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鉄と怨嗟の目覚め③

 沈黙するレフテリスらの背後から足音が響き、エーテル灯の光が近づいてくる。

 アレコスだ。やや遅れて、息を荒げたキモンも追いつく。



「レフテリス……」

「遅いぞアレコス、もう少し体を鍛えたほうがいいんじゃないか?」

 冗談めかした口調で言ったが、アレコスは非難めいた視線を無言で向けた。バイアンも同様だった。

 レフテリスは肩をすくめ。

「すまなかったよ。だが、あれを放っておくわけにもいかなかっただろう」

「……まあいいさ。今はそれより……」

 アレコスが目を向けたのは、女と箱を背負った男が向かおうとした先だった。


 一筋の炎の線が続く。

 霧が左右に開けた。そこには湖を望む崖があった。

 キモンがそれを見ながら、

「バイアン卿、さっきの男は……」

「湖に落ちた、と、思うべきだろうな」

 炎の線は、崖で途切れていた。


 そして、満月の下、湖にたたずむ、特異な存在に目をやった。

「島船……」

 断崖に囲まれ、武骨で古風な城を乗せる、霧をまとった不思議な島。

 霧は島船から広がり、湖の水面を隠す幕のように、漂っていた。

 その霧から、湖への警戒を促す意思を、レフテリスらは感じた。


 そして彼らは視線を移す。

 湖に突き出た岬の上にある、周囲を堅牢な壁で囲まれた、雷神ヤルハの神殿。月影の下、灯の気配もなく鎮座している。

 レフテリスらが、監査のために赴く場所だ。



「キモン、周囲を照らしてくれ」

 アレコスが命じる。

 キモンが口の中で小さく呪文を唱えると、杖から光の弾が発せられ、それが彼の頭上に浮き上がり、光を強くした。周囲は昼のように明るくなる。


 5人は湖を望む。無言なのは、その湖に潜むおぞましいなにかを感じるからだ。

 それは、その者を抑えようとする島船の霧を貫く、不吉な気配を届ける。

 風に吹かれた木立が囁くように、昏い思念がうめく声が聞こえ始める。それは単独の気配でなく、群れとなって蠢く無数の気配だ。

 その中から、ひときわ強い思念が浮かぶ。

(裏切り者……。裏切り者……)

 それを繰り返し、ほどなく消えた。


 そして、短い静寂ののち、突然湖畔から翼を持った何かが轟音とともに飛び出した。


「竜!?」

 エーテル灯の届かぬ満月の空に舞う陰の形は、大きな翼と長い尾を持つものだった。

 体に対して頭が大きいように見えるが、それは飛竜そのものだった。

(仕損じたな、愚か者ども!)

 男の声で思念が響いた。ヨレンの公用語たるエルゲ語で、古い響きがあった。

(何たることだ、おお、強靭ながら醜悪で粗野なこの体! あの美しい体を取り戻せるはずだったのに!)

 その声に威はあるが舞台劇のように仰々しくも聞こえ、自爆した者たちのような狂気は感じない。

(足りぬ! 供物がまるで足りぬ)


 陰の中の赤く光る眼が、アレコスらに向かう。

(何者だ! 無礼な! 我が前に膝を折れ! 喜んで心臓を差し出しその命を捧げよ!)

 竜の影が上空から迫ってきた。巨大な質量が、濃密な瘴気とともに迫りくる。その異様な気配が、5人の肌をひりつかせた。

 レフテリスとバイアンがそろってパラスを展開した。少し遅れてキモンも呪文を唱えつつ杖を掲げ、三つの結界が展開される。

 その力場に竜が両足の爪を突き立てた。鳥と同じ足の形だが、指の太さが丸太のようで、その爪は巨大なつるはしのようだった。

 レフテリスらの足は衝撃に後ずさって地面に跡をつけ、爪の先端はわずかに力場を突破した。貫かれた力場はその周囲に乱れた光の波を生じさせる。それでもレフテリスとバイアンは耐えた。


