獣耳街の探偵助手〜異世界からの迷い人と狼男の探偵〜
ティルムンの朝は、蒸気機関車の汽笛で幕を開ける。
石畳の通りを貫く赤レンガの街並みは、煤けた空気と獣人たちの喧騒で活気づく。羊の角を揺らす女学生、犬耳をピクつかせる書生、狐の尾を振る行商人――あとで知ることであったが、この街は獣の血を引く者たちの都だ。
そこに、私は迷い込んでいた。
地球生まれ、日本育ちの純日本人。平日はただの25歳社畜OLの私。
久々の休日、私は東京の下北沢で古着屋巡りを楽しんでいた。3着1000円のアンティーク着物やワゴンセールの帯留めを漁って、真鍮の髪留めを見つけてホクホクしていた。
私の趣味は着物だ。大正時代の着物にコルセットやレースの手袋を合わせた和風スチームパンクな装いが好みである。
今日も、桜文様の着物に格子柄のキャスケット、編み上げブーツで街を歩いていた。―――はずだった。
なんの前触れもなく、突然視界が歪んだ。その瞬間、気づけば見知らぬ石畳の上に立っていたのだ。
提灯の灯りが揺れる薄暮れの路地。蒸気と煤の匂いが漂い、屋台からはたこ焼きみたいな香ばしい香りが立ち上る。遠くで三味線の音が哀愁を帯びて響く。あきらかに、今居た東京とは異なる世界だ。目の前を行き交うのは、もふもふの耳や尻尾を持つ獣人たち。カラフルな和装に身を包み、まるで時代劇とファンタジーが交錯した光景に、私は立ち尽くした。
「え、どういうこと? CGじゃないよね……?」
呆然としていると、路地からけたたましい蒸気の咆哮が響いた。
漆黒の蒸気自動車が、龍と虎の彫刻を施した車体を石畳に響かせ、突進してくる。運転席にはキツネ耳のヤクザ風の男がギラリと目を光らせ、排気管からは白い蒸気が狐の尾のようになびく。その先に、ふらふらと酔っぱらいがよろめいていた。
「危ない!」
思わず駆け出し、酔っぱらいを道端に引っ張る。ヨレヨレのスーツに狼耳の男だった。だいぶ酒臭いフラフラした男は、謝るようにと手を挙げた。
「すまねえ……、家まであと少しなんだが……」
「ふらふらしてたらまた引かれちゃうよ! おうち近いなら、肩貸すよ」
男が指さしたのは、狭い路地に面した三階建ての古風な建物。黒と深紅を基調に、蒸気管が壁を這い、竹を模した鉄製の窓枠には和紙が貼られている。一階には「喫茶ねずみや」の暖簾が揺れ、二階の窓には「銀狼・探偵事務所」の文字。
「ここが俺んちだ。俺は、ガルド・クロウは探偵だ。」
「ガルドさん探偵なんだね。私は市川桜。―――あ、またふらついて! 階段気をつけて!」
「いや、助かるよ……、酔い冷まし薬飲めばすぐよくなるんだがな……」
「酔い冷まし薬?」
「最近流行ってるだろ?飲めばすぐに酔いが覚めるって」
狭い階段を登り、事務所に入ると、まるで嵐が過ぎ去ったような散らかりようだった。漆塗りの机には書類の山、空の酒瓶が転がり、蒸気ヒーターがシューシューと不穏な音を立てる。ガルドは棚からガサガサと探し出した「酔い冷まし薬」を一気にあおる。
ボンヤリした焦点が徐々に合っていき、それからハッとした目で私を見た。
「あ!お前、耳が……なんでソコに? 尾はどこだ?」
「え……? だって人間だし……?」
「人間だと? ―――あぁ、面倒なことになったな。人間がここにいると知られたら、憲兵に捕まるぞ!」
「え、捕まるってどいうこと?」
「どうやって入ったかしらないが、ティルムンは獣人しか入れない街だ。人間は立ち入り禁止で、入り込んだら重罪になるんだ。関所が厳重だから、入るのだけじゃなく出るのも難しいな」
ガルドは顎に手をやり、考え込んだ。
