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5話 散々な日

「お前……」


 竜治は指差して固まっているチンピラを見てぽかんとしながらどうして分かったのだろうと考えた。そして手元の眼鏡を見て、手洗いの鏡に目をやった。


「うわっ、しまった……」


 顔を洗っていたので前髪は後ろに流しており眼鏡のない素顔が丸出しである。竜治は舌打ちしながら青い顔をしているチンピラに歩み寄った。


「わああっ!」


 それを見たチンピラはくるりのトイレの前から走り去ろうとした。そして廊下の向こうに居た派手なタイダイのフリースを着た大柄な男にぶつかった。


「いてっ! おいヨッチンいてぇじゃねぇか」

「ごごご、ごめん! 木村くん! でも……」

「あ?」

「あ、あいつが出たんだ。こないだ俺達をぼこったやつ!」

「ほう……」


 その男は視線を上げて竜治を見た。竜治はその視線を真っ向から受け止めてにらみ返した。


(あ、しまった。メンチきられたら切り返す癖が……)


 竜治がそう気付いた時には木村とかいう男は前にズイ、と進み出てきていた。


「おい……オッサン、ヨッチンが世話になったみたいじゃんかぁ」

「……あ?」


(あ、またメンチ切ってしまった……)


「ちょっと面かせや」

「……」


 竜治は職場のメンバーの居る個室にチラリと目をやった。賑やかな笑い声が聞こえる。主役の竜治不在のまま宴席は盛り上がっているようだった。


「……表に出ようか」

「おう」


 このデカい図体を居酒屋の狭い廊下でぶん殴ったら大騒ぎになるだろう。竜治は木村を店の外に誘い出した。そして、二人は隣の駐車場に来た。あとから追いかけてきたチンピラ君が竜治をこうあおり立てた。


「木村くん、やっちゃって!」

「おーう」


 木村はその声に余裕たっぷりで答えた。そしてじゃりっとアスファルトを踏みしめてファイティングポーズをとった。


「そこのチンピラくんよりは骨があるみたいだな。なんかやってんのか」

「木村くんは総合格闘技やってんだ!」


 木村の代わりにチンピラくんが叫んだ。木村はニヤリと笑うと、竜治にタックルを仕掛けた。


「おっと」


 竜治はそれを躱すと、背中をトンと叩いた。木村は自分が突っ込んだ勢いで地面に手をついた。


「くそ……がっ!?」


 その木村が起き上がった瞬間、顎に竜治の拳が入った。木村が一瞬くらりとした所に、さらに回し蹴りが入る。


「げぇっ」

「まだまだー!」


 無防備にさらされた木村の体の正面に何度も蹴りが入る。それがみぞおちに入った時、木村は地面に倒れ込んだ。


「あああ……」

「おい、そこのチンピラくん。木村だっけ? 総合がなんだって?」

「す、すみません……」

「自分の看板は自分で背負えって言ったよなぁ……お友達の力を借りて喧嘩なんでだっせぇ事しやがって」

「あ……う……」


 チンピラくんの目が泳いだ。竜治は口の端を吊り上げてそいつの金的を思いっきり蹴り上げてやった。


「じゃーな」

「おっごおおおお」


 地面に伸びた木村とチンピラくんを置いて竜治は悠々とその場を後にした。そして……角を曲がった瞬間に髪を崩して眼鏡をかけ、ぐるりと角を曲がって店に戻った。


「ど、どこいったあいつ……!」


 チンピラ共の声がサッシの向こうから聞こえてきたが無視して竜治は職場のみんなのいる個室に戻った。


「あれー、トイレ遅かったですね」

「いや……い、家から電話かかってきちゃって……」


 竜治は慌ててそう言いつくろった。グラスを持つ手が痛い。


(はあ……まともに顎なんてぶん殴ったの久し振りだから拳がヤワになってるな)


「お子さんですか?」

「あ、まぁ……」


 広井さんがそう言いながら心配そうに竜治の顔を覗き混んだ。するとその時、別の社員がぼそっと呟いた。


「新しい奥さん貰ったらどうすかね。係長まだ若いんだし」

「ちょっと! 無神経よ」

「うわー、こいつ酔っ払ってるよ」

「酒の席でも言って良いことと……」


 その社員に広井さんは食ってかかった。そんな彼女を竜治はやんわりと止めた。


「はは……それはちょっと考えられないなー。あ、そもそもこんな男やもめ貰ってくれる人いないよ。ははは……じゃ、俺そろそろ失礼しますわ」

「えええ……係長……」


 一人おろおろしている広井さんに竜治は微笑みかけて、事業所長に頭を下げた。


「ちょっと子供の具合が悪いみたいなんでお先します」

「ああ、気にすんな気にすんな」


 そうして竜治はさっと荷物をまとめて居酒屋を出た。


「……新しい奥さん……なんて貰う訳ないだろーっ!」


 しばらく無言で歩き進めた先で、竜治は一人叫んでその辺に放置してあったを一斗缶を蹴り上げた。派手な音を立ててめしゃりと缶がへこんだ。

 罪なき一斗缶には申し訳ないが、竜治は怒りを抑えるのがピークに達していた。


「あんな女……他にいないよ」


 荒れた竜治に寄り添って、全身全霊で愛してくれたしおり。竜治に命を燃やし尽くしたような彼女の存在は、死してなお竜治にとってかけがえのない存在だった。

 よく我慢した、と竜治は頬をパンと叩いて家路を急いだ。かわいいかわいいひとり息子の顔で癒される為に。


「あれー、パパ早かったねぇ」

「おお、令央まだ起きてたか」


 竜治が家に帰ると、令央はすでにパジャマに着替えていたがまだ眠っていなかった。竜治は令央を抱きしめた。ふにゃふにゃと柔らかく日向のような匂いがする。


「おつかれさまー」

「……うん」


 竜治は令央のくりくりとした目を見つめて頷いた。この子の為なら少々のストレスもなんのその。頑張って稼いで令央を立派に育てなければ。竜治は再度、気合いを入れ直した。


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