「こいつ……!?」

 エーテルの灯の中に姿を現したそれは、翼を持つ竜の形をしていたが、鱗もなければ肉もない。スケルトンドラゴンとでも言うべきものかと思えば、それも違う。


 それは、鉄でできた竜だった。

 打ち捨てられた大小の屑鉄をいびつに組み合わせ、竜の形にしたかのような、黒鉄の竜だった。


 その大きな頭部は爬虫類の頭蓋骨そのままの形で、眼窩の中に赤い光がともっていた。並ぶ牙は規則正しすぎて、生物のものというよりノコギリに見える。

 翼も蝙蝠のそれに似ているが、その飛膜は何枚もの剣のような鉄板を連ねたもので、扇のごとく広がるつくりになっていた。

 長い尾は、いくつもの鉄の部品をワイヤーが貫いているものだろうか。本物の爬虫類のそれと同じように動き、先端は槍のように鋭利に尖っている。


(パラティスどもか! ソアラの犬め!)

 盾の力場を見た竜の思念が響く。

 アレコスとギデオンの銃が火を噴いた。しかし、付呪が施された銃と銃弾ですら、その鉄の身体は弾き返す。

(銃とか言うやつか、ぬるいわ!)

 そして竜は大きく頭を振り上げた。その牙をふたりの聖戦士に叩きつけようとする気か。

「ちいっ!」

 それより早く、アレコスは今度は腰からガラス球を取り出し、投げつけた。

 それは竜の大きな下あごにぶつかって割れ、四方に雷光を走らせる。

(なんだと!?)

 老人の声が響くとともに、無数の怨霊の悲鳴のような、凄まじい声が夜空に響く。


「……!」

 それを隙と見て、レフテリスとバイアンは、それぞれ矛と剣の柄から水晶の刃を伸ばした。そしてその白い刃を、結界越しに竜の足に叩きつける。

 レフテリスの刃は、怜悧ながらも鬼気迫る彼の目に合わせたように、長く、厚く広がった。

 白い閃光と火花を散らし、レフテリスは、一抱えはありそうな竜の足首を切断した。バイアンも竜の足を斜めに斬り下ろし、5本の指のうち後趾にあたる1本をのぞき、4本を斬り飛ばした。


 竜は剣の届かぬ中天に飛び退った。斬られた片足は崖の縁を崩しながら湖面に落下した。指の二本も湖に落ち、二本は崖の上だ。


(なんだこの剣は! 鉄をも切り裂く水晶の刃だと!? おお、パラティスども、いつの間にこのようなものを作ったのか!)

 竜の足首の断面は、赤熱したかのように白い光を帯び、それはゆっくり消えてゆく。

「こいつ……!」

 斬られたことに怯んで空に逃げたようだが、見た限り、痛みを感じた様子はない。アレコスはうめいた。


 老爺の喚き声が響く。

(その武器をよこせ! おお、凡夫ども! わが身に取り込んでくれるわ!)

「なんだと!」

 叫ぶバイアンの足元近くで、斬り飛ばされたはずの竜の指が震えるのをアレコスは目にし、魔術師としての彼の直感が警告の声を上げさせた。

「キモン、危ない!」

 直後に、防備という点で最も脆弱な、聖禽隊のバトルメイジ目掛け、切り離され地に落ちた竜の指が、弾丸のように飛んでいった。


「下がれ!」

 気付いて、結界を張る間もなく身構えるキモンの前にレフテリスが飛び出し、パラスを展開した。

 竜の爪は、レフテリスの盾の力場に激突した。青い電光のような光が走り、盾の中心に近い所に当たったひとつは弾かれたが、もうひとつ、中心から遠い、レフテリスの腰近くで激突したものは、オーロラを砕いたような光を散らしながらレフテリスの力場を破壊した。

 力場を破壊したものの、その竜の爪は軌道を変え、レフテリスのの太ももを切り裂いて、キモンの足元の地面に突き立った。

「ぐ……!」

「殿下!」

 バイアンが膝をつくレフテリスをかばうようにその前に立つ。

「ちっ!」

 ギデオンはキモンの足元の爪を蹴り飛ばし、もうひとつの爪の上に重ね、それを丸太のような右足で踏みつけ、銃を構え直す。アレコスも銃口を竜に向けつつ、レフテリスの前に出る。

「殿下、申し訳ありません!」

 言いながらキモンは竜から目を離さず、5人を包むように結界を再構築した。

 レフテリスは痛みに顔を歪めながらも、同じく竜を睨み、

「気にするなキモン、私の油断だ。パラスの盾も十全に展開できたものではなかった。情けないものだ」


 その間にも、湖から斬り飛ばされたはずの竜の足が飛び出てきた。それは竜の元に飛んで、元あった断面に接着しようと見えたのだが、

(なんだ! 戻らぬ! くっつかぬぞ! やつらのあの武器のせいか!? おお、冒涜者め!)

