、使ってないよ。でも、日ごろ身に着けてるルーンの身体強化は出ちゃったかな」
そう言って、リディアは木の棒を放り投げ、テオを引き起こした。
「まあ、実戦じゃ身体強化だの付呪がどうこうだの言ってらんないけどね」
リディアは笑った。テオは不満顔だった。
「だが、テオの腕前は相当なものだったぞ」
これを言ったのはショールだ。彼はふたりの模擬線の間、ずっと本に目を落としていた。今現在も面白そうにテオたちを眺めているフォルスの横で、切り株に腰かけ、分厚い歴史書のページをめくっている。
「身体強化や防具の付呪を除けば、剣の腕は君と互角じゃないか? リディア」
今度はリディアが少しむっとした顔をした。
しかし彼女は一息つくと、手をひらひら振って、
「ま、確かにこいつも小さいころから色々と鍛えられてきたからね。ちょっと腕を見るつもりが熱くなっちゃったかも」
彼女はテオに顔を向けて口角を上げ、
「今でも腕を磨いているみたいね」
「一応な……」
テオは目をそらし、
「でも、俺にはお前みたいに強化の魔法も使えなけりゃ、装備だって……」
その言葉に、リディアが何か言いかけたが、
「いくら魔法で体を強化したところで、元の素養がなければ宝の持ち腐れ、いや、時には害になる」
ショールが本に目を落としたまま口を開いた。
「たとえば、雷光の速さで動ける鎧があるとする。常人がそれを身に着けて、本当に稲妻の速さで動いたとして、速さに適応できるだろうか。止まり切れず、曲がり切れず、その辺の壁にぶつかってひっくり返るのがいい所だろう」
「ですが俺は、その魔法の才が……」
「鎧に付ける付呪にも様々なものがあるが、身体強化くらいなら、操るのに必要な才はない。せいぜい強度の調整が可能かどうかくらいだ。防具に体を強化されるだけだからな」
ショールは膝の上の本を読み終え、別の本を開きながら言う。
「君が送られた軍装の付呪は、精兵用のかなり強力なものではある。だがそれでも、多人数に支給されるものとして、ある程度の体力、技量の持ち主であれば誰でも使えるように強度を調整されている。君のさっきの剣の腕を見る限り、もっと強い付呪の武装にも十分耐えられると私は見た」
「……」
「まあ、それ以上強力な付呪を施した武具となると、所有にも法的な制約があるだろうがな」
そもそも、と、ショールは続け、
「ヨレンの聖戦士に匹敵する身体強化の遣い手など滅多にいない。特にルーンの聖戦士はな。敵として遭遇したら、まず正面からの白兵戦自体選択しないのが正解だ」
ショールはそこで、本からテオへと目を移し、
「君の剣の素養は相当なものだ。並の剣士を十分しのぐ。しかし、君にはそれ以上の武器があるはずだ。君には君の、リディアにはリディアの戦い方がある」
そう言って、再び本に目を落とす。
テオは、照れたような拗ねたような、複雑な表情を浮かべた。その横でリディアも、
「そう言われると、こいつを模擬戦に誘った私がバカみたいじゃない」
言いながら、唇を小さく尖らせた。
休憩の後、ショールはフォルスの車に乗り、街道に戻る。目指すのは南、タロッソスの町。
「タロッソスは、ここから2時間ほどで到着します。昼前には着くでしょう」
テオはそう言い、手綱を取った。
ショールは車に揺られながらも、本を読み続ける。
「ほんと、飽きずによく読むわね」
「必要と感じるなら、いくらでも」
ショールは本をめくり、
「私はこれまでヨレンについて、漠然とした歴史しか知らなかったことがよく分かった。ヨレンがなぜ、エルゲを追われたのか、その具体的な流れも」
ヨレンは戦火に追われてエルゲからこの地に流れた、そうショールは聞き及んでいたが、
「ヨレンがまず、エルゲの地で積極的に他国を侵略した、という史実を、知らなかった」