「すぐ街から出すことは難しいな。だが、ニンゲンを放っておくわけにもいかねえ。命を助けてもらった恩もある。―――しかたねえ、うちで匿ってやる。家賃代わりに働け」
「働くって……探偵の助手!? えっ、ミステリーみたい!」
思わず声をあげた私に、ガルドは鼻で笑いタバコに火をつける。
「ミステリー? 俺の仕事は浮気調査か人探しだ。殺人事件なんてそうそうねえよ。死人は商売にならんよ。そうだな、まずは掃除を頼んだ」
こうして、私のティルムンでの生活―――狼耳探偵助手としての日々が始まった。
翌日私は、事務所の屋根裏部屋で目を覚ました。
昨夜は事務所を掃除したあと、前の助手の猫獣人が残した猫毛だらけの部屋を片付け、寝床を確保した。しかし、なんの役割かよくわからない蒸気管のシュポッという音に何度も目を覚ましたため、熟眠感はなかった。
あくびを噛み殺し、着物の裾を気にしながら階段を降りると、ガルドは不機嫌そうに書類をめくり、コーヒーをすすっていた。
「ねえ、ガルドさん。なんで人間って捕まるの?」
ガルドはヨレヨレのスーツを直し、タバコに火をつける。金色の瞳が私を一瞥した。
「ティルムンの掟だ。人間は昔、魔術戦争でこの街を滅茶苦茶にした連中だ。だからティルムンは人間を排除し、獣人しか住めねえ街になった。伝説じゃ、『人間の魔力でティルムンは汚染されてしまう』らしい。憲兵はそれを信じてて、人間を見つけりゃ即牢屋行きだ」
「え、私、魔力なんてないよ!」
ガルドは鼻で笑う。
「確かに、お前みたいなチンクシャから魔力は感じねえな。だが、魔力網―――街の蒸気と魔法を動かす仕組み―――を守るって名目で、貴族とギルドが決めた掟だ。だから、外に出るときは絶対に、キャスケットで耳隠してろよ? 」
窓の外を見下ろすと、黒い制服の憲兵―――豹や熊の獣人で、腰に蒸気銃を下げた厳つい連中―――が巡回している。背筋がぞっとした。
そのとき、入口のブザーが鳴った。豚の頭をした獣人、ブロックが依頼人を連れてきた。
筋肉質な体にスーツを着こなすブロックは、ガルドに仕事を斡旋する「案内人」だそうだ。
連れてきたのは、鱗に覆われた蜥蜴人の男、ザルク。涙目で訴える彼の依頼は、妻リズラの浮気調査だった。
「妻が若い猫耳の詩人と怪しい関係で……もう我慢ならん!」
私は書類整理の手を止め、つい口を挟む。
「浮気なんて酷い! ザルクさんって旦那さんがいるのに信じられない!! 負けちゃダメだよザルクさん、正義は絶対に勝つんだから!」
「うぅ……ありがとうよ……。助手のお嬢ちゃん」
「ねえ、ガルドさん私も手伝うから!GPSとかないの? 尾行して証拠写真撮れば一発じゃん!」
「ジーピーエス? なんだそりゃ」
ガルドは呆れたように笑う。
「尾行なら得意だ。だがな、桜、依頼人が金を払うなら正義も悪も関係ねえ。金が正義だ」
翌日、ガルドと私はリズラを追うため、ティルムンの雑踏に繰り出した。
ガルドは事前にザルクからリズラの行動パターンを聞き出し、彼女が通う劇場周辺を重点的に調べると決めた。
私は着物を翻し、キャスケットで耳を隠しながら、ガルドの後を追う。彼は蒸気自動車の後部座席でタバコをくゆらせ、兎人の運転手に指示を出す。
「リズラは派手な女だ。孔雀の羽みたいな鱗が目印。劇場から出てきたらすぐ分かる」
だが、ガルドの準備はそれだけではなかった。彼は懐から小さな真鍮製の装置―――蒸気式盗聴器を取り出し、使い方を説明した。
「これを劇場の壁に仕掛ければ、リズラの会話が拾える。だが、憲兵が近くにいるから、タイミングを見計らえ」