 癇癪を起したかのように繰り返し切断面をくっ付けようと金属音を響かせていたが、そのうち白い閃光が弾け、竜の右足は再び湖に落ちていった。

(うまくいかぬ! あの水晶のような剣は、偉大なるわしの魔術を狂わせたのか!?)


「ショールの……あいつがもたらした水晶の武器だからか!」

 アレコスはつぶやいた。竜を斬ったあの水晶の剣は、元から聖戦士たちが用いていた武器ではない。9年前、とある特異な男がもたらした素材を元に作り出したものだ。

「奴がマギフスの類なら、ペリューンは天敵か!」

 言いながら、アレコスは腰の弾薬盒から、通常弾とは違う、白い弾薬を、ふたつ取り出した。それはアレコスに握られて、白い光を帯びた。ちょうど、水晶の刃と似た光だ。


 怒り狂うさまを見せた竜は、何かをがなりながら再び5人に迫ろうとしたが、そこに、遠方から飛んできたと見える、火炎の弾が直撃した。


「殿下!」

 後方から、レフテリスに従う老兵らが駆けつけてきた。聖戦士へレインと、テティスの姿も見える。

 彼らの中のバトルメイジが、駆け付けながら火の玉を竜に放つ。それは夜空に真っ赤に弾ける炎の花を立て続けに煌めかせたが、

(鉄に炎が通じるか、愚図どもめ!!)

 竜はそれを癇癪を起したように手で払い、

(貴様らの方が食いやすそうだな! おお、雑兵ども!)

 竜は、老兵らに向かう気配を見せた。


 その前に、アレコスは、白く光を帯びる銃弾の一つをギデオンに投げ渡し、自身も素早く装填する。

 アレコスの装填と、弾を投げ渡されたギデオンの装填はほぼ同時だった。二人そろって銃を構える。銃口が淡く白く光った。

「ギデオン、お前は目だ! 俺は胸を狙う!」

 アレコスの銃には引き金がない。魔法使いの使用を前提としたものだ。使い手は限られるが、魔法による強化がより強く弾に乗る。


 火薬による銃声とは違う、上質な金属を打ち鳴らしたような、高く澄んだ音とともに、白い光の尾を引いて銃弾が飛び出した。

 ギデオンの銃弾は竜の眼窩に飛び込み、アレコスの銃弾は、竜の胸、普通の動物なら心臓があるであろうあたりに命中し、耳に高く響く金属音とともに、閃光が走った。


(慮外者ども、おお、何をした!)

 眼窩と胸から白い光が爆ぜて、鉄がきしむ音と、音ではない叫びのようなものを放ちながら、竜は夜空に舞い上がった。


(いかん、我が魔術が、魔術が乱れてしまう!)

 老人の叫びとは別に、無数の怨念が、竜の身体から漏れている。何百何千もの人間が、怨嗟のつぶやきを漏らすように聞こえるそれは、駆け付けた兵たちの中で、感応の才がない者にすらはっきり感じられるほどのものであり、心胆を寒からしめるものだった。

(おお、漏れる、漏れてしまう!)

 竜はでたらめに夜空を乱れ飛んだ。キイキイと鉄の不快な音が響く一方、空気を震わすものではない甲高い声なき悲鳴が続き、竜を中心に、気を抜けば意識が持っていかれそうなほどの怨嗟のささやきが、その声を強めながら渦巻くのをアレコス達は感じた。

 そして突然、その無数の声をかき消すほどの凄まじい怨念とともに、


(裏切り者! おのれ、裏切り者ども!)