古代エルゲは西方文明発祥の地と言われ、大小の都市国家が覇を競っていたとされる。ただし彼らは共通する神話と文化のもと、先祖を辿れば同じ血筋に行きつくという同胞意識も持っており、独自の国際秩序を有していた。たとえ戦争となり相争っても、必要以上に血を流すことは避けたと言われる。
「その中でヨレンは、非常に好戦的な国となっていた。それまで暗黙のうちに忌避されれていたような、情け容赦ない行為を戦士のたしなみとし、他の都市国家から恨みと買うとともに危険視され、遂にはエルゲを追い出された……」
ショールはページをめくる。
「悪神マガファを、戦神として祀る、か。あながち間違いではないが」
「ちょっと、聖戦士の前でそんなこと言う?」
リディアは抗議したが、
「そもそも戦争というもの自体、神々の本来の倫理から外れたものだ。マガファくらいじゃないかな、はっきり戦神と言えそうなのは」
その神々に仕えつつ武器を持つリディアは、ちょっと不服そうに、
「まあ、確かにそうなんだけどさ」
ショールは本に目を落としたまま、
「マガファという神も、古くから二つの性質を指摘されている。欲と毒を司る、悪しき神。もうひとつは、停滞する世界に変化の道をもたらす神」
この神は世界が始まってすぐ、「飢え」を作った。飢えは弱肉強食を生じさせ、戦いと死を生み、神々は救済のために、豊穣や出産を創った。それにもマガファは富をめぐる戦争や性欲といった「毒」を与えるが、神々や人間は、それに対抗する手段を編み出し、世界は今の形になっていったという。
「まあ、神学の話は置いておこう」
ショールは顎に手をやった。
「暴君クレトスと言う人物も謎が多い」
この地に移り住んだヨレンの人々は、先祖から続くそれまでの自分たちの歴史を忘れないよう、文字盤や壁画などに積極的に歴史を刻んだ。それは後に紙の普及に合わせ整理され、残されていくのだが、
「このクレトスは、当時から出自のよく分からない人物だったようだな」
「古代なら、魔術師と言うだけで、都市国家の王に目通りかなったとも聞きますが」
テオが後ろから声をかけてきた。
ショールは別の本を取り出し、しおり紐を引っ張った。
「英雄エウメロスか」
青銅巨人に取り込まれ、それを乗っ取って、暴君クレトスを倒したという英雄。
「青銅巨人の話だけでは、どこが英雄なのかいまひとつ理解できなかったが……」
この英雄は、歴史の人物と言うより伝説の人物に近い。
「クレトスが破れて後、この人物はヨレンというより、アマゾネスの諸氏族の間で大いに持ち上げられたようだな。しかも、時代が下るごとにその話は大きくなっていったようだ」
「私のご先祖様のルディーンと恋仲だったなんて話も残ってるけど、似たような話は他の氏族にも残ってるのよね」
リディアが横から言った。
ショールはページをめくる。
「数多ある彼の記録から、歴史家が史実と思われるものを抜き出し整理している……。まず彼が、ヨレン王家に連なる家の出身で、優れた戦士であったことは間違いない」
彼だけでなく、その兄も「狂犬」と恐れられた人物だったようだ。
「彼はエルゲの都市国家世界を見渡しても、指折りの優れた戦士として知られ、尊敬を集めた。王女キオネーを妻に向かえられたのも、都市国家が集う競技祭典で、大いにヨレンの名を高めたからだとも伝わる。だが……」
彼は、好戦的な当時のヨレン国内においては、平和主義的な人物として白眼視されていたとも伝えられる。
「残酷さを勇気ある行為とする古代ヨレンにおいて、彼の気高さや寛容さは軟弱ととらえられた。競技祭典のレスリングの試合で、相手を殺さなかったことを父親に責められた逸話もある、か」
彼が家族と折り合いが悪かったのは確かだったようだ。これは当時の記録にも残っているらしい。
ショールはふと、何かに気づいたように顔を上げた。