ティルムンの劇場街は、提灯と蒸気灯が交錯する華やかなエリアだ。赤レンガの建物に和紙の看板が揺れ、獣人たちが着物や袴で闊歩する。ガルドは私に双眼鏡と簡易発信機を手渡し、劇場の裏口を見張るよう指示した。
「お前はここで待機。リズラが出てきたら、発信機で合図しろ。だが、目立つなよ。憲兵がうろついてる」
私は路地の物陰に身を潜め、双眼鏡で裏口を観察する。蒸気管のシューという音や、遠くの馬車のガタゴト音に心臓がドキドキした。探偵の助手って感じがして、私は不謹慎にもワクワクしていた。
ガルドは劇場の裏手に回り、素早く盗聴器を壁に仕掛ける。彼の狼耳がピクピクと動き、憲兵の足音を察知すると、物陰に身を隠した。
しばらくして、盗聴器から機械音とともにリズラの声が微かに聞こえてきた。
「「ガガ」……フェリオ、今夜、裏港で……例のブツを渡すよ……「ガ、ガガ」」
「えっ、例のブツって??」
「―――やっぱり、ただの浮気じゃねえな。裏港で何か企んでるな」
「どういうこと?」
ガルドが金の目をこちらに向ける。私もガルドの方を見るが、狼耳の男は人差し指を唇に当てるだけだった。
やがて、孔雀の羽のような鮮やかな鱗を持つリズラが現れた。隣には猫耳の詩人フェリオ。二人とも和装だが、フェリオの派手な羽織が目立つ。二人は親密に囁き合いながら、路地裏のカフェに向かう。私は発信機でガルドに合図を送り、彼は静かに頷いて尾行を始めた。
カフェの窓際で、リズラとフェリオはテーブルを囲み、笑い合っている。ガルドは携帯式の蒸気カメラを構え、シャッターを切る準備をしたが、突然眉をひそめた。
「やっぱりあの二人、ただの浮気じゃねえな」
「え、どういうこと?」
ガルドはカフェの奥を指さした。そこには、黒いマントを羽織った狐耳の男が座っている。テーブルの上に怪しげな小箱があり、リズラがチラリと視線を送っていた。
「リズラが詩人と会ってるのはカモフラージュだ。あの狐耳の野郎が本命の可能性がある。ザルクの依頼は単なる浮気調査だが、なんか裏がありそうだ」
「じゃあ、どうするの? 突っ込む?」
「落ち着け、桜。証拠がなけりゃただの勘だ。まず、狐耳の正体を洗う」
二組の客が店を出たあと、ガルドはカフェの裏口に回った。ちょうどリスっぽい店員がゴミ捨てをしており、そのゴミ箱を手袋をして漁る。
「なにをしてるの?」
「あの店は店員がテーブルを片付けるシステムなのに、紙コップだけはあの男はゴミ箱に捨てていたんだ」
「え?どういうこと?」
「―――ビンゴだ」
ガルドは使い捨ての紙コップを拾い上げた。
そこには、狐耳の男が書いたらしい走り書きのメモが挟まっており、《魔力晶、午前零時、裏港、倉庫3番》と書かれている。
「魔力晶? それって魔力網に関係あるやつ?」
「その通り。魔力網の動力源だ。貴族やギルドが厳重に管理してる。こいつが裏で動いてるなら、ただの浮気じゃねえ。でかい話だ」
ガルドはメモを懐にしまい、すぐに次の行動を計画した。
「桜、お前は劇場周辺でリズラの動きを監視し続けろ。俺は狐耳の男の足取りを追う。このメモの筆跡から、奴の正体を絞り込む」
ガルドは事務所に戻ると、書類の山から古い事件ファイルを引っ張り出した。過去の魔力晶密売事件の記録だ。彼は筆跡を比較し、狐耳の男が「クロガネ」という裏社会のブローカーと一致する可能性を見抜く。
「こいつ、貴族の魔力晶を横流ししてる噂があった。リズラがどう絡んでるか、確かめる必要がある」
その夜、ガルドと私は裏港へ向かった。
ティルムンの港は、蒸気船の汽笛と魔術灯の光で不気味に輝く。ガルドは私に簡易な蒸気式発信機と煙幕弾を渡し、こう指示した。