 それまで聞こえていた男の声とは異なる叫びが、その場にいた者たちの心に轟き、風もないのに森の木々すら激しく揺れた、その怒りのすさまじさに彼らは思わず足を止め、後ずさる。


 それ以前に聞こえていた老爺の思念が、悲鳴のような声をあげる。

(なんということだ、ええい、こいつ、目覚めてしまったではないか!)

 その一方、裏切り者と叫んだ男の思念は、もはや言葉のないただの恨みの絶叫となった。

 竜はしばしその場を乱れ飛んで後、一直線に飛び去ってしまった。


 それまで呆然とそれを見ていたアレコスだったが、苦し気なうめき声が耳に入り、はっと気づいた。

「レフテリス!」

 彼は腿を切り裂かれ、おびただしい血を流し、地面に座り込んでいた。

「殿下!」

「大丈夫だ……。それより、奴を追うんだ!」

 額に汗の珠を浮かべながら、レフテリスは命じた。

「あれを放っておくわけにはいかん! 聖禽隊の役目を果たすんだ」

 それからバイアンを見やり、

「バイアン、君も行くんだ!」

「しかし……」

「私の護衛任務より、聖戦士として優先せねばならない任務だ。アレコスらだけでは……」

 そこで聖戦士へレインがレフテリスの元に駆け寄り、彼の傷を見る。

 レフテリスは苦し気に、繰り返し命じる。

「行くんだ。倒すのは無理にせよ見失うわけにはいかん。伝承が正しければ、あれは人の魂を食う」

「……承りました」

 聖戦士バイアンは胸に手を当て敬礼の後、妻のへレインに目をやる。レフテリスの足の怪我に、指輪から放つ光を当てていた。


 彼女は傷から目をそらすことなく言った。

「大丈夫よバイアン。この怪我なら半日で治せるわ」

「さすがはルーン神殿きっての『癒しの手』だよ、へレイン卿……、ぐあっ!」

 悲鳴を上げたのは、皮の水筒から何かの液体を傷口にかけられたからだ。傷から小さく水煙のようなものを上げながら、砂や泥が洗い流される。

 さらに、傷口に軟膏のようなものを塗られて表情を激しく歪めながら、レフテリスはバイアンとアレコスに目で命じた。「行け」と。


 アレコス、バイアンはうなずきあい、森の中を駆けていった。

 それを見送ってから、レフテリスは足の傷を癒す女聖戦士に顔を向け、

「贅沢を言ってすまんが、もう少し痛みを押さえた治療はできんのかね、へレイン卿」

「痛くなければ、早く治りませんよ」

 言いながら、彼女は包帯を巻く。その包帯も、淡く虹色の光を帯びている。

「ならば、明日の朝には後を追えるか?」

「傷は半日で直ると言いました。でも、血を流し過ぎましたね。もう一日は安静にしたほうがいいでしょう」

 レフテリスは不満げにうめいた。


 それから彼は、湖のほうに目をやる。その目は怜悧で鋭いものに戻っていた。その視線は島船からヤルハ神殿に移る。

 灯の気配もなく、湖畔の喧騒にも無関心であるかのように佇むその姿は、神聖なものでなく、何か禍々しいものに見えた。


 竜から漏れたものだろうか。満月の夜空に、どこからともなく、遠く怨嗟の叫びが轟いた気がした。



「……」

 ショールは窓へと振り向いた。

 同じように、テオも顔を上げ、窓の方へ顔を向ける。

「今のは……」

「何、どうしたの?」

 リディアはショールの写し絵を手に首を傾げた。

 彼らはまだ、応接室でショールの記録を広げていた。


 テオはつぶやくように言う。

「今、何か聞こえて……」

 リディアはそんなテオからショールに顔を向け、

「聞こえた?」

「ああ……」

 リディアはその顔をテオに戻して、

「なんであんたが聞こえるのよ」

「なんでってなんだよ……」

 そう答えるテオの顔は、窓から離れない。不安さえ浮かぶその表情を見て、リディアの表情も真顔になり、再びショールに目をやる。

 ショールは窓の外を見つめ続けている。

 そしてリディアらに向き直る。

「今夜はここまでにしよう」


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