御者をするテオの顔が、にわかに曇っていた。
たしか彼は、「いろいろあって家名を捨てた」と言われていたか。
わずかな沈黙に斬り込むように、リディアが口を開く。
「だけど、そんな気高い人物だから、神犬ファティアが従ったとも言われているよ」
神犬ファティア。悪魔の災いに悩まされたヨレンに、雷神ヤルハが授けたという神犬の末裔。雷神の力を残す、ただ一頭の犬だったという。
ショールは別の綴り紐を引く。
「その力を求めて多くの者がファティアを従わせようとしたが、彼が尾を振ることはなく、力ずくの手には稲妻を放って抵抗した。その神犬がただひとり従ったのが、英雄エウメロス」
エウメロスが神犬とともに怪物を退治した、などという話も多く残されている。
その姿は雪のように白い毛並みに覆われ、目には稲妻が走っていたという。
「古代ヨレン崩壊の後、エウメロスもファティアも、落ち延びたヨレンの老王に従い、この地にたどり着き、そしてクレトスと対峙する……」
ショールは本をしまい、ヨレンの簡易的な地図を広げた。
当初の目的地だったルデリアは北東にあり、ほとんど逆の方角に向かうことになる。
「古代ヨレンの代官を務めたクレトスという男は、このタロッソスの町を拠点にしたということだったな」
ショールは地図を指さしながら、誰にともなく訪ねる。
リディアが応じた。
「そうだけど、何?」
「なぜ、ここを拠点にしたのかと思ってな」
まず、海から遠い。古代において、エルギアにあった本国とこの地の間を行き来するのに、おそらく海路を使っていたのだろうが、それなら海に近い場所に拠点を設けそうなものだ。
「海から川を遡上するなら分かるが、近くに目立った河川もない」
付近の大きな川だと国境を流れる大河ダウになるか。ダウからも最短で20キロほど離れているようだ。川の氾濫を警戒したとしてもいささか遠い。
ショールは地図を見つめ、つぶやくように、
「軍事、もしくは交通の要所だったのか、あるいは外敵を防ぎやすい地形なのか……」
「少なくとも今は、そのどれにも当てはまらないわね」
「当時の情勢がどうなっていたかまでは分からないですね。暴君クレトスは、四方の勢力を敵に回していたようですが」
リディアに続き、テオも加わる。
「2500年も昔ですから、川の流れや地形は今とは異なっていたかも知れません。ただ、現在ではリディアの言う通り、史跡以外に目立つもののない街です。水路もないので交通の便も悪いですしね」
今進んでいるこの道も、あまり整備が行き届いているとは言えないものだった。道幅は狭く、石や草で少々荒れてもいる。ショールの乗る車も、揺れが少し気になる。
広大な平原と農地を突っ切る昨日の道に比べて、木立や森が多く見晴らしもよくないせいか、どことなく暗く、湿っぽさを感じる。
ショールは指を少しずらし、タロッソスの東にある湖を指す。
「湖があるな……」
「ああ、巨人の丘の裏手にある湖ね」
リディアに続き、テオが、
「そこも大きな川との接続はありません」
「……」
ショールは地図を見つめたまま少し考え込んだ後、
「銅か、錫が採取できる場所は近くにあるのだろうか?」
「青銅巨人のこと?」
「昨日、青銅巨人の話を聞いて、真っ先に疑問に思ったことだ。その巨人の建造にどれだけの青銅を必要とし、それをどこから集めたのか」
青銅は銅と錫を主とした合金で、鉄よりも低い温度で溶けるため扱いやすく、冶金技術の未熟な……、あるいは、製鉄が機密技術とされていた古代において、広く使われていた金属だった。
武器や日用品に使用されることもあったが、青銅は銅と錫の配合によって黄金色にも白銀色にもなり、その美しさから宝物にも用いられる金属でもあった。魔法との親和性も非常に高く、現代でも魔法道具の素材のひとつとして珍重されている。