「お前は倉庫3番の屋根に登って、状況を監視しろ。リズラとクロガネが現れたら、発信機で合図。だが、絶対に近づくな。危険だぞ」
私は着物の裾をたくし上げ、倉庫の鉄梯子を登る。蒸気管の熱で汗ばむ手で発信機を握り、港を見下ろした。
ガルドは物陰に身を潜め、蒸気式双眼鏡で倉庫の出入り口を監視。
やがて、リズラとクロガネが現れ、木箱を交換する瞬間を目撃。ガルドは蒸気カメラでその場面を撮影したが、クロガネが突然鼻をクンクンと動かし、こちらを睨んだ。
「誰かいる!」
クロガネが腰の蒸気銃を抜き、ガルドに向かって発砲した。思わず目を閉じそうになる。
蒸気の衝撃波が石畳を叩き、火花が散る。
ガルドは素早く煙幕弾を投げ、港は白い蒸気に包まれた。
私は屋根の上で息を止め、発信機を握り潰しそうになる。胸の鼓動が早鐘のように鳴っている。
ガルドは煙幕の中、クロガネの動きを逆手に取り、彼の銃を蒸気パイプに当てて暴発させる。クロガネが銃を落とした隙に、ガルドはリズラとクロガネを蒸気式捕縛網で絡め取り、動きを封じた。
「桜、降りてこい! 証拠は押さえた!」
私は急いで梯子を降り、ガルドと合流。リズラは鱗を震わせ、クロガネは唸り声を上げながら網の中で暴れる。ガルドは冷静に二人を睨み、メモと木箱の中の魔力晶を手に持つ。
「リズラ、お前が詩人と会ってるのはクロガネとの取引を隠すためだろ。ザルクに浮気を疑わせて、魔力晶の密売をカモフラージュした。だが、俺の目はごまかせねえ」
リズラは観念したように目を伏せ、クロガネは毒づきながらも抵抗を諦めた。ガルドは私に指示を出す。
「桜、ブロックに連絡して憲兵を呼べ。ただし、俺たちが捕まえたことは伏せろ。面倒になる」
そう言って、私のキャスケットを見る。人間だとバレると捕まってしまう。私は帽子を押さえて、頷いた。
ブロックの店は裏港の近くにあった。憲兵を依頼すると、程なくガルドはその店に戻ってきた。
「あのふたりは?」
「仲良く檻の中だ。あとはブロックに任せたよ。憲兵の対応とかあいつはそういうのも得意なんだ」
翌日、事務所にてザルクに写真と魔力晶の証拠を見せると、彼は鱗を震わせて泣き崩れた。
「リズラが……魔力晶の密売にまで手を……! だが、これで心の整理がつく。ありがとう、ガルドさん、桜さん」
「浮気調査のはずが、魔力網の闇に繋がっちまった。面倒なことになったな」
ガルドはタバコに火をつけ、吐息とともに呟いた。
ザルクの依頼を終え、事務所に戻った私は、整理した書類を眺めながら考える。
ティルムンは不思議で危険な街だ。人間が禁忌とされる理由、魔力網の秘密、そして私がここに迷い込んだ原因―――すべてが謎に包まれている。
ガルドはソファに寝転がり、タバコの煙を吐きながら言った。
「次はお前が依頼を取ってみろ、桜。助手ってのは、掃除だけじゃねえぞ」
「え、ほんと? 探偵っぽいことできるの?」
「まあな。だが、憲兵に見つからねえよう気をつけろよ。人間ってバレたら、俺まで巻き添えだ」
その夜、屋根裏部屋の窓からティルムンの夜景を見下ろす。
提灯の灯りが揺れ、蒸気機関の音が響く。この街での生活は、まるで大正時代のミステリー小説に飛び込んだようだ。
でも、私を元の世界に戻す手がかりはどこかにあるのだろうか?
翌朝、事務所のブザーが再び鳴った。新しい依頼人が現れる―――そして、それはティルムンの魔力網に潜む大きな秘密に繋がる事件の幕開けだった。
連載小説だったこの作品、あるこれ修正しているうちに、なぜかうっかりすべて消してしまい
諦めきれずにとりあえず短編にして書いた。
気力が回復したら中編でまた描き直したい。