「青銅の収集以外にもいろいろな疑問がある。何を動力源にしていたのか、どうやって動かしたのか。人間のように動くとして、古代の機械技術で関節などを再現できたのか……」
「まず銅や錫だけど、ヨレンに鉱物が取れる場所はほぼないよ。もちろんタロッソス近辺にもね。だから私たちのご先祖様は四苦八苦しながらこういうものを作ったりしたの」
リディアは胸甲を指でとんとん叩いた。
「シウ・ガラスだったか?」
「そうそう」
大河ダウが河口まで運んだ土砂を用いて魔術師シウが作ったという、エナメルに似た物質だ。強靭かつ軽量で、加工も容易、しかも魔法との親和性も高いという、今なおヨレン秘伝の素材だった。
「巨人のエネルギー源についてはどうなのかなあ。おとぎ話とかだと、クレトスが自分の魔力で動かしたみたいになってるけど」
「その可能性は低いように思う。俗世に生きる人間がせいぜい数十年の間に蓄積した魔力など、巨大な青銅の人形を動かせるほどだったとは考えづらい」
「そりゃそうだけど」
「フ・クェーンのように、全てを捧げて聖地や霊山にこもり、長きにわたって祈りや修練を積み重ねていたのなら分かる。だが、巨人など作って他者を蹂躙しようとする者だ。長い時をかけて魔力を得るより、もっと手っ取り早い抜け道を得たように思う」
するとテオが、
「人の魂、という伝承があります」
「人の魂?」
「あくまで伝承のひとつですが、クレトスは生贄の魂を巨人の魔力に変えたと伝えられています」
そして巨人を使って周辺の民族を襲い、新たな生贄を確保していったという。
「それは、今では死霊術の領域だな」
「はい。クレトスが巨人を動かした魔術も、リビングデットを動かす死霊術と同じだったという説もあります」
死霊術と呼ばれる魔術体系がある。祖霊や死者との交信や、その力を借りることを目的とした祭事を元とし、悪魔信仰や、悪神が創始したとされる「暗き魔術」と結びついて生じたものと言われる。その魔術は霊魂を縛り死体を操り、不老不死の探求などとも結びつきながら、歴史の影で邪悪に進化していった。
死霊術士でも特に忌み嫌われる者たちは、生きた人間の命をも平然と奪ってその魂を拘束し、下僕として、あるいは魔法のための焚き木として扱う。倫理を捨て去ったその魔術は今や多くの国々で禁じられているが、なお世界の闇に潜んでいる。
テオはさらに、
「実際の巨人がどんなものだったかは、タロッソスのヤルハ神殿に頼めば、その一部が見られるかも知れません」
「雷神ヤルハの神殿にか?」
「そこに、巨人の右手が保管されているんです」
アブロヌ王の侵攻とともに目覚めた巨人は、アブロヌの骨の竜たちと争い、その戦いによって欠損した体の一部を残した。タロッソスには、その右手があるのだという。
ショールはリディアに顔を向け、
「その右手は私も見れるのだろうか?」
「普段は厳重に保管されているけど、『水晶の奥方』の御用と言えば見れると思うよ」
「そうか……」
テオは、
「ヤルハ神殿の神官たちは、ヨレン再建時代の歴史を研究している学者でもあります。巨人について調べるのなら、きっと喜んで手助けしてくれますよ」
その表情に、軽い苦笑がにじんでいた。
話をしているうちに、左右から木立が消えて景色が開けた。道を挟む背の高い雑草の向こうは、一面の茶色に少々の黄緑が混じった種まき前の耕作地があり、春の青天の下、地の果てまで広がって見えた。
「一気に視界が開けたな」
ショールが言うと、テオが前方を指さした。
「正面に丘が見えませんか? それが巨人の丘です」
道の果て、丘らしきものが確かにかすんで見えた。
「タロッソスの町はその右手にあります。少しずつ西に迂回し、幹線道路に合流します」
道もよくなった。白く固められ、車輪を取られるような轍もなく、車は快適に進んでいく。




